第34話 王弟スヴェン
エドゥアルトに伴われてアリーセも一緒に応接間へと向かうと、客人の男性が紅茶のティーカップを優雅に持ち上げながらにこやかに挨拶した。
「やあ、ごきげんよう。エドゥアルトとは三日ぶりだね」
「ご足労いただきありがとうございます、スヴェン殿下」
「いや、いいよ。アリーセ嬢にも会いたかったから」
そう言ってアリーセに視線を移したのは、スヴェン・クラース・リンドブロム。この国の王弟だ。王家の象徴である赤い髪はやや落ち着いた色合いで、深みのある碧眼と相まって思慮深い雰囲気を醸している。彫刻のように整った顔は柔和で優美な造形をしており、精悍な顔立ちの兄王とは真逆の印象を与えていた。
「王弟殿下にお会いできて光栄でございます。それから、この度は私のために多大なお力添えをいただきありがとうございました」
アリーセが深々と頭を下げて感謝を伝える。
例の事件の裁判では、被告人が神殿の頂点である大神官だったため、神殿側が権威を守るために証拠隠滅を図ることも考えられた。ゆえに神殿内の現場検証や証拠確認では神殿の関与は最小限とし、代わりに王宮文官長であり神学者でもある王弟スヴェンが陣頭に立って尽力してくれたのだった。
アリーセから丁寧な礼を受けたスヴェンがひらひらと手を振る。
「気にしないでいいよ。僕は僕の仕事をしただけだから。こんなことに巻き込まれるなんて大変だったね。今は落ち着いたかな?」
「はい、公爵様のおかげで……」
アリーセがエドゥアルトのことに触れると、彼はなぜかムッとした表情を見せた。
「アリーセ、そんなよそよそしい呼び方はやめてくれ。
「そんなこと言ったって……王弟殿下の前で呼び捨てにしろと言うの?」
「ああ、殿下だってそんなこと気にしないさ。ほら、もう一度言い直すといい」
「まったく、呆れたわ」
アリーセが溜め息をつくと、スヴェンがおかしそうに笑った。
「はは、仲睦まじそうで何よりだよ。婚約なんてしないで結婚すればよかったのに」
「そ、それはまあ、しばらく恋人の時間を味わってからでもいいかなと思いまして……」
「エドゥアルトのそんな顔が見られるなんてな、気持ち悪い」
「気持ち悪いとはなんです」
二人の歳はそこそこ離れているはずなのに、明らかに気の置けない仲に見える。身分が比較的近いからだろうか。
「お二人は昔からのお知り合いなのですか?」
「ああ、僕は彼と同じ騎士学校出身でね。たまに稽古をつけに行ってたからエドゥアルトとも手合わせしたことがあるんだ。こう見えて、エドゥアルトに引けを取らない腕前だったんだよ」
「たしかに何度か負かされましたね。まあ俺の勝ち越しですが」
文官長で神学者という肩書きから勝手に剣術はやらないものかと思っていたので意外だったが、エドゥアルトに勝ったことがあるというなら本当に強かったのだろう。
「まあ、ちょっとしくじって肩が上がらなくなってしまったから、もう剣術はやめたんだけどね」
「でも文官長として活躍されていらっしゃるうえ、神学の研究の第一人者でもあるなんて素晴らしいです」
「ありがとう。アリーセ嬢は優しいね」
スヴェンがアリーセに微笑みかけると、エドゥアルトが二人の間を遮るように手を伸ばした。
「殿下、アリーセに近づかないでください」
「君は本当に嫉妬深いね、エドゥアルト」
「さあ、早く今日いらした用件をお伝えください」
エドゥアルトの溺愛ぶりに目を細めながら、スヴェンがようやく本題に入った。
「ベルタの結婚が決まったよ」
「えっ、第一王女殿下が結婚……?」
ベルタ第一王女といえば、エドゥアルトを気に入って結婚しようとしたり、アリーセを自分の侍女にしようとしていた、言葉を選ばずに言えば奔放で我儘な王女だ。孤児院でカイに手をあげたことをアリーセは今でも許せなかった。
「お相手は……」
「バザロフ王国の国王だよ。向こうには側妃制度があってね、ベルタは第三側妃になるらしい。陛下は少し渋っていたけど、金や宝石の生産国として有名だし、国交が盛んになればリンドブロムの利益も大きくなるから、そのためにという感じかな。遠方の国だから君たちと顔を合わせることももうないだろうね」
「あの王女がよく側妃で納得したな」
エドゥアルトが驚いたように呟くと、スヴェンも頷いて同意した。
「ベルタはプライドが高いからね。バザロフでうまくやれるか心配だけど、目下の立場を思いやれるようになればいいと思うよ。叔父ながら、彼女の振る舞いはどうかと思っていたからね」
「そうですね。まあ、こちらとしてはもう関わらずに済むと思うと安心できます。なあ、アリーセ?」
エドゥアルトに水を向けられたアリーセは、自分でも意外だったが、あまり喜ぶ気にはなれなかった。
「……たしかに王女殿下には傷つけられたけど、望まない政略結婚はお気の毒に思うわ」
「アリーセ……」
アリーセも父親の独断で祖父と孫ほども歳の離れたグランホルム伯爵のもとへと嫁がされてしまった。あのときの屈辱と絶望を思い出すとベルタにも同情してしまう。
エドゥアルトとスヴェンもアリーセの気持ちを察したようだった。
「やっぱりアリーセ嬢は優しいね」
「アリーセに興味を持たないでください」
エドゥアルトのしつこい牽制にさすがに呆れたのか、スヴェンが「あはは」と空笑いして席を立つ。
「それじゃあ話はこれだけだからもう行くよ」
「ええ、さっさと帰ってください」
「つれない後輩だな。じゃあ、アリーセ嬢と仲良くね。あ、結婚前に子供は作らないように」
「な……! 何を言ってるんですか!」
一瞬で真っ赤になったエドゥアルトを見て、スヴェンが腹を抱える。
「ははっ、君を揶揄うのは本当に面白いな。それじゃまた来るよ」
「もう来ないでください」
「はいはい、じゃあね」
◇◇◇
スヴェンが帰ったあと、アリーセはソファの上でエドゥアルトの腕の中に閉じ込められていた。
「まったく、スヴェン殿下には困ったものだ」
「ふふ、私は楽しかったわ。あんな風にやり込められるエドゥアルトは珍しいもの」
「それは……いや、君が楽しかったならいい」
エドゥアルトが優しい眼差しを向け、アリーセの髪を耳にかける。それが少しくすぐったくて、アリーセは身をよじらせた。
「明日はデートに行こう。二人でゆっくりしたい」
「ええ。楽しみだわ」
それから二人は幸せそうに微笑み合い、お預けになっていた六度目のキスをした。
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