第31話 救いようのない想い
儀式が未遂に終わったあと、ミカエルは拘束されて裁判にかけられた。
裁判でミカエルは、自分の行為は聖女を顕現させ国を繁栄させる善なるものだったと述べたが、当然理解されることはなく、八名の神官の殺害、さらにはグランホルム伯爵とその娘二人および屋敷の使用人数十名の呪殺まで判明し、極刑が言い渡された。
◇◇◇
処刑を待つ監獄の地下牢の中、ミカエルはぼんやりと壁を見つめて考えていた。
──あともう少しだったのに。
眠り薬の効果があれほど早く切れなければ、今頃自分とアリーセは聖大神官と聖女という特別な関係になれていた。
一年前、アリーセと親しくなったときのことを思い出す。彼女は傷心する出来事があったようで、光差す礼拝堂の中、沈痛な面持ちで祈りを捧げていた。偶然目にしたその横顔はとても儚げで美しくて、もっと見ていたいと思った。
さりげない風に装って彼女に話しかけ、また来るように言った。素直な彼女は言われたとおり翌週に再び神殿を訪れ、前回よりやや落ち着いた佇まいで礼を述べた。「大神官様のお声を聞くと心が穏やかになる気がします」と、まだ憂いを帯びた表情で。
そのとき、己の使命が分かったような気がした。自分がこの手でか弱い彼女を守らねばならない──。それまで大神官として大勢の不幸な人々に接してきたが、あれほどの庇護欲を感じたのは初めてだった。だから、きっと彼女が自分の運命の半身なのだと確信した。
そう分かると、見ているばかりでは物足りず、彼女に触れたい気持ちが高まった。心労でやつれていた彼女を神聖力で癒すという名目でその手に触れれば、自分よりもずっと小さく華奢な手がとても愛おしく思えた。自分の神聖力を注ぐことで彼女と深い繋がりができたように感じて、堪らず胸が高鳴った。と同時に、このとき彼女の特異な体質に気づいたのだった。
他者の神聖力を自分のものにできる力──まさに奇跡だと思った。聖職者に婚姻は許されない。しかし、彼女がこの特異体質であるなら、婚姻よりも強い絆で永遠に繋がっていられる。そう、聖大神官と聖女として。
しかし、計画を立てたあと、用事でしばらく王都を空けている隙にグランホルム伯爵と彼女の結婚が決まってしまった。そのことを知ったのは当日の夜で、あまりの怒りに我を忘れそうになった。
もし初夜で純潔を失うことで特異体質まで失うことになったら?
何よりあの醜い老人に清らかな彼女が汚されると考えるだけで耐え難い。
一刻も早く彼女を救わなければならない。
そう考え、グランホルム伯爵の殺害を決意した。
伯爵を殺すのは簡単だった。禁術となっている呪術を使えば、まるで発作を起こして亡くなったように死なせることができる。呪術の行使は自らの肉体も傷つけることになるが、癒しの力を持つ自分にとっては些末なこと。これほど楽な殺し方はない。さらに、夫殺しの容疑をかけられた彼女を真実の秘跡によって救い、これで憂いを取り除けたと思った。
しかし、伯爵の娘二人と屋敷の使用人たちも筆舌に尽くしがたい下衆だった。彼女への仕打ちを考えると、罰として惨い死が当然だと思った。だから再び呪術を使って彼らに罰を下した。
その後、しばらく経ってようやくアリーセが奉願の儀式のため神殿に居を移してくれ、計画が軌道に乗り出した。ここまでの間に、神官から神聖力を抽出して凝縮する方法を確立し、あとはさらに数をこなすだけだった。準備を進めるのにちょうど良い場所もあり、気掛かりなことは何もなかった。
それより、彼女が神殿から逃げることがないか、そのことのほうが心配だった。公爵から届いた手紙はすぐに破って燃やし、彼女の動向に常に気を配った。以前、彼女に渡していたペンダントには術がかけてあり、宝石を通じて視界や会話を把握できるようにしていたのが役立った。
そしてこの頃から、彼女への気持ちが日に日に強くなっていくのを感じていた。常に彼女のそばにいたい、もっと彼女に頼られたい、自分だけを見て依存してほしい。そう願うようになった。だから、今度は心魔を利用して彼女の心を揺り動かすことにした。
心魔を彼女の心に住まわせ、強い不安を引き起こした。そんな彼女に自分が浄化すると申し出て、弱い力で祝福した。心魔は浄化せず、少しの間抑えるだけ。彼女が不安を起こすたび、自分に縋ってくれることに喜びを覚えた。祝福をするたび、彼女の信頼が強くなっていくことが幸せだった。
──この日々が、彼女が永遠に手に入るまで、あと少しだったのに。
裁判での証言によれば、ミカエルに不信感を抱いた下級神官が神官の失踪について独自に調査していたらしい。そのうち一人は気づいて始末していたが、もう一人いたことを見抜けなかったことが悔やまれる。
おかげで公爵に密告されて計画は水の泡になり、もうすぐ自分は処刑される。このような結末になるのなら、初めから何もしないほうがよかったのだろうか。彼女も、こんなことをしなければ、いずれミカエルを愛していただろうと言っていた。
……しかし、それはきっとあり得ない。彼女へ向ける自分の愛は、確実に普通ではないから。
慈悲深い大神官でいるには常識が必須だ。その常識で考えれば、彼女への干渉が異常だったことは自分で理解できる。だから彼女を聖女にしようとしなかったとしても、いずれ酷く困惑させていただろう。
それなら、お互いしか理解者のいない関係になるために行動したことは間違いではなかったと思う。ただ、最後に賭けに負けただけだ。それに──予想外に得たものもあった。
指先をそっと唇に当てると、そこに触れた彼女の感覚を思い出す。あのとき即座に離れられなかったのは、咄嗟に頭が働かなかったからだけではなかった。早く体を離していれば、今のようなことにはならなかったかもしれないのに。
あの一時だけは儀式のことさえ忘れ、彼女をもっと感じていたいと思ってしまった。そのせいで破滅に向かうことになるなんて考えもせずに。
今思えば、まさに死へと誘う口づけだったが、それはそれで悪くないとも思ってしまう。
ミカエルが愉悦の笑みを漏らしたとき、鉄格子の外でカツンと靴音が鳴るのが聞こえた。靴音は次第に近づいてきて、ミカエルの牢の前でぴたりと止まった。
「そなたに聞きたいことがある」
「あなたは──」
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