第30話 救出
「遅くなってすまない。助けに来た」
「エドゥアルト……」
願ったとおりにエドゥアルトが現れるなんて嘘みたいだ。けれど、たしかに彼はここにいる。そのことに心の底からの安堵を感じ、真っ青だったアリーセの顔に赤みが差した。
「──公爵ともあろうお方が不法侵入とは。今は大事な儀式の最中なのです。お引き取りください」
儀式を邪魔されたミカエルが冷ややかな声を放つ。先ほどまで穏やかだった眼差しは、今はエドゥアルトへの敵意に満ちていた。
「儀式? こんな悍ましい場所で悪魔でも召喚するつもりか?」
「何を馬鹿な……」
「アリーセにこれほどの恐怖を与えたこと、決して許さない」
エドゥアルトが怒りをたぎらせた目でミカエルを睨む。しかしミカエルは動じることなく嘲笑を漏らした。
「あなたに許してもらわずとも結構です。それにこの儀式は公爵様にとっても喜ばしいことだと思いますが」
「は? どういうことだ?」
「この儀式によって、アリーセ様はこの国の聖女になられるのです。あなたもアリーセ様の晴れ姿をご覧になりたいでしょう? あらゆる人々から傅かれる気高い姿を。神官たちの神聖力を凝縮したこの霊薬を飲めば終わりですから、そこでご覧になって……」
「ふざけるな!」
エドゥアルトの拳がミカエルの頬を殴りつける。その重々しい一撃にミカエルの口から鮮血が滴り、真っ白な法衣に赤いしみを作った。
「……はっ、これだから野蛮な騎士は嫌なんです。危うく霊薬を落とすところだったではありませんか」
溜め息をつくミカエルの頬から殴打の痕がみるみる消えていく。平然としたその顔は痛みさえも感じていないようだった。
「神聖力の効果か……」
「神官は騎士に敵わないなどと思わないことです。特にここは神殿ですから」
ミカエルが口もとを綻ばせる。その様がやけに意味深で、訝しんだエドゥアルトが腰に佩いた剣に手を伸ばした。しかしその瞬間、ミカエルの手から明るい光が放たれる。
「クソッ……!」
エドゥアルトが剣の柄に手をかけるのと同時に、真下の床で魔法陣が輝いた。神聖文字が連なった光の鎖がエドゥアルトを襲って拘束する。その力の強さにエドゥアルトは堪らず苦悶の表情を浮かべた。
「ぐっ……」
「エドゥアルト!」
なす術なく苦しむエドゥアルトにミカエルが憐れみの眼差しを向ける。
「悪魔憑きを拘束する術です。さすがの公爵様でもお辛いのではありませんか? 抵抗すればするほど締めつけが強くなりますので大人しくしていることです。私が解呪しない限り、その鎖から逃れることはできません」
ミカエルの言ったとおり、エドゥアルトがもがけばもがくほど光の鎖はぎりぎりと体を締めつけた。両腕の袖が破れて血が噴き出し、アリーセが悲鳴をあげる。
「アリーセ様、邪魔が入ってしまって申し訳ありませんでした。儀式を続けましょう」
無力化したエドゥアルトから視線を外し、ミカエルがアリーセに霊薬の瓶を差し出す。
「さあ、霊薬をお飲みください」
「…………」
絶対に飲みたくなどないが、飲まなければエドゥアルトが苦しみ続けることになる。もう悩む時間は残されていなかった。
「──分かりました」
アリーセがミカエルの手から霊薬の瓶を受け取った。これを飲んでしまえば、もう只人ではいられなくなる。
「……最後にひとつ、よろしいですか?」
「ええ、何でしょうか?」
覚悟を決めたアリーセがミカエルの青灰色の瞳を切なげに見つめた。
「ミカエル様は私を愛していると仰いましたね。私も……優しいあなたに惹かれていました。もしあなたがこんなことをなさらなければ、私はきっとあなたを愛し、そばにいることを選んだと思います。でも、それだけではミカエル様には物足りなかったでしょうか?」
「──私は……」
ミカエルが珍しく狼狽えた瞬間、アリーセが霊薬の瓶を投げ捨てた。
「アリーセ様! 何ということを──」
そして慌てるミカエルの両頬を押さえ、彼の口に唇を重ねた。
「……っ!?」
驚きに固まるミカエルにアリーセはなおも口づける。すると、口づけを通してミカエルの神聖力が自分の体に流れ込むのを感じた。アリーセの意図に気づいたミカエルが急いで体を離すがもう遅い。
アリーセがミカエルから奪った神聖力を手のひらから放つ。神聖力の使い方は本の知識でしか知らないが、きっと上手くできる──そう信じて。
「解呪!」
アリーセの声とともに、エドゥアルトを締めつける鎖が消滅する。エドゥアルトが間髪入れず剣を取り、その柄でミカエルの鳩尾を突いた。
「うっ……」
神聖力を使う間もなく、ミカエルが気絶して床にくずおれる。エドゥアルトはミカエルが完全に気を失っていることを確認すると、アリーセのもとに駆け寄り、震える彼女の体を抱きしめた。
「アリーセ、大丈夫か!?」
「ええ、大丈夫よ……。ありがとう、エドゥアルト……」
安心しきった表情でそう呟いたアリーセは、エドゥアルトの腕の中でそのまま意識を手放した。
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