第23話 不快な薔薇
「公爵様、また来てくれたの?」
「お仕事いそがしいのに大丈夫なの?」
庭で遊んでいた孤児院の子供たちが愛らしく首を傾げてエドゥアルトに尋ねる。
「問題ない。俺が来たくて来ているからな」
エドゥアルトが答えると、子供たちは嬉しそうに笑ってまた追いかけっこへと戻っていった。
アリーセが姿を消したあとも、エドゥアルトはこうして孤児院を頻繁に訪れていた。子供たちの言うとおり、公爵であり騎士団長でもあるエドゥアルトは非常に多忙だ。だからいくらこの孤児院のオーナーとはいえ、毎日訪れる必要はない。誰か部下に任せて報告させればいいだけなのだから。
ただ、アリーセはこの孤児院の子供たちのことをとても気にかけていたから、つい自分の目で様子を確かめたくなるのだ。それに、もしかするとアリーセがここに戻ってくるのではないかと淡い期待も抱いてしまう。絶対に戻ることはないと分かっていながら、それでもほんのわずかな可能性を信じたくなってしまう。
(……神殿にアリーセ宛の手紙を送ったが、本人に届いているだろうか)
アリーセに会いに神殿まで赴き、ミカエル大神官から門前払いをくらったあと、エドゥアルトはアリーセとの面会を諦めることなく今度は彼女宛に手紙を出していた。しかし、数週間経った今も音沙汰がない。アリーセがあえて返事を避けている可能性もあるが、そもそも手元に届いていないことも考えられる。
それに少し調べてみたが、大神官が言っていた奉願の儀式というのは本来、三百万ゴールドの寄付を行った者にしか許されない儀式らしい。アリーセの実家の状況を考えれば、その程度の額でも寄付することは難しいはず。それなのに、なぜアリーセは神殿に受け入れられたのか。何事も例外はあるものだが、それがアリーセのこととなるとどうしても気になって仕方ない。
もし、アリーセが大神官に騙されているのだとしたら? 儀式のためという名目で神殿に──大神官に囚われているのだとしたら?
アリーセのことを心配するあまり、悪いほうに考えすぎているだけかもしれない。だが、それを確かめるにはやはり直接アリーセに会う必要がある。
(どうにかしてアリーセに会う方法はないだろうか)
この際、多少法に触れてしまったとしても構わない。それよりもアリーセが取り返しのつかない目に遭うほうが恐ろしい。ひとまず神殿の設計図でも手に入れられないだろうかと考えていると、ぶわりと立ちのぼる嫌な薔薇の芳香に気づき、エドゥアルトは思いきり顔をしかめた。
「ふふっ、ここに来ればあなたに会えるから便利ね」
振り返れば思ったとおり、第一王女ベルタが傲慢な笑みを浮かべて立っていた。孤児院には明らかにそぐわない胸元がざっくりと開いたドレスを纏っているのが、他者のことなど一切気にしない彼女の性格が表れていてげんなりする。庭にいた子供たちもベルタを恐れて建物の中に戻ってしまった。
「ここにはもう来ないでくださいと申し上げたはずですが」
「わたくしは好きなときに好きな場所に行くわ。わたくしに来てほしくないなら、あなたがここに来るのをやめるべきね」
「私はこの孤児院のオーナーです」
「わたくしはこの国の王女よ」
まったく話の通じないベルタに苛立ちを覚えていると、ベルタは悠然とエドゥアルトのほうへ歩み寄り、至近距離で彼の顔を見上げた。
「わたくしと結婚したいくせに。その冷たい態度は照れ隠しなのかしら?」
ベルタがエドゥアルトの頬に触れようと手を伸ばす。しかしエドゥアルトは一歩下がってベルタの手から逃れた。
「それは誤解です。私はあなたと結婚したいと思ったことなど一度もありません」
無感情な声でそう告げられ、ベルタは美しく整えられた眉を思わずひそめた。
「は……?」
ベルタの反応に構うことなく、エドゥアルトは淡々と話を続ける。
「殿下は私と陛下の話の一部を聞いて勘違いされたようですね。内密な話ですので詳細は明かせませんが、殿下との結婚の申し込みでないことは確かです。私が結婚を望むのは殿下ではない女性ですから。ですのでこれ以上私に構うのはおやめください。時間の無駄でしかありません」
王女がここに来るたびに、強い薔薇の芳香がアリーセの残り香まで消し去ってしまいそうで不快だった。一刻も早く立ち去ってほしくて厳しい言葉で拒絶すれば、ベルタは丸出しの肩をわなわなと震えさせた。
「時間の無駄ですって……!?」
「殿下のためにも申し上げているのです。女性の婚期は男性より短いでしょう?」
一般的にそれは事実だ。女性の婚期は男性と比べて非常に短く、王族も例外ではない。図星を指されたベルタは、薔薇色の頬を怒りでさらに紅潮させた。
「何ということを……! これほど無礼な男とは思わなかったわ! あなたこそ望む女を手に入れられずに後悔の涙を流すといいわ!」
ベルタはそう捨て台詞を吐くと、ドレスの裾を勢いよく翻して去っていった。
「……これでもうここにも来ないだろう」
今までは一応身分を尊重して接していたが、アリーセがいなくなったのは彼女が起こした騒動のせいだったのではないかと思うとへりくだるのも馬鹿らしく、つい言葉が悪くなってしまった。プライドの高いベルタにとっても、今の言葉は我慢ならないものだったはず。それで自分への所有欲を失ってくれれば儲け物だ。
エドゥアルトは薔薇の香りが漂う一画から遠ざかり、再びアリーセのことを考え始めた。
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