第18話 招かれざる客
孤児院の庭に子供たちの賑やかな声が響く。鬼ごっこではしゃいでいる楽しそうな声。鬼役は孤児院の職員で、もちろんアリーセもその鬼の一人だ。
「アリーセ様、こっちだよー!」
「ミーナの足が速すぎて追いつけないわ!」
「おい、アリーセ様がかわいそうだから、わざとつかまってあげようぜ」
「ヨナスったら、そんなこと気にしないで思いきり逃げなさい!」
子供たちに運動神経の差を突きつけられたり、優しく手加減されたりしながら、アリーセは庭中を駆け回った。先日のエドゥアルトとの外出以来しばらく落ち込んでしまっていたが、こうして体を動かしたり、子供たちの弾けるような笑顔を見ていると、鬱々とした気持ちも軽くなってくる気がする。
(──とはいえ、さすがにそろそろ体力の限界だわ……!)
アリーセもまだ十代ではあるはずなのに、子供たちの元気さには全然敵わない。少し立ち止まって息を整えていると、カイが手を挙げて子供たちに合図した。
「ねえみんな、ちょっと休憩しよう?」
おそらくアリーセの様子を見て気遣ってくれたのだろう。気配りのできる優しい子だ。他の子もはじめは「え〜!?」と声をあげていたが、次第にカイの意図に気づいたらしい。「そういえば喉が乾いたなあ!」「汗かいちゃった〜」などと言いながら木陰のあたりで座り始めた。皆、少しわざとらしいのが可愛いらしい。他の職員たちも実はかなり疲れていたようで、明らかにホッとした様子で休み始めていた。
「アリーセ様、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。気にしてくれてありがとう、カイ」
心配そうに駆け寄ってきたカイに、アリーセは笑顔で礼を言う。
「もっと体力をつけないとだめね。みんなと遊べなくなっちゃうもの」
「でも、アリーセ様は勉強も教えてくれるし。それに走らなくても一緒に遊べるよ。ほら、見てて」
そう言って、カイは近くの雑草をむしって口に当てると、勢いよく息を吹いた。カイの息に合わせて草が「プー」と可愛らしい音を立てる。そうして何か曲のようなものを奏でると、カイが得意げに笑った。
「ね、外でも座って遊べるでしょ?」
「……本当ね。とっても楽しいわ」
アリーセの脳裏に昔の思い出が蘇る。幼い頃、エドゥアルトもこうやって草笛を吹いて見せてくれた。カイのようにどこか得意げな表情を浮かべながら。
「ねえ、アリーセ様もやってみて!」
「そうね、どの草がいいかしら」
アリーセが草笛によさそうな雑草を探していると、頭上から数日ぶりに聞く声が降ってきた。
「カイ、アリーセは草笛がすごく苦手だぞ」
「あ、公爵様!」
「エドゥアルト……?」
顔を上げれば、そこには先日ひどい別れ方をしたエドゥアルトが立っていた。ただ、彼のほうには気まずさはなく、まるで何事もなかったかのようだ。
(傷ついていないのならよかったけれど……。そのことに傷ついてる私はどうしようもなく最低ね)
複雑な思いで見つめていると、エドゥアルトがカイの頭にぽんと手を置いてクシャクシャと撫でた。
「わ、何するの公爵様……!」
「カイはアリーセを笑わせるのが上手いな。これからも頼むぞ」
「もちろんだよ。僕、アリーセ様のこと大好きだから」
自信満々に言うカイの姿に、エドゥアルトが懐かしいものを見るように目を細めた。
「……いい子だ。今、美味しいお菓子を持ってきたからみんなで食べよう」
「わーい! ちょうどお腹が空いてたんだ! アリーセ様も一緒に食べよう」
「そうね、行きましょう」
アリーセがカイと一緒に立ち上がり、建物の中に戻ろうとしたとき。突然、孤児院には咲いていないはずの薔薇の香りが立ち込めた。そして堂々とした女性の声が響く。
「へえ、ここがエドゥアルトの孤児院なのね。いいんじゃない? あんまりパッとしないけど」
「王女殿下、なぜここに……?」
突然現れた女性は、リンドブロム王国の第一王女ベルタだった。薔薇のように赤い髪を手でかきあげ、高いヒールで孤児院の庭を闊歩する。そうして怪訝な顔をするエドゥアルトの腕を取って、ぎゅっと握りしめた。
「だって、未来の夫が経営する場所だもの。ちゃんと見ておかないと」
「未来の夫……?」
思わず呟いてしまったアリーセをベルタが横目で見て笑う。
「そう、今日エドゥアルトがお父様に話をしに来てね。二人で何か話していたんだけど、『結婚』って言葉が聞こえてきたの。ねえエドゥアルト……あなた、わたくしとの結婚について考え直してくれたんでしょう? そのこと以外に考えられないもの」
「その話は……」
エドゥアルトが口を濁し、気まずそうにアリーセに視線を向ける。違うなら否定すればいいのにそれをしないエドゥアルトを見て、アリーセはすべてを悟った。
(……ああ、私が拒絶したから、彼は王女殿下と結婚することにしたのね)
エドゥアルトは若くて見目麗しい独身公爵。王女の降嫁先として申し分なく、元々そういう話があったと聞く。だから何も不思議なことではないし、おめでたいことだ。
けれど、抑えることのできない胸の痛みを感じて咄嗟に俯いてしまう。するとベルタがアリーセを見て「ああ」と声をあげた。
「あなた、あのグランホルムの未亡人ね。地味な格好だから平民かと思ってしまったわ。やっぱり未亡人って幸薄そうな顔してるわね」
「殿下! おやめください!」
ベルタの暴言をすかさずエドゥアルトが諌めたが、ベルタは気にもとめていないようだった。
「エドゥアルト、あなたもこんな女はやめて正解だったのよ。グランホルムと同じく、あなたまで不幸にされるところだったわ。孤児院からも早く追い払ったほうがいいんじゃないかしら?」
「何ということを……!」
ベルタの言葉がアリーセの胸に突き刺さる。やっぱり、アリーセは周りからそう思われているのだ。
現実を目の当たりにして、思わず目が潤んでしまう。すると、今まで黙って俯いていたカイが大きな声で叫んだ。
「やめてください! アリーセ様がいなくなったら嫌です!」
「カ、カイ……!」
アリーセが慌ててカイを引き寄せるが、カイは止まらない。
「ぼくたちみんなアリーセ様が大好きなのに、王女様はどうしてそんなひどいことを言うんですか……!?」
カイの心の叫びをぶつけられたベルタはひどく冷たい目つきをすると、エドゥアルトの腕を離してカイに近づいた。
「お前、カイというのね。この無礼者」
ベルタが手に持っていた扇子でカイの頬を無造作に打つ。柔らかな頬はみるみる赤くなって、カイはその場で泣き出した。
「い、痛いよぉ……!」
「カイっ!!」
「王女殿下……!」
エドゥアルトが慌ててベルタをカイから引き離す。アリーセは急いでカイの頬の腫れを確かめると、ベルタを強く睨みつけた。
「まだ幼い子に何をなさるのですか!?」
「あら、まだ幼いから首を刎ねるのは見逃してあげたのよ」
「王女殿下ともあろうお方が……! 今はこの子の手当てをしなければならないので失礼いたします……っ」
アリーセはカイの手をしっかりと握ると、泣きじゃくるカイに慰めの言葉を掛けながら孤児院の中へと入っていった。
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