第28話 やっぱり現場が
四日目の撮影は、アーケードによって雪から守られた、道枝商店街のシーンから始まった。
近隣の駐車場に車を停めて、岳登たちが商店街の入り口に辿り着いた頃には、既に栞奈と秀新大学の映研の学生、さらに数人のエキストラが待ってくれていた。商店街でのシーンを撮影するのに、キャラクター以外人っ子一人いないのはおかしいし、撮影している間人が入ってこないよう、人止めをする人間も必要だ。
わざわざ寒い中待ってくれていたのだから、全員が集まった状態で岳登は一言挨拶をする。「一緒に良い撮影にしましょう」と声をかけると、現場の士気が上がるのが、岳登には目に見えるようだった。
夕帆たちキャストが到着するまでの間、スタッフは機材のセッティングを始める。その間に篠塚が岳登と話し合いながら、エキストラに動きをつけていく。篠塚は慣れていたから、夕帆たちキャストが衣装に身を包んでやって来た時には、既にどう動けばいいのか、エキストラ全員の段取りは終わっていた。自分が細かく指示を出さなくても、イメージ通りの画が撮れるように動いてくれる篠塚の存在は、岳登にとっては心強いことこの上ない。
「監督、少しいいですか?」
そう望美が岳登に声をかけてきたのは、最初のシーンの段取りが終わった頃だった。夕帆たちに軽く演技指導をしてから、岳登は移動撮影に使う車椅子に座ったままの望美のもとへと向かっていく。
「どうしましたか?」
「今、一回このシーンを撮ってみて思ったんですけど、まだ少し画面が暗くないですか?」
望美が抱いた疑問は、岳登も多少なりとも感じていた。アーケードの上にはまだ雪が溜まっていて日の光を吸収してしまっているし、これから撮ろうとしているのは、歩きながら会話をする夕帆と椎菜をフルショットで捉えるシーンだったから、星名にレフ板を持たせて近くを歩かせるわけにもいかない。
「それは僕も思いました。二人の表情が少し捉えづらいなとは」
「そうですよね。私はもう少し画面を明るくしたいんですけど、監督はいかがですか?」
「僕も今よりも明るい方がいいです。どうでしょう? ISO感度を上げるというのは」
「いえ、それだと画面にノイズが入ってしまうので、できれば私はやりたくないです。これ以上絞りを絞るのもぼやけた画になってしまうので、シャッタースピードを1/50にまで落として対応したいんですけど、監督的にはそれでも大丈夫ですか?」
シャッタースピードは、カメラのシャッターが開いている時間のことだ。遅くなれば多くの光量を取り入れられるが、その分被写体のブレも大きくなる。でも、夕帆や椎菜たちの今の歩行速度だと、そこまで気になるほどのブレも生じないだろう。
「はい。では、次の段取りは一回それで撮ってみてください。何か違うなと思ったら、また修正しますので」
「了解です」。望美はカメラに目を落として、設定を変え始める。変更後に見た画面は、確かに明度が上がっていて、岳登がイメージしている通りの画に近かった。
カメラの設定を確認すると、望美は市原に車椅子を押されてスタート位置へと戻っていく。エキストラも含めて全員の準備が再び完了したところで、篠塚が現場全体に聞こえる声で「段取りー!」と発し、岳登も同じ声量で「よーい! スタート!」と呼びかける。
演技を行う夕帆たちを、岳登はモニターを通して確認した。明るさが増して見やすくなった画面は、人物も思っていたほどブレていない。
「カット!」と言って、岳登は段取りを終わらせる。カット割りの整理のために、夕帆たちが待機場所である葵座の隣のオフィスに戻っていくと、岳登は何よりも先に望美に「今の設定で本番もお願いします」と声をかけた。「はい」と頷いた望美の表情には、確かな手ごたえが浮かんでいた。
「では、このシーン埋まりで、午前中の撮影は以上になります。エキストラの皆さんは本日の撮影は終了となります。お忙しい中ありがとうございました。キャストやスタッフの皆さんは昼食休憩を挟んで、一時半からまた撮影を再開します。葵座の隣のオフィスにお弁当が置いてあるので、各自持っていってください。では、午後の撮影もよろしくお願いします」
篠塚がそう言うと、朝から三時間以上撮影を続けていた現場は、ようやく一息つく。栞奈がエキストラたちをまとめ帰路につかせる一方で、岳登たちは機材を持って少し離れたところにあるオフィスに向かった。オフィスには人数分のパイプ椅子が借りられており、岳登たちは腰を下ろして昼食を摂ることができる。今日の弁当は焼肉弁当とサバの味噌煮弁当の二種類で、岳登は焼肉弁当を選んでいた。
「監督、午後の撮影についてちょっと確認したいことがあるんですけど、いいですか?」
焼肉弁当を食べ始めた岳登に、望美が話しかけてくる。手に持つサバの味噌煮弁当から、文字通り味噌の匂いが香っていた。
「あっ、食べながらで大丈夫です。時間もあまりないですし」
「分かりました。何でしょうか?」
「はい。次のシーンの撮影ってカメラをパンさせますよね。そのパンって、ゆっくりやっても大丈夫ですか?」
「それはどれくらいの速度ですか?」
「監督は先ほど三秒くらいかけてほしいとおっしゃってましたけれど、私はもっとゆっくりやってもいいと思うんです。具体的には五秒ぐらいかけさせていただきたいなと」
「なるほど、確かにそれもアリかもしれませんね」
「はい。私としてはもっとこのオフィスを見せたり、焦らすような感じを出したいので。なので、次のシーンはゆっくりパンする方向で試させてもらっていいですか?」
「分かりました。では、三秒のパンと五秒のパンの両方を試してみて、どちらがいいか決めていきましょう」
「了解しました」
話しながらも、二人は食べる手を止めなかった。食べながらするような話ではなかったが、この弁当を食べ終えたら午後の撮影に向けて確認しなければならないことは数多くあるので、仕方がなかった。
「あの、監督。一つ謝らせていただいてもよろしいですか?」
「謝るとは何をですか?」まったく心当たりがなかったから、岳登の声は少しとぼけた雰囲気を帯びてしまう。望美はここまで大きなミスもなく撮影をしてくれているし、積極的な提案によってショットのクオリティを上げることにも貢献している。だから、謝る理由なんて少なくとも岳登には見当たらなかった。
だけれど、望美は箸を動かす手を止めて、改めて岳登の方を向いている。
「今回の撮影のオファーをいただいた時に、一回断ってしまって申し訳ありませんでした」
小さく頭を下げる望美。でも、それは岳登にとっては、謝罪されるほどのことではなかった。最終的に決まったとしても、断られることの一度や二度くらい珍しくはない。
「いえ、そんなことでしたら全然気にしてないですよ。沼田さんもお忙しいんでしょうし、むしろ一回で決まることの方が少ないですから」
「……いえ、そういうことじゃないんです。本当は私、最初の段階でオファーを受けることだってできたんです」
「……それはどういったことでしょうか?」望美の言葉が意外に感じられたから、岳登の返事も図らずも追及するような響きを持ってしまう。望美はかすかに目を伏せた。
「私、全然忙しくなんてないんです。実はこの撮影が始まるまでは、半年以上どこの現場にも入っていなかったんです」
「……それは少しお休みされていたという意味ですか?」
「いえ、単純に仕事がなかったという意味です。以前から私は決して人気のあるカメラマンではなかったんですけど、ここ最近はそれに拍車がかかってしまっていて。撮影の現場自体今年でまだ二度目ですし、ずっとバイトして、何とか生計を成り立たせている状態なんです」
「どうしてですか? 沼田さんは腕も立ちますし、良いカメラマンなのに」
「お褒めいただきありがとうございます。でも、仕事がないってことは、監督がするほどの評価は私は業界からいただけていないんだと思います。今はどんどん若いカメラマンが出てきてますから。私よりも腕が立つとなると、彼ら彼女らを選ばない理由がないですよね。仕事を取られるのはもちろん悔しいんですけど、どこかで仕方がないなと納得してしまっている自分がいるんです」
「そんなことないですよ」とっさに声をかけた岳登にも、望美の表情は完全に晴れることはなかった。撮影の仕事をしたいと望みながらも、アルバイトで食いつないでいる望美の心情の全てを、把握することは岳登にはできなかった。
「だから、今回オファーをいただいたときは当然嬉しかったんですけど、同じくらい不安な気持ちもあったんです。久しぶりの現場で、しかも一人でちゃんと仕事ができるだろうかって。その不安があまりにも大きくなってしまって、気づいたら断ってしまっていました」
「……では、どうして僕たちのオファーを受けてくださったんですか?」
「一番はまた撮影に参加したいという気持ちからですかね。大変なことも多いですけど、やっぱり現場が好きだなという思いはずっと感じていましたから。私のことを知ってくださっている成海監督だったからというのも大きかったですし、ここで逃げたら、私はもう二度と映画の現場に入ることができない気もしたので。考えれば考えるほど、断る理由がないなと思ったんです」
徐々に熱を帯び始める望美の声を、岳登は一言一句聞き漏らさなかった。望美が本音で喋ってくれていることは十分すぎるほど分かったし、久しぶりの撮影に岳登だって同じような不安を抱えていた。気がつけば、視線を上げた望美と目が合っている。気恥ずかしさをごまかすための微笑みは、お互いに必要なかった。
「だから、私には今回の撮影はとても大事なんです。少しでも良いシーンが撮れるように、カメラや構図のことも短い時間でしたけど一から勉強し直しました。この映画にこれからのカメラマン人生が懸かっている。そういう意気込みで、私は今回の撮影に臨んでいます」
望美の覚悟を目の当たりにして、岳登は改めて身が引き締まる思いがした。映画は一人では作られない。どんなに小さな映画でも、そこには制作に関わった全ての人間の人生が乗っかっている。そんな当たり前のことを、今さら思い知った。
「ありがとうございます。沼田さんがそれぐらいの気持ちを持って来てくれたこと、僕も嬉しいです。今良いシーンが撮れているのは、沼田さんのおかげでもありますし、積極的にシーンを良くするための提案をしてくれて、僕としても助かっています。改めてですけど、残りの撮影期間もよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
望美はやはり微笑むことはなかった。でも、使命感に満ちた表情をしていたから、岳登も心の深い部分で納得することができる。きっと今後の撮影でも、心強い存在となってくれることだろう。それぞれの食事に戻る二人。撮影に関係した話を少ししていると、岳登の中で撮りたい画はより明確に固まっていっていた。
(続く)
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