第26話 失敗は誰にでも



 熟睡している岳登を起こしたのは、枕元に置いたスマートフォンの着信音だった。デフォルトの着信音に、岳登は嫌でも目が覚めてしまう。電話をかけてきたのは篠塚。無視することもできなくて、岳登は寝そべりながら電話に出る。薄目で見た机の上の時計は、まだ朝の六時にもなっていなかった。


「もしもし、成海さん。今起きてましたか!?」


「いや、お前の電話で叩き起こされたよ。で、何? 何の用? 俺、まだ眠いんだけど」


「成海さん、窓の外を見てください! 今すぐ!」


 篠塚の声が急を要していたから、岳登は仕方なくベッドから起き上がる。暖かい部屋の中を、窓に向かって歩いていく。そして、カーテンを開けた瞬間、目に入ってきた光景に岳登の目は一気に覚めた。


 窓の外では雪が降っていた。いや、降るなんて生易しいレベルではない。寝る前は降る気配すらなかったのに、今は既に道路に雪が積もってしまっている。一粒一粒が大きい雪が、風にびゅうびゅうと煽られる様は、もはや吹雪といって差支えないだろう。岳登は青ざめてしまう。昨日見た天気予報では、降水確率は二〇パーセントしかなかったというのに。


「成海さん、見ました? 外、めっちゃ吹雪いてますよね」


「ああ、大雪だ。昨日の時点じゃ、こんなに降るなんて一言も言ってなかったのに」


「どうします? 一応聞きますけど、この雪じゃ撮影は……」


 岳登は今一度窓の外を見つめる。雪は少しも降りやむ気配を見せていない。


「まあ外での撮影はできないだろうな。予定を変えるしかない」


「変えるって言ったってどうするんですか? 今日は葵座は閉館後しか使えませんよ?」


 岳登は必死に頭を回す。吹雪いているショックで頭はばっちり覚めていた。


「篠塚、確か舞の部屋って、今日から借りられてるよな?」


「はい。今日セッティングで、明日撮影っていう予定でしたけど」


「予定変えよう。今日、舞の部屋でのシーンを撮影して、外でのシーンはまた別の日に回す。できそうか?」


「はい。今から香盤表と撮影スケジュールを組み直してみたいと思います」


「ああ、頼むわ。俺も今からそっち行くから」


 電話が終わると、岳登はすぐに寝間着から着替えた。まだ集合までには時間があるが、突然の変更なのだから事は一刻を争う。着替え終わった岳登はカーテンを閉めると、すぐに部屋の外に出た。篠塚の部屋に行くまでに、もう一度スマートフォンの天気予報をチェックする。降水確率は打って変わって、正午まで一〇〇パーセントという予報が出ていた。




 篠塚とともに新しい撮影スケジュールを検討している間も、岳登の電話は何度も着信音を鳴らしていた。少しずつ起き出して、事態に気づいたキャストやスタッフが電話をかけてきたのだ。岳登も全員が所属しているグループラインで〝外が吹雪いているから、今日の撮影予定を変える〟と第一報を送っていたのだが、それではスタッフやキャストの不安は収まらなかったらしい。岳登は逐一今撮影スケジュールを組みなおしているから、もう少し待ってほしいことを伝えた。


 篠塚と検討を重ねて、ひとまず新しいこの日の香盤表と撮影スケジュールができたときには、時刻は既に八時を回っていた。岳登はその新しい二つを、PDFファイルの形でグループラインに貼りつける。岳登が起きてからおよそ二時間が経ったけれど、窓の外で吹き荒れる吹雪はまだ弱まるところを知らない。


 だからこの日は舞の部屋の撮影がメインに変わった。セッティングの時間も入れて午前一一時から撮影を始め、外が明るいうちに部屋のシーンを撮り終えて、休憩を挟みつつ、閉館後の葵座でも撮影するというスケジュールだ。舞の部屋でのシーンは、全て夕帆の一人芝居なので、安形たち他のキャストは夜までホテルで待機することになる。それは岳登にとっては少し心苦しかったが、安形たちは快く変更を受け入れてくれていた。


 篠塚が香盤表を印刷して配って、すぐに岳登たちはホテルを出発した。先発隊は岳登、篠塚、市原、それに部屋の美術担当の秋代の四人だ。あらかじめ秋代の部屋に置かれていた本や雑貨などの小道具を車に積みこみ、岳登たちは榎の運転のもと、車で一〇分ほどかかる舞の部屋へと向かう。しかし、視界が悪く徐行運転で、道も軽く渋滞していたこともあり、到着までには二〇分以上もかかってしまう。


 岳登たちが舞の部屋がある三階建てのアパートに到着したときには、既にアパートの前に一台のトラックが停まっていた。撮影用にソファやベッドといった家具をレンタルしている会社のトラックだ。


 榎がホテルに戻っていくと、岳登たちはさっそく部屋のセッティングを始める。まず大きめの家具やテレビや洗濯機といった家電を、何もないまっさらな部屋へと運び込んでいく。秋代(正確には秋代の知り合いのグラフィックデザイナー)が作成したイメージ写真の通りに、セッティングを整えていく岳登たち。カーペットを敷き、カーテンを取り付け、家具や家電を所定の位置に配置していく。


 次発隊でやってきた望美や星名、伴戸も部屋のセッティングを手伝う。何人もの力を合わせて協力していくうちに、部屋はみるみるうちにできあがっていった。

事前に設定していた部屋着に着替えた夕帆が、和花とともにドアを開けて入ってくる。その頃には部屋のセッティングは、大方完了していた。


 淡い水色でまとめられた室内には、少し元気をなくしているという設定の舞を表現するように、ベッドの上には脱いだ洋服が散らばり、テーブルの上には酒の空き缶が並び、キッチンのシンクにはまだ洗っていない設定の食器がいくつか重ねられていた。本棚には女性漫画が並び、閉められたカーテンの前には、シャツや下着がいくつか吊るされている。1LDKの部屋は物が少なくない分圧迫感があって、岳登や秋代がイメージした通りの生活感に溢れていた。何も知らない人間がこの部屋を見たら、少し顔を引きつらせるだろう。


 でも、事前にイメージ写真を確認していた夕帆は、入って部屋を一目見るなり微笑んでいた。それは舞の部屋が上手く構築できたことを示していて、岳登も秋代と目を合わせて、自然と笑みをこぼしていた。


 モニターの中では、夕帆が演技をしている。一人でコンビニエンスストアの弁当を食べる寂しいシーンだ。カーテンを閉め切って照明をわずかに落とせば、昼間の撮影でもモニター越しでは夜に見える。時折スマートフォンを操作しながら、コンビニ弁当を食べ続ける夕帆。ここは編集で、実家で暮らす母親とのラインのやり取りを表示する予定だ。だから少し長めに撮っておく必要がある。夕帆がスマートフォンを机に置いてため息をつく。


 シーンが終わって、岳登は少ししてから「カット」と、無線に向かって告げた。同じく無線から篠塚の「はい、カット!」という声が聞こえてくる。物に溢れた舞の部屋にはモニターを設置できる場所がなくて、岳登たちは同じアパートの空いている部屋をもう一室借りて、映像のチェックに使っていた。


「OK」と、もう一度無線に向かって口にする岳登。すると無線を通して「このショットOKで、これでシーン18は撮影完了となります! では、ここで三〇分の昼食休憩を入れます! お弁当が一〇五号室に置いてあるので、皆さん取りにいってください!」という篠塚の声が聞こえた。時刻は昼の二時頃。少し遅めの昼食休憩だ。


 間もなくして、望美や星名といった撮影部が続々と、岳登のいる一〇五号室にやってきた。市原が段ボールに入ったお弁当をスタッフに渡していく。一〇五号室には敷物も岳登以外の椅子もないから、スタッフたちは床に直に座って弁当を食べるしかなく、申し訳ない感覚が岳登にはした。


 だから、岳登は市原から唐揚げ弁当とペットボトルのお茶を受け取ると、床に座って弁当を食べているスタッフのもとへと向かっていく。「ここ座っていいですか?」と、伴戸に声をかける。まさか話しかけられるとは思っていなかったのだろう。顔を上げた伴戸は、鳩が豆鉄砲を食ったような目をしていた。でも、伴戸の立場からしてみれば、断れるはずがない。自分がそのパワーバランスを利用している気がして、岳登は少しバツが悪かったけれど、伴戸とコミュニケーションを取るためにはそんなことは言っていられなかった。


「いかがですか? その生姜焼き弁当、美味しいですか?」


 こんなときに、少しも気の利いた言葉を言えない自分を岳登は恥ずかしく思う。もっと話すべきことはあるはずだ。


 案の定伴戸も、「は、はい。美味しいです」としか答えられていない。でも、それ以上続いたとて「唐揚げ弁当はどうですか?」「美味しいです」ぐらいにしかならない話題なのだ。岳登は「そうですか」と微笑んで、会話の糸口を探る。伴戸は遠慮深そうに、生姜焼きに箸を伸ばし続けていた。


「伴戸さん、改めてありがとうございます。今回人手が足りてない中で、録音を引き受けてくださって」


 唐揚げ弁当を食べる手を止めて、岳登は再び伴戸に話しかける。録音は映画の印象を左右する重大な要素だから、感謝を伝えるのに恥ずかしさはなかった。


 伴戸も生姜焼き弁当を食べるのをやめて、照れくさそうな顔を岳登に向けている。


「い、いえ、お礼を言うのは僕の方ですよ。学生映画しか経験していない僕を信じて依頼してくださって、こちらこそありがとうございます」


「はい。僕たちとしても伴戸さんがいてくれて、とても助かってます。音は映画の印象を決める大事なポイントですから。そこに専門のスタッフを置けて、とてもありがたいです」


 嘘のない言葉を岳登は口にしたつもりだ。でも、伴戸は岳登から微妙に視線をずらしてしまっている。


「あ、あの、初日はすいませんでした。僕のせいで撮影が遅れてしまって。本当にどう償ったらいいのか……」


 声を絞り出すかのように謝る伴戸に、岳登は一昨日のことを思い出す。


 初日の伴戸はガンマイクがカメラに入ってしまったり、録音した音源に必要以上にノイズが入っていてしまったりと、不慣れな故のミスを何回か起こしていた。確かにそれが予定していたシーンを撮れなかった一因となったことは否めない。


 でも、岳登には伴戸を責める気は起こらなかった。誰もが失敗を繰り返しながら成長していくのだ。伴戸だけが特別じゃない。


「いえいえ、そんな償うなんて。失敗は誰にでもあるものですから。そんなに気に病まなくて大丈夫ですよ」


「で、でもコネで現場に入ったアマチュア野郎とかって思われてないですかね……」


「伴戸さん、どうしてそこまで自分のことを卑下するんですか。誰もそんなこと思ってないですよ。それに昨日今日と、大きな失敗もなくこれてるじゃないですか。伴戸さんは十分すぎるぐらい、僕たちの映画制作の役に立ってますよ」


「そ、それはさすがにこれ以上の迷惑はかけられないので……」


「伴戸さん、あれぐらいのミスは迷惑のうちに入りません。僕が今まで入った現場でも比べ物にならないトラブルはいくらでも起こってきましたし。誰もが上手くいかないことはあります。それをフォローし合って、どうにか完成に向かっていくのが映画の現場ですから」


「……ありがとうございます。わざわざ気を遣って励ましてくださって」


「いえいえ、これくらい当然のことですよ。監督という立場にある以上、スタッフとコミュニケーションを取って、同じ方向に向かわせていく責任がありますから。どうですか? 午後からの撮影も頑張れそうですか?」


「はい。僕に任された録音の仕事を、精いっぱい全うしたいと思います」


 爽やかな言葉とは裏腹に、伴戸の表情は完全に晴れ渡ってはいなかった。これからの撮影にまだ少なからぬ懸念を抱いているのだと岳登は察する。行き過ぎた自信は慢心となり、かえって失敗のもとになる。懸念を感じて、気を引き締めているくらいがちょうどいいのだ。


 岳登は伴戸に微笑みかけて、再び唐揚げ弁当を食べ始める。同じく食事に戻った伴戸と食べ終わるまで、できる限り他愛もない話をした。伴戸も言葉に詰まる回数は、少なくなってきた。窓の外はまだ厚い雲が垂れこめていたものの、あれだけ吹雪いていた雪はいつの間にか止んでいた。



(続く)

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