第25話 ちゃんと声を
二日目の撮影は、夕帆がスクリーンで映画を観るシーンから始まった。
引きの画も撮るから、夕帆一人きりというわけにもいかず、当然他の俳優やエキストラを使わなければならない。既に前日長野に到着していた常連役の俳優や、集まってくれた数人のエキストラたちに、篠塚が中心となって座る位置や、映画が終わった後に席を立つタイミングなどの芝居をつけていく。機材のセッティングや構図の検討も、昨日一日だけだけれど一緒にやったおかげで、多少ではあるが速くなった。それは岳登にも少しの心のゆとりを生み、より広い範囲に目を配ることができるようになっていた。
「カット!」
最初の引き画のショットから、撮影は夕帆だけを映したワンショットへと進んでいた。自分の想像よりもいい画が撮れた実感があるから、声にも自然と気力が漲る。
それは夕帆の演技に加えて、照明を担当している星名の手腕も大きかった。スクリーンから発せられる光だけでは夕帆の表情を捉えるには不十分だから、ここはとりわけ照明の見せ場となる。星名は観ている設定の映画を事前に研究してくれていて、シーン中にも細かく照明の程度や色合いを変えていた。それは岳登にとっては違和感がない以上に、夕帆の表情をよく捉える感動的なもので、観客にも同じ感動が伝わるだろうと感じられる。
スクリーン内のシーンを撮り終わったタイミングで、岳登は星名に声をかける。素晴らしい照明だったことを伝えると、星名は少し照れくさそうに微笑んでいた。
『金子さん、笑わないで聞いてもらえますか?』
『うん、何?』
『俺、将来映画を作る人になりたいんすよ』
『……唐突だね』
演技をする夕帆と安形を、岳登はモニター越しに見つめる。このシーンは、開館前に舞と創羽がロビーの清掃をしているという設定だ。小道具には実際に、葵座で使用されているバケツとモップを借りている。二人はモップを動かす手を止めない。あくまで何気ない会話の延長線上だと言うように。
『本当に笑わないんすね。もっと小馬鹿にされるのかと思ってました』
『私を何だと思ってんの。どんな夢でも、夢を語る人を笑うわけないよ』
『でも、何言ってんだこいつって感じじゃないすか。そんなに映画作りたいんなら、東京の大学や専門に行っとけって話じゃないすか』
『別にそんなことはないと思うけどな。今はどこにいたって、スマホ一台で映画が撮れる時代でしょ』
モップがけに勤しむ二人の視線は合わない。お互いに独り言を言っているかのように。 夕帆はちゃんとシーンの意図を理解して、あからさまにテンションを上げない演技をしていて、安形の演技もどこか淡々としていた。そこまで感情を昂らせるようなシーンではないから、二人の演技は岳登の目には好ましいものに映る。安形も昨日一日現場に入ってみて、多少なりとも慣れてきたらしい。
シーンが終わってから数秒した後に、岳登は「カット」と告げた。篠塚がより大きな声で、同じ内容を現場中に知らせる。夕帆と安形がモップがけをやめて、岳登の方を向く。
「OK!」
高らかに宣言するように言った岳登に、「では、このショットOKです!次、ショット3の準備します」と篠塚が続く。OKの安堵感に浸る間もなく、手早く次のシーンの準備を始めるスタッフたち。
カメラや照明がその位置を移動している間、岳登は台本を確認している安形のもとに向かった。岳登が近づいてきたことに気づいて、安形はおっかなびっくりという顔をしていた。
「安形さん、そんな警戒しなくても大丈夫ですよ。今の演技、よかったです」
他でもない監督である岳登が褒めているのに、まだ安形の表情は固いままだった。見開かれた目が「本当ですか!?」と、心情を言葉以上に語っている。
「どうですか? 撮影も二日目ですけれど、少し緊張の方は取れてきましたか?」
気軽な声で岳登は訊く。でも、安形の表情はまだ強張っていて、「は、はい。おかげさまで」とだけ答える口調には、ふさわしい内実が伴っていなかった。
「それはよかったです。昨日の安形さんはちょっと肩に力が入りすぎているように見えたので。少しでも現場に慣れてくださったのなら何よりです」
そこまで話したところで、岳登は望美に「監督、ちょっといいですか」と呼ばれる。岳登は「では、次のショットもよろしくお願いします」と安形に告げて、望美の方へと向かっていった。アングルやレンズの種類などを検討する二人。構図が決まって、篠塚が再び安形を呼ぶ。「はい」と答える安形の返事は、まだどこか上ずっていた。
二日目の撮影は昨日と同じ、夜の八時に終わった。昨日の遅れを取り戻すまではいかなかったものの、この日は予定していたシーンを全て撮ることができて、岳登は確かな手ごたえを得ていた。篠塚が今日の分の撮影終了を告げた時も、現場には満足感にも似た雰囲気が漂っていた。
ホテルに戻った岳登は、コンビニエンスストアの弁当で適当に夕食を済ませると、ホテルの五階にあるコインランドリーへと向かっていた。着替えは二着しか持ってきていなかったため、洗濯をする必要があった。
ホテルのコインランドリーは、エレベーター横の部屋に洗濯機と乾燥機がそれぞれ二台ずつ置かれていて、一番奥には腰を据えることのできるベンチもある。岳登は洗濯機のスイッチを押すと、そのベンチに座った。
ドラム式の洗濯機が回る音を聞きながら、岳登は撮影スケジュールに目を通す。明日は連日の疲労を考慮して、撮影開始は九時からと比較的遅い時間になっている。長野駅や公園などの外での撮影がメインだ。それでも閉館後の葵座で日付が変わるくらいまで撮影をするから、大変なスケジュールには変わりない。明日の撮影を想像しながら、スケジュールを確認し続ける岳登。すると、コインランドリーに入ってくる人影が見えた。星名だ。クリーム色のセーターを着て、手に持つ大きめのレジ袋が膨らんでいる。
岳登どころか、誰かがいると思っていなかったのだろう。目を瞬かせている星名に、岳登は柔らかな声で「こんばんは」と声をかけた。星名も少し遠慮深そうに「こんばんは」と答える。コインランドリーは洗濯機が回っているのに、どこか奇妙な静けさがあった。
星名が洗濯物を入れてスイッチを押すと、洗濯機の稼働音は単純に倍になる。ベンチは二人分座れる広さがあったから、岳登は「よかったら」と隣に座るよう勧めたが、星名は遠慮して腰を下ろそうとはしなかった。かといって部屋に戻ろうともしていなかったから、立ちっぱなしのままでいられると岳登は気まずさを覚えてしまう。もとより岳登より星名の方が、五歳ほど年は上だ。
「星名さん、今日はありがとうございました。あの、映画を観るシーンの照明、素晴らしかったです」
「こちらこそお褒めいただいてありがとうございます。あのシーンは事前に何度も試行錯誤して臨んだシーンだったので、評価していただけて嬉しいです」
年上である星名に敬語で返されると、岳登はむずかゆいような申し訳ないような、複雑な心地を抱く。星名のほうがキャリアもずっと長いのに。でも、誰に対しても丁寧でいることは、この業界で仕事を得続けるためには必要条件だから、引け目を感じることはないと岳登は自分に言い聞かせた。
「改めてなんですけど、お忙しい中今回は現場に参加してくださって、ありがとうございます。星名さんの照明のおかげで、良い画が撮れている実感があります」
「ありがとうございます。でも、そんなに持ち上げても何も出ないですよ。僕はただシーンや成海監督の演出意図に合った照明をしているだけですから。だから、良い画が撮れているとすれば、僕だけの力じゃないです。撮影の沼田さんや実際に演じる俳優さんたち、そして成海監督たち演出部に、望ましいロケーション。全員の力が合わさった賜物ですよ」
自分はあくまでスタッフの一人にすぎないと謙遜する星名。でも、いくつもの現場を経験している星名の力は、岳登にとっては星名自身が思っているよりも大きい。だから、「そんなに謙遜しないでください」とも言いかけたが、それは星名の意に反するようで、岳登は喉まで出かかった言葉を引っ込める。わずかな波風でさえも、岳登は立てたくなかった。
「そうですね。星名さんたち全員の力で、ここまでは良い撮影ができていると思います。星名さん、改めて明日からもまたよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。明日も張り切って、良いシーンを撮りましょう」
そう星名が言って、岳登が頷いたところで会話はいったん終わった。洗濯機の方を向いてスマートフォンを取り出した星名を見て、岳登も明日の香盤表に目を落とす。そのまま少しの間、二人は言葉を交わさなかった。でも、岳登には目にしている香盤表がいまいち頭に入ってこない。間を持たせるために、何か星名と話すべきなのか。
下を向いたまま岳登が迷っていると、星名がふと思い出したように口を開いた。
「成海監督は、今の現場の雰囲気ってどう思ってますか?」
「雰囲気、ですか?」星名が発した疑問があまりにも脈絡がなかったから、岳登は思わず訊き返してしまう。顔を上げて見た星名の目は、笑みと真剣さが半々ずつ混ざっていた。
「そうです。成海監督が今どう思ってるのかを聞きたいなと思いまして」
「……えっと、悪くはないと思っています。誰もが集中していて、進捗も今日は予定通りでしたし、決して悪い雰囲気ではないです」
「でも、ものすごく良いというわけでもないですよね?」
瞬く間に星名に返されて、岳登は少し言葉に詰まってしまう。岳登だってどことなくひりついた雰囲気を肌で感じている。それは緊張から来るものか、それともスケジュールの余裕のなさから来るものか。もちろん笑顔が絶えない仲良しこよしの現場が全てにおいていいわけではないが、それでも今の現場の雰囲気は、スタッフやキャストに要らぬ疲労を与えていそうだ。
「確かに成海監督の言う通り、まったく悪い雰囲気ではないです。集中するのは映画を作りにおいて、一番大切な要素ですから。でも、今の現場の雰囲気は少し張り詰めすぎていると思うんです。もっと余裕があった方がシーンの出来自体も良くなるのではないでしょうか」
「それは、はい……すいません。でも皆さん忙しいですし、製作もいきなり決まって、予算も限られている中で、これ以上撮影期間を確保するのは現実的に難しいと言いますか……」
「それは私も重々承知の上です。時間も予算も少ない中で、どうにか組んでくださっているスケジュールに文句を言うつもりはありません。でも、今よりも現場の雰囲気を良くするために、スタッフやキャスト全員がより工夫すべきだと私は思います。それはもちろん成海監督も含めて」
「工夫、ですか……」
「はい。例えば成海監督、スタッフやキャストにちゃんと声をかけていますか? 撮影中でも、そうでないときにも。特に安形さんや伴戸さん、榎さんや小芝さんに伊豆原さんといった自主映画が初めての方々は不安なことも多いので、監督が声をかけてくれるのを待っていると思います」
「そうですね……」岳登はここ二日間の自分の態度について自省する。
確かに自分の仕事で手いっぱいで、他のスタッフやキャストにまで考えが回らない場面も多かった。安形とは演技面で少し話してはいるものの、他の初参加組とはまだクランクインしてから、一言二言ぐらいしか交わせていない。これでは現場に馴染むよりも先に、撮影が終わってしまいさえしそうだ。
「分かりました。タイミングを見計らって、少しずつ声をかけていきたいと思います」
「はい。でも監督の本懐は演出ですから。そこが疎かにならない程度にしてくださいね」
「当然です」岳登がそう頷くと、星名も同じように頷いた。五人をスタッフやキャストに選んだのは自分なのだ。だとしたら、五人がやりやすいように働きかける責任もあるだろう。
岳登は明日に向けて思いを新たにする。撮影中もそれ以外でも、自分は現場をまとめる立場にある。そのことが改めて身に染みていた。
(続く)
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