第24話 映画を作ってるって
「ではこのシーンは埋まりで、本日の撮影は以上になります。お疲れ様でした!」
篠塚が朝、撮影が始まったときのような元気な声で、今日の撮影の終了を告げる。だけれど各人から聞こえる「お疲れ様でした」という返事は、覇気に欠けていた。それは夜の八時を過ぎた今まで撮影していたからだろうと岳登は感じた。撮影期間が限られているから、一日になるべく多くのシーンを撮らなければならない。でも、初日から少しハードではないかとは、誰も言わなかったけれど、現場を取り巻く雰囲気が間接的に語っていた。
さらに、今日は二つ撮影予定のシーンを撮りこぼしてしまった。オフィスでのシーンと、エキストラを数人入れての居酒屋のシーンだ。特に居酒屋にはまた使用許可を取る必要があったし、そうでなくても香盤表や撮影スケジュールの組み直しは必須だ。岳登は明日こそ予定通りに撮影しようと決めた。でも、できるかどうかの保証は当然なかった。
岳登がホテルに戻った頃には、既に腕時計は夜の九時を指していた。明日もホテルのロビーに朝の五時に集合だ。そう考えると、岳登たちがホテルに戻ってもできることはさほど多くない。岳登は荷物を置くと、スマートフォンと財布だけを持ってすぐに部屋から出た。
氷点下に近い寒さの中、数分歩いて岳登は駅前の中華料理店に入った。味や量よりも、リーズナブルな価格を一番の売りにしている店だ。岳登はカウンター席に通される。店内はほどほどに空いていたが、奥のテーブル席で我が物顔で喋るスーツ姿の男たちがいて、岳登は自然とそこから一番遠い席を選んで座った。
シンプルな醤油ラーメンを注文して、岳登は適当にスマートフォンを見ながら時間を潰す。SNSの何の役にも立たない投稿が、束の間の息抜きになる。
すると入り口が開いて、一筋の寒風が店内に吹きこんできた。寒さに岳登は思わず顔を上げる。そこには黒いダッフルコートに身を包んだ、夕帆が立っていた。
夕帆もすぐに岳登に気づいたらしく、一瞬目を丸くしている。でも、店員が離れていくと、何事もなかったかのように岳登の隣に座った。
「岳登、今日は呑まないんだ」
メニューを開くよりも先に訊いてきた夕帆に、岳登は心のなかで吹き出す。そんなの考えるまでもないことだ。
「当然だろ。二日酔いにでもなって起きられないってなったら、それこそ最悪だからな」
「そりゃそうか」
何もおかしくなくても、夕帆は小さく笑っていた。岳登も釣られるようにして頬を緩める。今日一日の疲れが、わずかにでも軽くなった。
「岳登、何頼んだ?」
「醤油ラーメン」
「へぇ、じゃあ私は別のにしよっかな」
夕帆は店員にチャーハンと餃子三個を頼んで注文を済ませた。店員が去っていくと二人は手持ち無沙汰になる。でも、それも一瞬の間だけで、すぐに夕帆は岳登に顔を向けて話しかけていた。
「いやー、初日から濃い撮影だったねー」
たった一言では、夕帆の真意は岳登には計りきれない。思わず「それって良い意味で? 悪い意味で?」と訊き返してしまう。かすかに不安になっている岳登の前でも、夕帆は穏やかな表情を崩さなかった。
「まあどっちもかな。あんなに朝早いのも久しぶりだったし、今日だけで八シーン撮ったでしょ。当然体力もたくさん使って、終盤の方とか皆疲れを隠しきれなくなってたじゃん。きっと皆まだ初日かってほど、疲れてると思うよ」
「それって、もしかして俺へのクレーム? 撮影期間が一週間しかないんだから、一日の撮影時間が長くなるのは仕方ないだろ」
「いや、そんなつもりは全然ないよ。私も多くのシーンを撮った分、手ごたえとかやりがいは感じてるしね。ありがたいなって思うよ」
「でも、その上で一つ言わせてもらうなら」夕帆は少し表情を引き締めた。岳登も言葉を遮ることはしない。うまくいかなかったところを指摘し合うのは重要だ。
「今日の岳登は、少し周りが見えてなかったと思う。もちろん監督どころか映画の現場自体久しぶりだから、まだ感覚を取り戻せてないのは分かるよ。でも、今日結構細かく指示出してたでしょ? 私たち俳優部にも、沼田さんたち撮影部にも。不安なのは分かるけどさ、もっと柔軟性を持ってもいいと思うな」
「いや、それは……」と、とりあえず口に出したものの、岳登にはその後の言葉が続かなかった。夕帆の言うことは一理あるどころか、むしろ正論に近い。
確かに今日の自分は口うるさすぎたと、今では思える。自分の思い通りになるまでスタッフやキャストに指示を出し続け、セッティングやテストに時間をかけすぎて、おかげで撮る予定だったシーンが二つ撮れなかった。自分にも反省すべき点はあるだろう。
「別に妥協しろって言ってるわけじゃないよ。こだわるのは何も間違ってない。でも、一〇〇パーセント準備してた通りにいく現場なんて存在しないでしょ。思いがけない事態やトラブルも普通にある。でも、それでかえって想像よりもずっといいシーンが撮れたりする。それがナマモノである現場の面白さだと私は思うけどな」
夕帆の見解に、岳登は反論しなかった。今のところ、映画は人間が集まって作るものだ。だからミスや考え方の違いはあって当然だし、それをうまくリカバリーするのも監督の力量だ。岳登は身につまされる。
「まあ、でも今日のことは岳登だけが悪かったわけじゃないから、そんな気に病む必要はないと思うよ。私たちにだって顧みるべき点はあったし、きっとそれは全員にだよ。まだ撮影は始まったばかりなんだから、きっとこれからどうにでもなるよ。現場に入ってみないと分からないことも多いし、お互いのことを理解するにつれて、撮影もスムーズに進む、はず」
「そこは断言してくれよ」
「まあ、そこは何があるか分かんないし? でも、私たちも精いっぱいやるから。お互いに言いたいことがあるならちゃんと言って、いい撮影にしてこうよ」
「そうだな」岳登が頷いたタイミングで、店員が二人のもとにやってきて、まず夕帆が頼んだ餃子三個をテーブルに置いた。先に注文を済ませたのは自分の方なのにと岳登は一瞬思ったけれど、店の都合もあると考え直し、表立って腹を立てることはしなかった。ぽつんと置かれた餃子三個を前にして、二人の間には少し気まずい空気が漂い始める。岳登は自分を気にせず先に食べるよう勧めたが、夕帆は「いや、いい」とよく分からない遠慮をしていた。
「まあ、でもこだわるのが岳登のいいところでもあるんだけどね。他の現場じゃスケジュールとか事務所の力とか色々考えて、そんなうまくいった感触がないシーンでも、OKにしちゃう監督っているから」
「どうしたんだよ。いきなりフォローしだして。こだわりすぎて予定通りに撮れなかったら本末転倒だろ」
「いいや、私は本当にそう思ってるから。理想と現実のバランスをできる限り理想の方に持ってこうとするのは、間違いなく岳登の良いところだよ。『青い夕焼け』のときもそうだった。スケジュールが詰まってるのに、何度も納得いくまでテイクを重ねて。大変ではあったけど、私にとっては『映画を作ってる』って強く感じられて、今でも忘れられない現場だよ」
「おかげで最後の方のスケジュールヤバかったけどな。夜が明ける前から日付が変わる頃まで撮影して。テストする時間もろくに取れず、ほとんどがぶっつけ本番。無事に撮り終えられたのが不思議なくらいだった」
「でも、その分撮了した時の高揚感は凄かったよ。まるで何かの大会で優勝したみたいな、年甲斐もなく青春? を感じたよ。今回ね、この映画のオファーを受けたときに真っ先に思い出したのも、そのときのことだったんだ」
「ずいぶん美化してるんだな。あんなブラック企業も真っ青な現場になったのは、全部俺が悪いってのに」
「いや、美化なんてしてないよ。家に帰ってきて、ベッドに倒れこんだときの充実感ややりきった感は、今までの人生で味わったことがないくらいだったんだから。きっと今回の現場も大変な現場になるんだろうけれど、あのときの気持ちをもう一回味わいたいなって素直に思ったんだ」
「もしかして、それがオファーを受けた理由……?」
「まあ、一番はそれだね。他にも主役だからとか、ホンがいいとか色々理由はあったけど、また成海組の一員になりたいなって。その気持ちが何より強かった」
「まあ、でも今回の撮影はもうちょっと計画的に進めてはほしいけどね」付け足されたたしなめる言葉を、岳登は夕帆なりの照れ隠しだと受け取る。それくらい夕帆が挙げた理由には説得力があって、本心で言っているのが岳登には分かった。少し恥ずかし気に微笑む夕帆に、岳登も「ああ」と頷く。誰に言われるまでもなく、撮影期間中に全てのシーンを撮り終えられないという最悪の事態は回避しなければならない。さっそくホテルに戻ったら、篠塚と明日からの撮影スケジュールをもう一度考え直さなければ。
そう岳登が考えていると、二人の前には醬油ラーメンとチャーハンが立て続けに運ばれてきて、食事をする準備が整う。それぞれのタイミングで、夕食を食べ始める二人。醬油ラーメンはあっさりとしたスープに細麺の軽やかな口当たりがマッチし、岳登の舌に合った。
(続く)
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