第20話 座長だから



 昼食を食べ終わって、岳登たちはすぐに貸し会議室に戻る。午後の立ち稽古に向けて、確認しておきたい個所はいくつもあったからだ。


 次第にキャスト陣も戻ってくる。夕帆や他の俳優と戻ってきた安形はどこかすっきりとした表情になっていた。昨日岳登がどれだけ話しかけても、最後まで顔から硬さは抜けていなかったのに。きっと夕帆たちと話す中で、何か刺激を受けたのだろう。同じ俳優同士だから分かることもあると、岳登は前向きに捉えた。


 立ち稽古は、読み合わせが終わってからきっかり一時間後に始まった。台本を片手に、俳優たちが動きながらセリフを喋る。実際のシーンを再現することで、誰にとってもイメージを抱きやすくするのが狙いだ。昨日顔を合わせたばかりの人間と呼吸を合わせる必要があるので、いくら経験がある俳優が多いとはいえ、やはり最初のうちはどこか探り探りな印象は否めない。


 逐次岳登は演技を止めて、俳優たちに演出を施す。セリフの言い方や動き一つとっても、ただ指示を出すのではなく、ちゃんと理由や意図を説明する。時には提案の形で、俳優から自発的に出てくるアイデアを待ったりもする。当たり前だけれど、俳優はただ動いてセリフを喋るだけのロボットではない。監督の岳登には映画全体をコントロールする責任があるけれど、それでもキャストやスタッフの自主性は重んじたい。もちろん何が映画にとってプラスになるか決めるのは岳登だが、意見を聞いてくれたという事実はその人間のモチベーションを高め、現場の雰囲気も活気あるものになって、やがてはそれが映像に刻印される。いくつもの現場を経験した中で、岳登が身に染みて感じたことだ。俳優からの意見を聞くと、時には岳登が思いもよらなかった提案も出てくるけれど、対話によってキャラクターを作り上げていくこの過程が、岳登は実際の撮影よりも好きかもしれないとさえ思う。


 岳登のコミュニケーションを重視した演出は、俳優たちにも良い影響を与えていた。夕帆は地に足のついた演技で金子舞というキャラクターを着実に肉付けしていたし、他の俳優たちも徐々に自分が演じるキャラクターの細かい性格を把握していて、時間が経つにつれて演技に説得力が生まれていく。


 中でも顕著だったのは安形だ。声からは読み合わせのときのようなおどおどした様子は抜け、かすかに自信が覗き始めている。表情にも明るさが見えて、無理している感じはなかったから、きっと素に近い感覚で演じられているのだろう。緊張でさえプラスに働いていて、他の俳優たちの中にも異物感を残しつつ、問題なく溶けこめている。安形の変化は岳登にとっては喜ばしかったが、その一方で自分が見ていない間に何があったのだろうと、少し不思議にさえなるくらいだった。


 立ち稽古は二回の休憩を挟みつつ、午後の六時前に終わった。片づけをし外に出ると、肌を刺す空気が寒い。まだ一一月だとは思えないくらいだ。


「夕帆、ちょっといいか?」


 鍵の返却を篠塚に任せて、岳登は駅へと向かおうとしていた夕帆に声をかける。


「何?」


「まだ新幹線には時間あるよな。ちょっと話せないか?」


 岳登がそう言うと、夕帆は腕時計を確認して「うん、いいよ」と言ってくれた。断られる可能性も考慮していた岳登は、ひとまず胸をなでおろす。


「でも、ここじゃ寒いから、話すならどっか入って話そうよ」


 岳登も頷いて、二人はひとまず駅の方向へと歩き出す。駅前に辿り着いた二人は、ビルの一階にあるコーヒーチェーンに入った。ゆったりとした洋楽が流れる中、ここでも人々の話し声は響いている。二人とも長居をする気はなかったので、ショートサイズのホットコーヒーを頼んで、受け取ると窓からは一番遠い席に着いた。


「とりあえず、今日の読み合わせお疲れさま」


「うん、お疲れ。岳登疲れたでしょ。座ってる時間も長かったとはいえ、二日間ずっと動きっぱなしで」


「いや、全然。確かに初めて顔を合わせるスタッフやキャストもいたけど、これぐらいで疲れたなんて言ってらんねぇよ。撮影が始まったら一週間休まず撮り続けなきゃなんないんだから。それより夕帆の方こそ、疲れただろ。わざわざ東京から来てるんだから」


「気遣ってくれてありがと。でも、私もまだまだ全然大丈夫だよ。まだ本番前とはいえ、久しぶりに岳登の演出受けられて嬉しかった。『青い夕焼け』のときを思い出したよ」


 そう言ってはにかむ夕帆に、岳登も表情を和らげて応える。


 周囲に映画の情報が漏れないように、自分たちにだけ聞こえるような声量で話す二人。夕帆と面と向かって内緒話をしているような感覚を岳登が久しぶりに味わっていた。


「でさ、今日お前、安形さんや仁川にかわさんと一緒にお昼ご飯行ってたじゃんか」


「うん、行ったね」


「そこで何か話した?」


「何かって?」


「いや、安形さんがさ、読み合わせの時はまだガチガチに緊張してたけど、午後の立ち稽古じゃ硬さもいくらか取れていい演技してたなって思って。お前、安形さんに何か言った?」


「ああ、そのことね」夕帆は頷くと、コーヒーを口に運んだ。細められた両目に、ほんのわずかに皺が寄る。


「最初はね、緊張しないでとか気楽にいこうよとか言おうとしたよ。でも、いざ一緒になったら、そういう言葉は逆効果になるなって思って。ちょっとアプローチを変えてみたんだ」


「アプローチ?」


「そう。まあ端的に言うと、私たちを信頼してほしいってことかな。もちろん技術的な話もちょっとはしたよ? でも、それは一番は安形さんが自分の頭で考えて、自分なりの答えを出すことでしょ。だからメンタル的な話を多くしたかな」


「具体的にはどんな話をしたんだ?」


「まあ色々話したけど、まとめると演技は一人でやるものじゃないし、映画も一人で作るものじゃないみたいなこと。演技は多くの場合一緒にする相手がいるし、たとえ一人芝居のシーンでも、カメラや監督といったスタッフがいる。もしうまくいかなくても私たちが絶対にフォローするし、最終的にはなんとかなってるもんだからって」


「その最終的になんとかすんのって、俺なんだけどな」


「まあそこは頼りにしてますよ、監督。それこそ信頼してる。私たちは安形さんのことを信頼してるから、安形さんにも私たちのことを信頼してほしいとは言ったかな。もしかしたら安形さんには上から目線に感じられちゃったかもしれないけど、でもスタッフ・キャスト関係なく、お互いの信頼関係がないと映画なんて撮れないから」


 心から信じているかのように口にした夕帆に、岳登も「そうだな」と素直に頷いた。信頼し合える環境や雰囲気を作ることも、監督助手のいないこの現場では監督の仕事の一つだから、より気持ちを奮い立たせる。


「でも、夕帆がそういうこと考えてくれてんの、ちょっと意外だった。『青い夕焼け』のときは、自分のことでいっぱいいっぱいだったのにな」


「そりゃあのときは私も初主演だったからね。正直自分のことに必死で、他の人のことなんて考えていられる余裕なんてなかったから。でも、私だってあれから七年、それなりに経験積んできてんだよ? 少しは余裕持てるようになってきてんだから」


「そうだな。俺もお前も、あのときとまったく一緒ってわけじゃないもんな」


「うん。曲がりなりにもこの映画は、私が主演で座長だから。自分のことだけ考えてるわけにもいかないでしょ。キャストをある程度まとめて、やりやすい雰囲気を作る責任がある。いくつもの現場に参加して、何人もの座長の人の振る舞いを見て、そう思ったんだ」


 俳優としての夕帆の成長に、岳登は内心舌を巻いた。当然岳登の方でもキャストのケアはするが、夕帆がその一部分を担ってくれれば、より演出に脳のリソースを割けるだろう。


 しげしげといった視線を送る岳登を大して気にせずに、夕帆はコーヒーを口に運んでいる。焦りも心配もないかのような表情に、岳登は勇気づけられた。


「そうだな。頼むぜ、座長」


「うん。こっちこそ頼りにしてますよ、監督」


 改めて言われると、岳登は胸の奥がこそばゆく感じて、思わず笑みをこぼしてしまう。同じく鏡みたいに微笑んでいる夕帆を見ていると、夕帆にオファーをしてよかったと感じる。俳優・大滝夕帆が、この映画を一段と良いものにしてくれると、岳登は信じて疑わなかった。



(続く)

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