第19話 挫折と再生の
伴戸も合流して三人は、駅前のファミリーレストランへと向かっていた。階段を上って二階にある店内に入ると、夕食の時間帯ともあって、あちこちのテーブルから話し声が聞こえてくる。幸い席は空いていて、三人はすぐにテーブルにつくことができた。
「じゃあ、ひとまず乾杯しましょうか」
岳登が音頭を取って、三人はコップを突き合わせる。でも中に入っているのは水だ。安形や伴戸は自転車で来ていたし、岳登も本来そこまで酒には強くなかった。
「安形さん、伴戸さん、本日はお疲れさまでした。どうでしたか、初めての衣装合わせは?」
岳登がそう切り出してみても、二人は若干身体を強張らせていた。背もたれに背をつけることなく、両手を膝の上に置いて恐縮してしまっている。適度な緊張感は撮影にはプラスに働くが、それでもまだガチガチに固まっている二人に、岳登はもう少しリラックスしてほしいと思う。
「は、はい。皆さん真剣な表情をしていて、余計に身が引き締まりました。何度も意見を出して検討していく沼田さんや星名さん、成海監督を見てプロの現場だなと感じました。僕は録音で、衣装にもピンマイクを仕込まなきゃならないっていうのに、あまり意見や提案ができずにすいません」
「いえ、謝る必要なんてないですよ。伴戸さんにとっては初めての自主映画の現場なんですから。急に意見や提案を出せって言われても難しいですよ。僕も初めて助監督で入った現場では、何も言えませんでしたから。みんな最初はそんなものですよ」
別に伴戸を気遣ってフォローしたわけではない。期待していないわけではないことをさりげなく目で伝える。意図が伝わったのか、伴戸は小さく頷いてくれた。
「安形さんはいかがですか? 初めての衣装合わせ、ドキドキしたんじゃないですか?」
「は、はい。凄く緊張しました。今までの学生映画で、キャストが集まってホンの読み合わせをしたことはあったんですけど、こういうスタッフの方も含めた衣装合わせというのは初めてだったので、皆さんのお顔を拝見して緊張するのと同時に、本当に映画を撮るんだっていう実感が湧いてきて、一言では言い表せない気分でした。あっ、すいません。こんな言い方じゃ、今まで自覚がなかったみたいですよね……」
「いえ、そんなことはないですよ。今まで話しかしていなかったのに、自覚を持てっていう方が難しいですよね。実際、今日集まった全員が映画を撮るという自覚をより強くしたと思います。安形さんだけじゃありませんよ」
「監督にそう言ってもらえるとありがたいです。僕今まで衣装を用意されたことがなくて。学生映画って予算もスタッフも少ないので、衣装は全部自前で。だから、色々な衣装を着て検討されているときは、もちろんドキドキしたんですけど、この衣装を着て撮影に臨むかと思うとワクワクもしました。撮影が待ち遠しく感じました」
「それは何よりです。安形さんは今日着た衣装の中で、どれが一番好きでしたか?」
「そ、それは選んでくれた小芝さんや貸し出してくれたアパレルの方々に順位をつけるのは申し訳ないので、ノーコメントでお願いできますか……?」
「そうですね。安形さんの言う通りだと思います。少し配慮が足りてませんでした」
岳登は小さく笑う。二人も同じように笑みを返してくれたが、まだ表情は固く、どこかぎこちなかった。ここは打ち解けるために、趣味や好きな食べ物の話でもしておくべきだろうか。でも、この状況でそういった話はあまり効果を持たなさそうだと、岳登は感じてしまう。
「安形さん、明日はキャストが揃っての読み合わせですが、いかがですか? 脚本に目を通してみた感想は」
「は、はい。凄く面白いと思いました。映画やミニシアターだけじゃなく、それが好きで通ったり働いている人のよさも多く描かれていて、とても心暖まる話だと感じました」
「ありがとうございます。でも、そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ。ここは違うんじゃないかとか演じにくいなと思うところがあれば、何でも言っていただいて結構です」
「いえいえ、そんな滅相もありません。北西のキャラクターも魅力的で、ぜひ演じてみたいと感じました。本当ですよ。嘘じゃないです」
少し慌てたように言葉を付け加える安形に、岳登は小さく目を細める。嘘は感じられなくて、本音を言っているのだと岳登には分かった。
「で、でも何本も商業映画に出演されている方々に囲まれての読み合わせは、正直不安で仕方ないです。僕だけがぺーぺーの素人なので、どうしても気が引けてしまいます。今さらですけど本当に僕でいいんですか……?」
「はい。安形さんがいいんです。この北西という役は、他にも何人かの方を検討させていただきましたけれど、決定した今となっては安形さん以外考えられません」
「どうしてですか……? 監督の判断を疑ってるんじゃないんですけど、僕のどこがいいと思ったんですか……?」
「僕が安形さんの演技を見て一番いいなと思ったのは、いい意味でカメラ慣れしていないところです。演技も決して下手ではないのですが、それ以上にどこか不自然さを残していると言いますか。それが僕にとっては新鮮に映りました。今回のキャストは全員商業映画への出演経験があってカメラ慣れしているので、安形さんの持つ不自然さがいいアクセントになると思って、出演を依頼させていただきました。安形さんは不安でしょうが、経験がないことは、裏を返せばそれだけで他のキャストの方にはない武器になるんですよ」
「あ、ありがとうございます。監督にそう言っていただけると、少しですけど前向きな気持ちになれます」
「はい。なので分かりやすく上手い演技を目指さなくても大丈夫です。安形さんは安形さんが思うような演技をしてください。それが作品にとって何よりのプラスになるので。もちろん、こちらから修正をお願いすることもあるとは思いますが、それは明日また読み合わせのときにでも詳しくお話ししましょう」
「は、はい。改めて明日もよろしくお願いします」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
岳登と安形が改めて挨拶を交わし合ったところで、店員が料理を運んできた。サラダやパスタ、ドリアやピザといった料理が次々とテーブルに載せられていく。
食事を始める三人。岳登はパスタを食べている間も、積極的に安形や伴戸に声をかけ続けた。休みの日は何をしているのかとか、好きな映画は何かとか。水しかない状態だったら間を持て余してしまいそうな話題も、食事をしながらだと比較的自然にすることができる。安形や伴戸が挙げた好きな映画に、岳登は分かりやすく共感を示す。「それ僕も好きです」と言うと、二人の表情も少しだけ緩んだ。
翌日。脚本の読み合わせは、昨日とは違う貸し会議室で行われた。朝の八時半に岳登と篠塚が鍵を借りて開けてみると、昨日よりも少し手狭な室内に、ブラインド越しに朝日が差しこんでいた。長机を四つ正方形に並べ、一つの長机に二つずつ椅子を置いていく。座る位置を席の前に役名と名前を書いた紙を貼り、キャストがやってくるのを待つ。
少し待っていると、続々とキャストがやってきて岳登たちと再び顔を合わせる。集合時間の一〇分前に貸し会議室に入ってきた安形は「遅くなってすみません」と周囲に謝っていたが、岳登たちは何ら気にしなかった。
「皆さん、おはようございます。改めて本日は、映画『ミニシアターより愛を込めて』の脚本の読み合わせにお集まりいただきありがとうございます」
昨日と同じように篠塚が進行を務めて、九時ちょうどに読み合わせはスタートした。人数が異なる分、昨日ともまた違った真剣な空気が会議室には流れ出す。
「自己紹介は昨日一通り行ったので、本日は省略させていただきます。では、まず監督である成海から一言いただきます」
指名されて、成海は立ち上がる。キャスト全員の顔を見てから、胸を張って話し出す。
「改めまして皆さん、今日は読み合わせにお集まりいただきありがとうございます。昨日も少し話しましたが、この映画は長野葵座というミニシアターを舞台にしています。そして、葵座は施設の老朽化のため、今年いっぱいで閉館することが既に決定しています。この映画はそんな葵座で繰り広げられる、挫折と再生の物語です。葵座とともに皆さんの姿も映像には残ります。いつかこの映画を見返した時に、素晴らしい演技ができたと胸を張れるように、今日の読み合わせから気を引き締めて取り組んでいきましょう」
七人の返事は揃いそうで揃わない。だけれど、今はそれでも岳登には構わなかった。きっとまだお互いのイメージも揃ってはいないだろうけど、それはこれから少しずつすり合わせをしていけばいい。
「成海監督、ありがとうございます。ではさっそく読み合わせを開始します。まずはシーン5から。大滝さん、お願いします」
返事をすると、夕帆は簡単に泣いている演技をしてみせた。ここは舞が葵座で映画を観た後に、感動を思い返して涙するというシーンだ。
『今の映画良かったですよね。私も事前に観させていただいた時、思わず泣いてしまいましたから』そう言う相手役、ここでは葵座を経営する夫婦の妻だ、に反応して頷く夕帆。
そのまま最初のセリフを言った瞬間、岳登は会議室の雰囲気がかすかに変わったのを感じた。全員の目が、夕帆に吸い寄せられていくような。『青い夕焼け』から七年の時間が経って、岳登は夕帆がより存在感のある俳優になったと感じていた。
夕帆が放つ静かな熱に乗せられるようにして、読み合わせも次第に熱量を帯びていく。誰もが高いモチベーションでこの映画に臨んでくれていることが改めて実感できて、岳登は嬉しくなると同時に、もう一度気を引き締めた。安形もまだ緊張は解けていない様子だったけれど、セリフを読む声に腰が引けている印象は見られなかった。
一回目はひとまず最後まで通して、二回目は細かいセリフのニュアンスを確認しながら読み合わせをしていると、時間はあっという間に過ぎていき、岳登が気づいた頃には既に昼の一二時を回っていた。二回通したところで午前中の読み合わせは終わり、一時間の昼休憩に入る。この貸し会議室は飲食禁止だから、昼食を食べようと思ったら外に出るしかない。休憩とはいえコミュニケーションを取る貴重な機会には変わりないので、一人で昼食を食べに行こうとする人間はいなかった。数人ずつの組を作って岳登たちはいったん解散する。
安形は夕帆、そしてもう一人の俳優と駅の方へと向かっていった。演技の確認がてら、お互いをより知ろうとしているのだろう。三人の姿を見送って、岳登も篠塚や常連役の俳優と一緒に、近くにあるチェーン店のラーメン屋へと向かっていった。
(続く)
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