第18話 衣装合わせ



「それでは時間になりましたので、これより映画『ミニシアターより愛を込めて』の衣装合わせを始めさせていただきます。私、本日の進行を担当させていただきます助監督の篠塚高市と申します。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします」の返事は、揃わなかった。声もはきはきしている者や、緊張でくぐもってしまっている者など様々だ。


 音楽を担当する叶以外のスタッフやキャストが一堂に顔を合わせるのは今日が初めてなのだから、無理もないと岳登は感じる。榎や伴戸は心細いのか視線があちこちに泳いでいて忙しない。さらに、和花や秋代といった未経験組の緊張が全体に伝播していて、貸し会議室は少し神妙な空気に包まれていた。


「それでは衣装合わせを始める前に、まずそれぞれの簡単な自己紹介から始めましょう。大滝さんから時計回りに進んで、最後は成海監督で終わるという形でお願いします」


 貸し会議室には長机が八脚、正方形を作るように置かれていた。一つの長机には二つずつ椅子が置かれていて、今日は主要キャストやスタッフが合わせて一六人集まっている。


 そして、窓を背にした長机の端に座る篠塚の、角を挟んだ隣には夕帆が座っていた。


 歯切れのいい返事をして立ち上がる夕帆。他の一五人の視線が一斉に注がれる中、慣れているかのようにリラックスした表情で話し出す。


「今回、金子舞役を演じさせていただきます大滝夕帆です。成海岳登監督の記念すべき長編第二作品目に、そして長野葵座を映画に記録して未来に残そうという今作に出演できて、光栄に感じています。主演ということで責任は重大ですが、他のキャストの方々や成海監督をはじめとしたスタッフの皆さんとアイデアを出し合いながら、いい映画にしていきたいと考えていますので、何卒よろしくお願いします」


 そう言って夕帆が頭を下げると、貸し会議室は自然と拍手に包まれた。拍手が終わってから夕帆が座ると、順番は隣に座る男性に移る。男性はおずおずと立ち上がってから、辺りを見回すと、自分を落ち着かせるように一呼吸置いてから口を開いた。


「お、同じく今回、北西照きたにしてらす役を演じさせていただきます安形創羽あがたつくばです。えっと、僕は今まで学生映画に出演させていただいたことはあるんですけど、こういう自主映画は初めてなので、今とてもドキドキしています。み、皆さんの期待に応えられるように精いっぱいがんばりますので、何卒よろしくお願いします」


 ぎこちないお辞儀をした安形にも、全員からの暖かい拍手が飛ぶ。心配しなくても、もう同じ映画を作る一員として認めていると言うように。不安に思う気持ちももっともだから、岳登も丁寧な拍手を心がける。安形は榎や伴戸の紹介だ。葵座でアルバイトをしている男子学生を演じるキャストを探していたところ、安形の名前が挙がったのだ。榎が監督した短編で主演を務めたことがあった。岳登もその短編を見させてもらって、不慣れな部分はあったものの悪くないと感じたから、安形に声をかけて今に至っている。席に着いた安形はまだ緊張した様子を見せていて、繰り返し声をかけて緊張を軽減させなければと、岳登は感じた。


 二人に続いて他のキャストも軽く自己紹介を述べる。葵座を経営する夫婦役の俳優が二人、そして常連役の俳優が二人。もちろんまだまだ登場人物はいるものの、ストーリーに大きく関わってくるのは夕帆や安形も含めこの六人だ。四人とも抜きんでて有名というわけではないが、自主映画や低予算映画には何本も出ている俳優なので、挨拶ももうお手のものだ。まだ監督作品が二作品目、それも七年ぶりの監督作品なのだから、経験豊富なキャストはそれだけで岳登にはありがたい。でも、おんぶにだっこにならないように、岳登は四人の自己紹介を聞きながら気を引き締めた。


「では、キャストの方の自己紹介も一通り終わったので、次にスタッフの方々自己紹介をお願いします」


「まずは沼田さんから」篠塚にそう指名されて、岳登からはちょうど対角線上に座る望美が、返事をしながら立ち上がる。屋外の撮影で日差しを浴びているのだろう。顔がほのかに日に焼けていた。


「はい。今回撮影を担当させていただきます沼田望美です。成海監督とは七年前に『青い夕焼け』でご一緒して以来なので、再び声をかけていただいて、とても嬉しく感じています。キャストの皆さん、そして舞台となる葵座の魅力を映像に残せるように、撮影部全員で協力して撮影を進めていきたいと感じています。皆さん、改めてよろしくお願いします」


 そう挨拶した望美にも、キャストと同じように全員から拍手が送られる。キャストでもスタッフでも、同じ映画を作る一員であることには変わりない。望美の次に、照明を担当する星名も自己紹介をして、挨拶の順番は自主映画の現場に初めて入る五人に移った。秋代から、栞奈の隣に座る市原へと続いていく流れだ。


 秋代や和花は明るくはきはきとした自己紹介を心掛けていたものの緊張の色は隠せていなかったし、榎や伴戸はほとんどが年上のスタッフやキャストに囲まれて、声が若干上ずってしまっていた。だけれど、どんな挨拶でも他の全員は拍手で迎える。自己紹介をして拍手を送り合うたびに、徐々に連帯感のようなものが貸し会議室には醸成されていった。


 市原が自己紹介を終えると、いよいよ残すは二人となる。拍手が収まって少ししたタイミングで栞奈はゆっくりと立ち上がった。全員の顔を今一度見回している。その表情は既に万感の思いを抱いているように、岳登には見えた。


「改めまして、長野葵座の支配人をさせていただいております袖口栞奈と申します。今回は葵座を舞台に映画を作っていただくということで。こんなにもたくさんの方が映画作りのために集まって、既に感無量です。間もなく閉館してしまう葵座を映画という形で未来に伝えるために、私は皆さんを信頼しています。どうか観た人の記憶に残るような映画を作ってください。よろしくお願いします」


 栞奈の挨拶を聞いて、改めて気が引き締められたのだろう。拍手をしながら、全員の表情が一段と精悍さを帯びたように岳登には感じられる。


 栞奈が腰を下ろすと、最後はいよいよ岳登の順番になる。立ち上がった岳登は一度全員の顔を見回し、逸る胸を抑えるように、呼吸を整えてから口を開いた。


「『ミニシアターより愛を込めて』の監督・脚本・編集を担当させていただきます成海岳登です。改めて今回はお集まりいただきありがとうございます。僕自身、映画を監督するのは二作目で、それも七年ぶりですが、そんなことは一切言い訳にいたしません。ここにいる全員が持つ力を十分に発揮できるように、厳しさを持ちつつも暖かい、クリエイティブな現場にしていきたいと考えています。皆さんで力を合わせて、素晴らしい作品を作り上げていきましょう。よろしくお願いします」


 あえて岳登が強い言葉を使ったのは、この映画にかける覚悟を示さないと、誰にも監督として信用してもらえないと考えたからだ。本当は心配だらけだけれど、監督が不安そうな表情をしていたら、集まってくれたキャストやスタッフに示しがつかない。


 周囲は飽きることなく、拍手を送ってくれる。その響きはどこか自分を試しているようで、岳登はひっそりと息を呑んだ。


「では、全員の自己紹介も済んだので、さっそく衣装合わせに移らせていただきたいと思います。では、衣装担当の小芝さん、お願いします」


「はい。改めまして、今回衣装を担当させていただく小芝です。それでは、事前に机上に用意した衣装案をご覧ください。まずは主人公となる金子舞の衣装からです。成海監督からは七パターンの衣装を発注いただいていましたが、今回は一二パターンの衣装案を用意させていただきました。まず、案1ですが……」


 衣装合わせは、和花が事前に考えてきた衣装案を全員で確認するところから始まった。


 イメージやこの衣装を選んだポイントを逐次説明する和花の声を聞きながら、岳登はちらりちらりと机の向こう側を窺う。机と出入口との間には、和花が様々なアパレルに声をかけて借りてきた衣装が、何十着も移動式のラックに掛けられていた。夜が明ける前からわざわざ東京まで行って、榎や篠塚が運んでくれた衣装だ。和花の提案を聞きながら、時折岳登をはじめ、沼田や星名、夕帆が時折質問を投げかけていく。和花はその全てにはっきりと答えていて、今日のために相当準備してきたことが窺えた。


 一通り衣装案の検討を終えると、次は実際に夕帆に着てもらって検証する段階を迎える。隣にもう一室借りた貸し会議室を更衣室にして、どう見えるのかを確かめていく。写真で見るのと実際に夕帆が着ているのとでは大分印象が異なる衣装もあって、岳登たちは頭を悩ませる。別々の案で出た衣装を組み合わせてみたり、一枚羽織るものを追加してみたり。直接撮影に関わる沼田や星名だけでなく、幅広い人間からの意見を参考にし、一つ一つシーンごとの衣装が決まっていく。夕帆が着る全ての衣装が決まったときには、時刻は午後の一時に差しかかろうとしていた。


 それからも一つ一つの衣装を仔細に検討して、六人全員の全てのシーンの衣装が決まったときには、外はすっかり暗くなっていた。「ありがとうございました」と口々に言う全員の顔から、さすがに疲労の色は隠せない。協力して今日着用した全ての衣装を車に積んで、榎や篠塚、和花が東京に戻っていったことを確認すると、長かった衣装合わせはようやく終わった。机や椅子を元通りに片づけて、市原が鍵をかけるとこの日はお開きになる。


 東京から来た人間は、キャストは予約してあるホテルに、スタッフは長野駅にそれぞれ向かっていく。その中で岳登は、その人物が帰ってしまう前に声をかけた。


「安形さん、今日はお疲れさまでした」


 安形はおっかなびっくりといった様子で、覚束ない返事をしていた。怯えと警戒心が混ざった目を、岳登は仕方ないと思う。


 でも、安形を責めたいわけではなかったから、岳登は穏やかな口調を心がけた。


「今日はこの後、何か予定はありますか?」


「い、いえ……ありませんけど……」


「ならよかったです。これから二人でご飯でも食べながら、少し話しませんか?」


「な、何ですか……? もしかして説教ですか……?」


「いえ、安形さんは自主映画への出演が初めてなので、演出方針も交えて少しお話をしたいなと思いまして」


 いくら岳登が物腰柔らかに接していても、やはり一日かそこらでは緊張は解けないのだろう。安形は軽く目を泳がせていた。そもそも岳登と安形は顔を合わせたのが、今日が初めてなのだ。初対面の日にいきなり食事に誘われたら、誰だって戸惑う。


「わ、分かりました。でも、一対一だと緊張してしまいそうなので、伴戸も一緒に行かせていいですか?」


「はい、構わないですよ」自分を紹介した伴戸を頼るのは当然のように思えたから、岳登も否定せずに受け入れた。帰ろうとしている伴戸を、安形は慌てて呼びに行く。その後ろ姿をみっともないとは、岳登は少しも思わなかった。



(続く)

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