第16話 お役に立てるかも
「あとは小芝さんですね。できたらサード助監督か、もしよければキャストの方をお願いしたいと考えているのですが……」
岳登としては、自然な話の流れで言ったつもりだった。でも、三人とも何も言わなかったから、それまで円滑に流れていた空気が、少し気づまりな色を帯びたように岳登には感じられてしまう。
「成海さん、ごめんなさい」
「ごめんなさいって、どうかされたんですか?」
「撮影は一二月の六日から一二日を予定してるんですよね?」
「はい。事前のリハーサルを含めればもう少し長くなりますが」
「本当に申し訳ないんですけど、私その時期は実習が入ってるんです。進級するためにはどうしても外せない実習で。ですから、成海さんの作品を手伝いたい気持ちはすごくあるんですけど、私はお力になれないです」
「本当に申し訳ありません」珠音は深く頭を下げていた。そこまでされると、それでもなお協力してほしいと言うことは岳登には憚られる。
「小芝さん、全然大丈夫ですよ。カリキュラムの一環でしたら、どう考えてもそちらを優先させた方がいいですから。お気持ちだけでもありがたくいただきます」
「はい。あの、代わりってわけじゃないんですけど、もしかしたら私の姉が成海さんのお役に立てるかもしれません」
「小芝さんのお姉さんが、ですか?」
「はい。私の姉、けっこう年が離れてるんですけど、東京でアパレルの店員をやっていて。その傍らでファッションを紹介するYoutubeもやってるんです。成海さん、美術担当がまだ決まってないっておっしゃってましたよね。だったら美術全般じゃないんですけど、衣装だけなら私の姉が力になれるかと」
それは岳登にとって渡りに船とも言っていい、願ってもいない提案だった。まだ決まっていない美術担当に衣装も兼任してもらおうと考えていたけれど、美術と衣装それぞれに担当を立てられるなら、自分の仕事に注力することでクオリティも上がるだろう。
「小芝さん、そのお姉さんをぜひ僕に紹介してくれませんか。一度、たぶん電話になるんでしょうけど、お話してみたいです」
「分かりました。今日帰ったら連絡してみます。姉は映画も好きなので、きっと協力してくれると思いますよ」
「はい。ぜひお願いします」
小さく頭を下げた岳登に、珠音も頷く。表情はすっかり穏やかなものに戻っていて、岳登の心理的な負担もいくらか軽くなっていた。録音に車両に、それにおそらく衣装も。一気に三人のスタッフが決定して、映画の制作にまた一歩近づいた実感がある。
三人とも自主映画の現場は初めてだから、ある程度は指導する必要があるだろう。未定のキャストやスタッフはまだまだいる。それでも今だけは、微笑むだけの心の余裕が岳登には生まれていた。三人の表情も悪くない。また顔を合わせる日が待ち遠しくさえ岳登は思った。
その日、岳登は仕事を終えるとまっすぐ家に帰っていた。部屋着に着替えて寝室に入ると、すぐにパソコンの電源をつける。
まだ脚本の直しやコンテの作成など、撮影に向けてやらなければならないことは山積みだったが、この日の最優先事項はそのどれとも違っていた。ビデオ会議ソフトを立ち上げて、相手が入ってくるのを待つ。約束の時間まではあと数分ほど。忘れられてさえいなければ、すぐにでも通話は繋がるはずだ。
約束の時間になる前に、立て続けに二人がビデオ会議に参加する。「hanakaze」と左下に表示された画面には、髪を赤っぽい茶色に染めた女性が映っていた。自分の部屋なのだろう。後ろの本棚にファッション雑誌が並んでいる。
もう一つの画面には「まめちゃん」と表示されて、黒髪のショートカットに両耳につけられたピアスが目を引く女性が映った。おそらくリビングからビデオ会議に参加していると思われ、見える範囲だけでも淡い色合いの家具やカーテンが、どことなくオリエンタルな雰囲気を醸し出していた。
「hanakazeさん、まめちゃんさん、本日は忙しい中お時間を作ってくださってありがとうございます」
「いえいえ、私たちも映画監督である成海さんとお話ができて嬉しいですよ。改めて自己紹介はしておいた方がいいですよね?」
「はい。お願いします」
「では、私から」そう言うと、茶髪の女性は小さく息を吸い込んだ。Tシャツの襟から日焼けしていない肌が覗く。
「改めまして、hanakazeこと小芝、
「はい。妹さんから伺っています」
「ですよね。改めて今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします」画面に向かって、頭を下げ合う二人。通信環境がいいのか、和花の画面はわりあいクリアだ。
「では、次は私ですね」そう「まめちゃん」が言う。岳登は短い言葉で、「まめちゃん」が喋りやすいように促した。
「成海さん、はじめまして。まめちゃんこと、
「よろしくお願いします」岳登は和花と同じように応える。会釈をしあう二人。岳登には秋代が自分と同じくらいの年齢に見えた。
「では、さっそくですが本題に入らせていただきます。お二人とも先日、私がメールで送った映画の企画書と脚本は見ていただけましたか?」
「はい。もちろんです」と和花が言えば、「送ってくださったその日に読みました」と秋代が続く。二人とも本業にYoutubeに忙しいだろうに、三日間のうちに目を通してくれたことに、岳登はひとまず安堵した。
「ありがとうございます。あの、いかがでしたか? 何か感想のほどはありますか?」
「とっても面白い企画と脚本だと思いました。私もこの葵座には行ったことないんですけど、それでも東京のミニシアター、テアトルだとか武蔵野館にはよく行くので、そういったミニシアターが舞台になっていることに、親近感を覚えました」
「ありがとうございます。伊豆原さんはいかがでしたか?」
「私は特によく映画を観るというわけではないのですが、それでも共感しました。私も仕事柄、リフォームとはいえ今までの生活をいったん白紙に戻すという経験は何度もしているので、閉館の危機にある長野葵座を舞台に映画を撮るというのは、他人事とは思えませんでしたね。あと単純に、お話として面白かったと思います」
「ありがとうございます。お二人にそう言っていただけると、僕も苦労して書いた甲斐がありました」
好意的な感想に、岳登は充足感さえ抱き始めていた。二人の和やかな表情に、建前で言っているのではないと信じたくなる。
「それでメールに記載させていただいた通り、小芝さんには衣装を、伊豆原には美術をお願いしたいのですが、いかがでしょうか?」
「もちろん参加させていただきます!」岳登が言うやいなや、食いつくように答えたのは和花だった。打てば響くといった即答に、依頼した岳登でさえ少し驚いてしまう。
「えっ、いいんですか?」
「はい! もともと私がファッションに興味を持ったのも、映画がきっかけですから。小学生のときに『プラダを着た悪魔』を見て、私の人生は変わりました。ですから、今回映画の仕事ができるなんて本当に夢みたいです」
「大丈夫ですか? 衣装合わせまではあと一ヶ月もないですし、僕が言うのも何ですけど、あまり高額な報酬はお支払いできませんが……?」
「大丈夫です! たとえ一円も貰えなくたって、ボランティアでだってやりたいですから。それに私、アパレル店員なんですよ。お客さんに合った衣装を提案するのと同じように、キャラクターやシーンに合った衣装を考えるのも、できないことではないと思います」
アパレル店員と映画の衣装の仕事は、まったく異なる。いったい和花の自信はどこから来るのだろう。でも、そう伝えて和花の意気を削いではいけないと岳登は感じた。もう衣装合わせの日まで残された時間は少ない。どのみち和花に任せるしかないのだ。
「では、ぜひお願いします。必要な衣装の数やイメージについては、この後送りますので、大方の衣装のイメージができたら、また折り返し連絡をお願いします」
「はい! よろしくお願いします!」
清々しい顔で依頼を受け入れてくれた和花に、岳登も小さくだが笑みがこぼれる。一瞬だけだけれど、心が通じ合ったような感覚さえした。
そんな二人を秋代は慎ましい表情で眺めている。和花ほど自信に満ち溢れている様子ではなかったので、岳登はやや慎重に声をかけた。
「伊豆原さんはいかがでしょうか? 美術担当を引き受けていただけたら、僕としては嬉しいのですが」
「あの、メールには主に舞が暮らす部屋の内装を担当してほしいと書いてありましたけれど、本当にそれだけで大丈夫なんですか?」
「はい。基本的には葵座など撮影場所にあるものを、そのまま映したいと考えていますので。もしかしたら少し手を加えていただくこともあるかもしれませんけど、基本的には舞の部屋を担当していただく予定です」
「一つお聞きしたいんですけど、舞はどのような性格なんですか? どういった経緯で今の部屋に住み始めたんですか? ぜひ、成海さんの口からお聞かせいただきたいです」
確かに脚本には柱で「舞の部屋」と書かれているだけで、どういった部屋なのかの説明は一切なかった。秋代が詳しく知りたがるのも当然だろう。それにこう訊いてくるからには、引き受けることに多少なりとも前向きになっているのだろう。岳登はプロットを考えるときに一緒にノートに書いた、キャラクター設定を思い出しながら答える。
「金子舞は長野市の二階建てのアパートの一室に住んでいる三〇歳の女性です。以前は東京で女優として活動していたのですが、なかなか出演作に恵まれず、女優の道を諦めて地元である長野に戻ってきたので、映画のスタート時点ではかなり自信を喪失しています。ですが、本来は人と話すことが好きで、前向きな性格の持ち主です。初対面の人間でも一〇分ほど話せば、大体の相手は心を開くほどコミュニケーション能力も高いです」
「なるほど。趣味などはいかがですか? どんな色が好きだとか、部屋の掃除はどれくらいの頻度でしているかだとか」
「好きな色は黄色です。淡いというよりも鮮やかな方が好みですね。趣味は映画観賞、ゲーム、スポーツ観戦。インドア派とアウトドア派の中間のような感じです。誕生日は九月四日で、血液型はB型。東京にいた頃は自炊や掃除もよくしていましたけれど、長野に戻ってきてからは慣れない仕事に苦戦して、自炊や掃除はあまりできていません。汚部屋ではないんですけど、それでも人が生活している感じがしないほど綺麗というわけでもないです」
「分かりました。少しずつイメージも湧いてきました。あの、私はインテリアコーディネーターの資格は持ってるんですけど、映画の美術をするのは初めてなので、あまり勝手が分かってないのですが、大丈夫でしょうか……」
「はい、大丈夫です。必要なものを言ってくだされば、僕たちの方で手分けして用意しますので。でも、あまり高価なものは使わないでくださいね。お恥ずかしい話ですが、予算がかなり限られているので」
「それは分かっています。会社でもお客様に最初にお伺いするのは、リフォームにかけられる予算ですから。予算の範囲内でベストな提案をすることは、自分で言うのも何ですけど得意なので」
「そう言ってもらえると助かります。あの、改めて映画『ミニシアターより愛を込めて』の美術の仕事、お受けいただけますか?」
「はい。不慣れな部分も多々あると思いますが、精いっぱい務めさせていただきます」
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」素直に感謝を述べる岳登に、秋代も頬を緩めている。
キャストやスタッフが決まるたびに口にしている感謝の言葉。でも、何度言ってもその度に、岳登には新鮮な喜びがあった。
「伊豆原さん。実際のところ、舞の部屋をどこにするかはまだ決まっていないんですけど、既に候補地は数か所に絞ってあるので、決まり次第見取り図やスマホで撮影した写真を送りたいと思います」
「はい。なるべく早くにお願いします」
少し解れた伊豆原の態度に、岳登としても心が安らぐ感覚がする。プレッシャーはあったが、今だけはスタッフが新たに二人決定した安堵に浸ってもいいだろう。
「成海さん、撮影楽しみですね!」と無邪気に言う和花に、岳登も笑顔で「そうですね」と答える。本当はまだ決めなければいけないことは山ほどあるし、自分が再び監督として撮影を進められるかも完全な自信はない。
それでも、岳登は今だけはポジティブに物事を考えることができるようになっていた。キャストやスタッフも、全員が持てる力をフルに発揮できれば、たとえ自主映画でも商業映画に負けないものが作れそうな予感がしていた。
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