第15話 映画研究会



「成海さん、どうしましょう。もう声をかけられる人がいません」岳登が篠塚からそう連絡を受けたのは、キャストやスタッフが初めて顔を合わせる衣装合わせまで一ヶ月を切った、一〇月下旬のことだった。一〇年以上映画業界にいる篠塚が言うのだから、事態は相当深刻なのだろう。でも、岳登だってもう当たれる人間には全員当たってしまっているから、どうにかする手立てがない。SNSで募集をかけることも考えたが、一〇〇〇人もフォロワーがいない岳登のアカウントでは、拡散はあまり期待できないだろう。


「とりあえず、今まで断られた人にもう一度声をかけてくれ。無理そうでも、誰か紹介してもらってくれ」と言うことしか、岳登にはできない。長野に帰ってきてからの五年という月日は、確実に東京でできた縁を薄くしてしまっていた。


「そうですか……。まだ全員決まってはいませんか……」


 ソファに座りながら言う栞奈に、岳登は恥ずかしながらも頷いた。


 葵座の隣のオフィス。葵座の営業時間は終了した後とあって外は暗く、アーケード街を歩く酔っぱらいの声が遠くに聞こえるだけで、あとは何の音もしていない。


「はい。録音と美術と車両。それにキャストも複数名足りてません」


「それは大変ですね。撮影まであと一ヶ月半くらいしかないのに」


「はい。僕たちとしても今、やってくれる人を探している最中なのですが、急な企画な分なかなか引き受けてくれる人が見つからなくて……」


「袖口さん、どうすればいいですかね……?」岳登はそう訊きながら、栞奈に多くを期待してはいなかった。栞奈だって映画業界で働いているとはいえ、制作スタッフの知り合いは、岳登や篠塚に比べるとぐっと少ないだろう。


 でも、もしかしたら栞奈が自分の想像も及ばないような人脈を築いているかもしれない。そんなわずかな可能性に岳登は期待した。


 顎に手を当てて考え込む栞奈。すると、やがて何かを閃いたように顔を上げた。

「あの、成海さんたちにこんな提案をするのは失礼かもしれないのですが……」

「いえいえ、全然気にしないでください。こっちは今猫の手も借りたい状況なので」


「そうですか。では言いますけど、実は今ウチの甥が大学で映研に入ってるんです」


「映研って映画研究会ですか?」


「そうです。長野市にある秀新大学の映研なんですけど、年に何本か映画制作も行っていて。三回生や四回生なら経験もありますし、もしどうしても人手が足りないようでしたら検討してもいいかな、と」


 岳登は考え込む。常識や通例に照らし合わせてみれば、現場に大学生を入れることはなかなか難しい。でも、駆け出しの頃にお世話になった監督や現場は、大学を卒業して間もない、まだ半ば大学生みたいな岳登を受け入れてくれたのだ。だったら自分も同じようにすべきではないか。どのみち栞奈の提案を反射的に否定することは、岳登にはできなかった。


「分かりました。一度検討してみたいと思います」


 岳登がそう応えると、栞奈は肩の荷が一つ降りたように、ほっとした表情を見せた。「ありがとうございます。甥には私の方から連絡しておきます」と言いながら、目元が小さく曲げられている。岳登も「お願いします」と頷いた。大学は撮影で何回か訪れたことはあるが、長野に戻ってきてからは行く用事もないので、まったく行っていない。久しぶりの大学に、自分は何を感じるのだろうか。岳登は今からドキドキしてくるようだった。




 話はすぐに甥に伝わり、岳登は栞奈に相談してから二日後に、さっそく秀新大学を訪問できることになった。秀新大学は駅からは少し離れた位置にあり、自転車で行くにも少なくない時間がかかる。仕事を終えて岳登が秀新大学に着いた頃にはもうすっかり日は落ちて、空は黒く染まっていた。正門で用を伝えて中に通してもらう。設立から五〇年以上が経ってて、今は建物を建て替えている最中なのだろう。年月を感じさせる建物と、できたばかりの真新しい建物とのギャップが岳登の目を引いた。キャンパスに人の気配は少なく、初めて訪れる大学ともあって、岳登は少し心細さを感じた。自分がここにいてもいいのかと思いを拭い去るように、岳登は足を前に運んだ。


 サークルの部室棟は正門とは反対側、キャンパスの一番奥にあった。三階建ての部室棟にぽつりぽつりと明かりが灯っている。映画研究会の部室は三階だ。暗い廊下を歩いていると、岳登はドアの隙間から漏れている明かりを目にする。ドアの前に立つと、横には木の看板で「映画研究会」と書かれていた。間違いない。岳登はドアを叩く。中から「どうぞ入ってください」と男の声がして、岳登は「失礼します」と、ゆっくりドアを引いた。


 ドアを開けると岳登の目に入ってきたのは、壁一面に貼られた映画のポスターだった。新旧洋邦問わずに壁の隙間を埋めるかのように、びっしりと貼られている。棚には映画のDVDやビデオ等が並び、一番上には小さなデジタルカメラも置かれている。窓際にはソファ、壁際には一脚の机と向かい合うように置かれた四つの椅子。おそらく編集に使うだろうノートパソコンとモニター。荷物もいくつか置かれていたが、全体として整然としている印象を岳登は受けた。


「成海さん、話はお伺いしています。今日はお忙しい中、僕たちの部室にまで来てくださってありがとうございます」


 部室には、三人の学生が立っていた。その真ん中に立つ男子学生が、岳登が部室を確認するなり挨拶をしてきたから、岳登はこの男が部長なのだろうと見当をつける。身長が高く、短く切り揃えられた髪が、爽やかな顔つきに似合っていた。


 簡単に返事をすると、男子学生は「立ち話もなんですから、ひとまずお座りください」と、壁際の机を手で指した。言われた通り、岳登は一番ドアに近い席に座る。そして、机を挟むようにして正面には部長とその右側に立っていた女子学生が、そして岳登の隣には部長の左側に立っていた男子学生が座った。


「すいません。せっかくお越しいただいたのに、お茶の一つもお出しできなくて」


 申し訳なさそうに言う女子学生に、岳登は「いいえ、お構いなく」と答える。頼みに来ているのはこちらの方なのだ。気を悪くするなんてあり得ない。岳登が垣間見せた笑顔に、三人の心は少し解れたらしい。部室の空気は、少しずつ落ち着いてきていた。


「改めまして、はじめまして成海さん。僕は秀新大学映画研究会で今年度の主務をさせてもらっています、榎真守えのきまもるです。今日はよろしくお願いします」


 主務とはつまり部長のことか。岳登は納得しながら「よろしくお願いします」と答える。はにかんだ榎の口元には、かすかに白い歯が覗いていた。


「同じく副務をさせてもらっています、小芝珠音こしばじゅねです。よろしくお願いします」


 続いて挨拶をした女子学生は金色に染めた髪を後ろで束ねていて、彩度の高い口紅から勝気な印象を岳登は感じた。同じように「はい、お願いします」と答えると、三人の視線は岳登の隣に座る男子学生に向いた。眼鏡をかけていて背もそこまで高くない姿は、一言で言うと「素朴」という言葉が当てはまるなと、岳登は思う。


「な、成海さん。はじめまして。伴戸貴雄ばんどたかおです。あの、栞奈叔母さんが電話で言っていた甥は、僕のことです。特に何か役職に就いているわけではないんですけど、今日はよろしくお願いします」


 そう言って頭を下げた伴戸は、まだ少し緊張している様子だった。隣に一〇歳以上も年が離れている自分がいるから、無理もないと岳登は感じる。三度「よろしくお願いします」と答えて、岳登は榎に視線を向けた。伴戸と打って変わって、榎は自然体な表情をしている。


「それで、皆さんはどれくらい話を聞いてるんですか?」


「はい。葵座を舞台に成海さん監督で、自主映画を撮る。でも、まだスタッフやキャストが足りていない。そう伴戸からは聞かされています」


「そうですか。そこまで知ってるなら話は早いです。実は今回その件で、秀新大学映画研究会の皆さんの力をお借りできたらと思いまして。もしよろしければ、僕の映画制作を手伝ってはもらえませんでしょうか」


「成海さん。今足りてないのは、具体的にどこのスタッフやキャストなんですか?」


「録音と美術と車両。それにキャストも複数名。特に葵座で働いている設定の二〇代前半のキャストがまだ決まってないので、よければ映画研究会の方じゃなくても構わないので、知り合いの方にお願いできないかなと」


 少し考え込む様子を見せる三人。やはり急な依頼だから難しいかと、岳登はそのわずかな間だけで不安になってしまう。大学生だからといって、岳登が思っているほど、空いている時間はないのかもしれない。


「なるほど。それだったら、ウチの伴戸が役に立ちますよ。伴戸、映研に入ってから主に録音をやってきてますから。もちろんプロの方には及びませんけど、それでも多少なりとも心得はあります」


「録音」という言葉が出た時点で、自分の名前が挙がることは予想がついていたのだろう。伴戸は目に見えて慌てることはなかった。


 それでも、小さく目が泳いでいるのが、横顔からでも岳登には分かってしまう。


「は、はい。確かに榎さんの言う通りですけど、僕で大丈夫ですかね……? 学生映画しか経験していないのに、いきなりプロの現場に参加するというのは……」


「伴戸さん、確かにその気持ちは分かります。僕も大学を出て初めてサード助監督でプロの現場に参加したときは、不安で仕方なかったですから。伴戸さんは今まで何回ほど録音を担当したことがありますか?」


「えっと、たぶん六回か七回ぐらいだと思います。ウチのサークルは、けっこう活発に活動している方なので」


「だったら大丈夫ですよ。それくらいの経験があれば、プロの現場でも十分にやっていけます。確認なんですけど、録音に必要な一通りの機材の扱い方は知ってますよね?」


「は、はい。一応必要最低限の知識くらいは分かっているつもりです」


「なら安心です。アマチュアでもプロでも録音機材というのは、少しグレードが上がったりややこしくなったりはしますけど、基本は同じですから。撮影前に何回か触る機会も設けますし、そこで慣れていただければ問題はないかと」


 岳登がそう提案しても、伴戸はまだ腹を決め切れていない様子だった。心配そうに、榎と珠音に目を向けている。二人が返す視線は優しい。伴戸が今抱いている心配は杞憂で、始まってさえしまえば何とかなると言うように。


「……分かりました」


 頷いた伴戸に、岳登は内心でガッツポーズを作る。スタッフが新たに一人決定しそうなことに喜んだ。


「成海さんの現場に参加させていただきます。でも、その前に一つお願いしていいですか?」


「はい。何でしょうか?」


「榎さんと小芝さんも、どこかのセクションで撮影に参加させてください。僕一人は、どうしても心細いので」


 二人は一瞬目を丸くしていた。でも、一人だけでは心細いという伴戸の気持ちも、岳登には分かった。榎や珠音といった知り合いがいた方が、伴戸もやりやすいだろう。


「そうですね。確かに一人だけだと緊張しますもんね。榎さん、小芝さん。僕からもお願いです。映画の制作にお二人の力をお借りできないでしょうか?」


 岳登が改めて頼み込むと、二人は一度顔を見合わせた。現場への参加が現実味を帯びてきて、戸惑いが出てきているのだろう。


「いやあの、僕たちももちろん成海さんの映画の撮影に協力したい気持ちはありますけど、具体的に何をすればいいですかね……?」


「榎さん、そんなの決まってるじゃないですか。榎さんは車両を担当すればいいんですよ。前撮った映画でも、自分で移動車を運転してましたよね?」


 何をすればいいかと訊きながら、自分にできることに心当たりがあったのだろう。榎は伴戸が言ったことを否定しなかった。でも、「お、おう」という返事からはまだ迷いが見える。本当に協力するのはまた別の話だとでも言うように。


「それに榎さん、運転好きなんですよね? 毎週親御さんの車を借りて運転してるって、前言ってたじゃないですか。成海さん、映画は全編長野での撮影ですよね?」


「はい。その予定です」


「だったら東京の人がナビを見ながら運転するよりも、道を知ってる榎さんが運転した方がいいじゃないですか。たぶんレンタカーになると思いますけど、榎さんだったら何の心配もいらないはずです」


 畳みかけるように、伴戸は説得を重ねる。榎以上の適任はいないと言うように。榎がちらりと岳登を見た。自分に務まるか、心配なのだろう。岳登は小さく頷いた。車を運転できるなら誰でもいいというわけではない。移動車を運転した経験のある榎にこそ、車両担当を任せたいと思った。


「分かりました。車両、責任を持って対応させていただきます」


 真剣な表情で応えた榎は、腹を決めたようだった。そもそも撮影場所に着かなければ、撮影は始まらない。だから、そこまでキャストやスタッフを連れていく車両の役割は、極めて重大だ。でも、学生映画とはいえ経験がある榎は、そのことを重々承知なのだろう。目が何としてもやり遂げると語っていた。



(続く)

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