第12話 伝えたいこと
宮腰からの連絡は、驚くことにその日のうちに返ってきた。七年ぶりに連絡をした岳登を不審に思うこともなく、文面だけなら大らかに受け入れてくれているように見える。岳登がおそるおそる用件を伝えても、宮腰は快く承諾してくれた。さっそく次の日の夜九時から一時間だけだけれど、時間を作ってくれると言う。
展開の速さに礼を言うものの、岳登の頭は若干追いついていなかった。相談に乗ってもらえるのは望んだことのはずなのに、急すぎて心の準備が整っていなかった。
ビデオ電話で話すことも同じ日のうちに決まり、そして迎えた翌日。岳登は通話開始五分前、いや一〇分前からパソコンの前に座っていた。先ほどから胸はソワソワしきりで、じっと座っていることが我慢ならない。ビデオ会議の画面を開いて、手元にはメモを取れるようにノートを用意して、宮腰が入ってくる瞬間を今か今かと待つ。
今日も現時点では、脚本も企画書もまだ一文字も書けていない。可能性は低いと分かっていても、そのことを宮腰に責められるのではないかと考えてしまって、岳登は気が気でない時間を送っていた。
パソコンから別の声が聞こえたのは、夜の九時になったまさにその瞬間だった。画面が二分割され、左側に宮腰の姿が映る。白いポロシャツを着た宮腰の後ろに映っているのは、同じく真っ白な壁だけで、岳登は宮腰が自宅ではなく、仕事場用に借りているマンションの一室にいることを察した。それだけ真剣に、相談に乗ろうとしてくれているのだろう。
「もしもし、聞こえてる?」と確認する声を聞いただけで、岳登は背筋が伸びる思いがした。
「はい、聞こえてます。宮腰監督、今日はわざわざありがとうございます。お忙しい中時間を作ってくださって」
「うん。今公開中の映画の取材もようやくひと段落ついたとこだから、別に気にしなくていいよ。それより成海くん。また映画作ろうと思ってるんだって?」
「はい。そのことで本日は宮腰監督にご相談をしたいと思って、連絡させていただきました」
「なるほどね。じゃあ、昨日も少し聞いたけど、改めて今どんな状況か説明してくれる?」
改まったように返事をして、岳登は現状を説明し始めた。長野に葵座というミニシアターがあること。その葵座が改修工事を行う必要があること。でも、資金が足りなくてもしかしたら工事ができず、そのまま閉館してしまう可能性があること。だから、万が一閉館する前に葵座を映画に撮って、未来に残したいことを要点を絞って簡潔に伝える。
岳登の説明を宮腰は、一度も遮ることなく最後まで聞いてくれていた。
「なるほどね。まあミニシアターは今どこも大変だからね。ただでさえ毎日経営するのにも苦労するっていうのに、そこに改修工事まで加わっちゃうとね」
「はい。なので僕も葵座のために何かできないかと思いまして。一番はお金を出すことなんでしょうけど、僕の貯金だとそれもなかなか難しくて。だから、映画に撮って葵座のことをずっと残したいんです」
「うん。まあ映画を撮るにもなかなかのお金がかかるけど、その話は今はいったん置いとこうか。で、その映画の脚本や企画書が書けずに、今困ってると」
「はい……。なので今日はできたら、宮腰監督のお力添えをいただきたいなと……」
考えれば考えるほど宮腰に相談するのが筋違いな気がして、岳登の語尾は弱くなってしまう。自分一人なら今日も明日もろくに書けないことは分かりきっているのに。案の定、宮腰は眉をひそめている。それを見て岳登は、早くも画面から消えたくなった。
「うーん。とりあえずぶっちゃけたこと言っていい?」
「……は、はい。お願いします」
「正直、成海くんの話は漠然としすぎてる。自分が何に困ってるのかさえ分かってないでしょ。ただ脚本が書けないって言っても、それは設定なのかキャラなのかプロットなのか。まあ今の状態では全部なんだろうけど、でも何からアドバイスすればいいか。話を聞いた限りでは、まだ俺には分かんないよ」
「は、はい……。すいません……」
「いいよ、謝らなくて。分からないから相談してるんだろうし。そうだな。まずさ、成海くんはその映画で何を一番描きたいの? 観客にこれだけは伝えたいってことを、一つ選ぶとしたら何?」
「そ、それは葵座、というかミニシアターの素晴らしさなんだと思います」
「思います?」
「は、はい。ミニシアターの素晴らしさです」
「なるほどね。だったら、それが一番伝わる構成にしたらいいんじゃないかな。『ミニシアターは素晴らしい!』って観た人が最後に思ってくれるようにさ」
それは自分でも分かっている。最初に結末を決めてから書き出すのは、脚本執筆の王道だ。
でも、それができたら苦労しないとも同時に岳登は思う。今はまだ、その結末すら決まっていないのだ。もっと実践的な助言がほしい。そういった思いが顔に出ていたのか、宮腰に「まあ、それができたら苦労しないって感じだよね」と、考えていたままのことを言われてしまう。岳登はとっさに「い、いえ」と取り繕ったが、それは功を奏してはいなかった。
「じゃあ、もっと根本的な話をしようか。成海くんはミニシアターのどんなところが素晴らしいと思ってるの? 具体的な言葉で聞かせてくれる?」
「え、えっと……まずは多様な価値観に触れられるところですかね。リアルでもネットでも、普段話す人は自然と固定されてくるじゃないですか。単一的な価値観に陥りがちなところを、世界中の映画を観ることで『ああこういう価値観もあるんだ』って、気づかせてくれる。それは人や物事に対する想像力を育むことにも繋がってくると思うんです」
「なるほどね。それから?」
「そ、それからですか……。えっと、それと地域の文化拠点にもなってることですかね。ただ生きるだけなら映画をはじめとした文化やエンタメはいらないと思うんですけど、僕たちは人間なので毎日のパンだけではどうしても満足できないじゃないですか。これは美術館や劇場などにも言えることなんですけど、わざわざ遠出しなくても地元である程度の文化に触れることができる。パンだけじゃない人生の豊かさを与えてくれる。そんな文化拠点たるミニシアターが全国にあること。これは大げさじゃなくて、この国の宝なんじゃないかって思うんです。特に最近は」
「うん。それも分かるよ。あとは?」
「そ、そうですね……。あとはやっぱり劇場の人の顔が見えることでしょうか。別にシネコンのシステムを否定するわけではないですけど、僕が通う長野の二館はどちらもチケットは手売りですし、スタッフさんと話すこともよくあります。この人たちが映画を届けてくれてるんだなって実感できることは、やっぱり大きいですね。それにお客さんたちの中でも、常連さんたちの間ではコミュニティが形成されているみたいですし。たとえ一人で行ったとしても、知っている人に会えることは心理的に大きいと思うんです。人の顔が見えやすいっていうのは、ミニシアターならではの利点だと思います」
「なるほどね。唐突に訊かれてそれだけ答えられるってことは、成海くんは本当にミニシアターが好きなんだね」
「は、はい」宮腰に何の衒いもなく返されて、岳登は少し照れてしまう。でも、一部分とはいえ言語化してみたことで、こんがらがっていた頭が少しすっきりもしている。徐々に道筋が見えてきたような気さえするほどだ。
「じゃあさ、そのミニシアターが好きって気持ちを、キャラクターに代弁させればいいんじゃないかな」
「えっ、代弁ですか?」
「そう。別に口に出す言葉じゃなくてもいい。ミニシアター、特にその葵座にはこんないいところがあるんだぞって、ドラマで見せればいいんだよ。今回の映画を撮ろうとした理由だって、つまるところはそれでしょ?」
「それはそうですけど、大丈夫ですかね……? 自分の主張を前面に出したら説教くさかったり、押しつけがましい映画にならないですかね……?」
「成海くん、君が撮ろうとしてるのは自主映画なんでしょ? いろんな人に口を出される商業映画じゃない。だったらさ、監督である君が描きたいことを詰めこめばいいんだよ。もちろん観てくれる人のことも考えなきゃいけないんだけど、それくらい振り切ってる映画の方が俺は好きだな。剝き出しの作者の主張、作家性の発露こそが自主映画の醍醐味だから」
「本当ですか……? 本当に描きたいことばかり描いていていいんですか?」
「うん。自主映画はそうじゃないと意味ないよ。断言する。成海くんが本当に撮りたいものを撮った方がいい映画になる。たとえ歪でも、人の記憶に残る作品になるよ」
「そうですね。そう言われると、確かにそんな気がしてきました」
「気がするんじゃなくて、事実なんだよ。俺だってもう何年も自主映画のコンテストの審査員やってんだよ? 何百本の自主映画を観てきたと思ってんの。自分で言うのもなんだけどさ、俺がこう言ってるからには、ちょっとは信じてくれてもいいんじゃないかな」
宮腰がここまで言うからには、本当に撮りたいものを撮るべきというのは、紛れもない事実なのだろう。岳登が「はい」と頷いたのは、何も宮腰の顔を立てるためだけではなかった。自分の正直な気持ちを映画に乗せればいいのだと、お墨付きを得た思いがある。
「そうですね。宮腰監督に話せて、少し目指すところが見えてきた気がします。改めてありがとうございます。今日は相談に乗ってくださって」
「いいよいいよ。俺だって困ってる後輩の力になれるのは嬉しいし。またいつでも連絡してくれたらいいよ、と言いたいところなんだけど、俺もまた明後日から、次の映画の撮影が始まるからさ。しかもオール海外ロケ。もう明日には日本を離れちゃう。だからしばらくは、成海くんからの相談には乗れそうにないかな」
「は、はい。でも、今日だけでもたくさんのヒントが見つかりました。脚本と企画書の執筆、がんばりたいと思います」
「うん、がんばってね。せいぜい苦しむといいよ。別に苦しんだからって必ず面白くなるわけじゃないんだけど、でも面白くするためには、産みの苦しみは絶対に必要だから」
「ちょっと、宮腰監督。最後の最後に脅かさないでくださいよ」
「ごめんごめん。まあまったくの冗談でもないんだけど。でも、楽しみにしてるよ。成海岳登監督の七年ぶりの新作映画。もし無事に出来上がったら、そのときは俺にも見せてね」
「は、はい。期待にお応えできるように精一杯がんばります」
「うん。その意気だよ。じゃあ俺明日の準備もあるし、そろそろ切っていいかな」
「はい。改めて本日はありがとうございました」
「うん。こっちこそありがとね。じゃあ、おやすみ」
「はい。おやすみなさい」
最後に何気ない挨拶を交わして、宮腰はビデオ会議から退室した。岳登も通話を切ると、パソコンは再びスタート画面に戻る。目を下げてみれば開いていたノートには、宮腰との話に夢中で何一つ書かれていない。
でも、宮腰と話した記憶は、しっかりと岳登の頭の中に残っている。記憶が鮮明なうちに、岳登はすぐにシャープペンシルを手に取った。ひとまず思いついたことから、否定することなく書き出してみる。手を動かしていると少しずつ考えは浮かんでいき、岳登は何行も思いつきを書き連ねた。昨日までほとんど何も出てこなかったのが嘘のように、書く手はすぐに止まない。岳登はそのまま一ページ分以上、無我夢中で書き続けた。いくつか鍵となるセリフやシーンも思い浮かんで、今にも脚本を書き出せそうな気さえしていた。
(続く)
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