第11話 どうすればいいかな?



 絵を描く前のキャンバスみたいに、文章ソフトは真っ白な画面を映し出す。どんな色を加えるかは自分次第だ。その自由さとそれに伴う責任に、岳登は未だ手を動かせずにいた。


 なんとか自分を奮い立たせて、パソコンに向かうこと一五分。画面はまだデフォルトの状態をキープしている。セリフやシーンはいくつか思いつくものの、岳登はそれを書き出せなかった。無数にある選択肢を、書くことで一つ一つ削っていくのが恐ろしく感じられる。


 そもそも大まかなプロットさえできていない状態では、何かが書けるわけもないのだ。手を動かしていれば、何かが出てくる。そう信じてパソコンに向かった自分が恨めしかった。


 栞奈に葵座を舞台に映画を撮りたいと話してから、一週間が経とうとしていた。でもその間、脚本や企画書は一文字も進んでいない。何冊か電子書籍で脚本術の本を読んで、その通りに進めようと思っても、頭は断片的なシーンやセリフを思いつくだけで、物語の形にまとまってはくれなかった。ノートに向かっていても、点と点がつながるように発展することはなく、岳登は映画制作から離れていた時間の長さを思い知る。どう話を書いていたかなんて、少しも思い出せない。


 映画を一本作ったという自信は、すっかり岳登の中から姿を消していた。


 それでも岳登は諦めずに、もう少しパソコンに向かってみる。何か思いつきはしないか。でも、頭は少しも期待に応えず、時間は無為に過ぎていく。そして、パソコンに向かい始めて三〇分ほど経ったところで、岳登の集中力も切れてしまった。今日はもう無理だろう。


 パソコンを閉じた岳登は、そのまま布団に横になった。まだ寝る気はしない。天井を見つめながら息を吐く。こんなことしている場合じゃないという焦り。何も書けない自分への腹立たしさや情けなさ。栞奈をさらに待たせてしまうという申し訳なさが、のしかかるように襲ってくる。この状況を打破するには書くしかない。でも、思うように書けない。映画を、話を作ることはこんなにも苦労することだったかと、岳登は痛感していた。


 岳登がしばし放心していると、枕元に置かれたスマートフォンが着信音を鳴らした。手に取ってみると、電話をかけてきたのは篠塚だった。用件がなんとなく分かるだけに無視はできない。岳登は布団から起き上がって、電話に応えた。


「もしもし、成海さんですか? 今、大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だよ」


「そうですか。あの、先日お話しいただいたスケジュールの件なんですけど」


 岳登は息を呑む。いい返事であるようにと、わずかな時間で願った。


「一一月と一二月なら、それぞれ一週ずつ空いてます。なのでその期間でしたら、成海さんのお手伝いをすることは十分可能かと」


 篠塚は助監督や何やらの現場仕事で忙しいと思っていたから、空いている期間があることに、岳登はひとまず胸をなでおろした。これで助監督はなんとか確保できそうだ。


「ああ、ありがとな。篠塚がいてくれると思うと心強いよ」


「それとスタッフィングの件なんですけど、僕からも何人かの方には声をかけさせてもらっています。その中には興味を示してくださる方もいて。よかったら今度紹介しますね」


「ああ、頼むわ。俺も昔の知り合いに連絡とってるけど、皆忙しくて。なかなか具体的な話まで進んでなかったから助かるよ」


「はい。ところで成海さん。今ってその映画の企画書や脚本って、どれくらい進んでるんですか?」


 篠塚の疑問はもっともだった。まだ映画を撮りたいと言っただけで、ストーリーなどの具体的な話はほとんどできていない。それでも、痛いところを突かれたかのように岳登は感じてしまう。嘘をついてもいいことはないから、正直に現状を話すほかなかった。


「正直に言うと、まだ全然進んでない。脚本も企画書も、まだ一文字も書けてないんだ。せっかく協力を頼んだのにごめんな。こんな状態で」


「いえいえ、いいですよ、とはとてもじゃないけど言えないですね。僕一月以降はほとんど毎週、なんらかの現場が入ってるんですよ。申し訳ないですけど、成海さんの現場に入ることは難しくなってしまいますよ」


「ああ、分かってるよ。俺だってなるべく早く書かなきゃいけないなって思ってる」


「本当に分かってますか? 葵座だってもし改修工事ができなければ、きっとそう遠くないうちに閉館しちゃいますよ。老朽化した建物で営業を続けるわけにもいかないでしょうし。残された時間は、決して多くないと思うんですけど」


 篠塚の言葉はほとんど真実だった。だから、岳登も強く返事ができない。きっとタイムリミットはあって、それはこうして電話をしている間にも、着実に近づいてきている。いつまでもパソコンの前でうんうん悩んでいる場合ではないのだ。


「なあ、篠塚。俺どうすればいいかな?」


 そう口にした瞬間、岳登は切羽詰まっている自分を改めて自覚した。でも、もはや四の五の言っている場合ではない。それでも、篠塚は「そんなの書くしかないじゃないですか」と、至極当たり前のことを言う。それができないから岳登は苦しんでいるのに。


「いや、それはその通りなんだけどさ、何をどうやって書けばいいか分かんないんだよ。昔はホンだって書けてたのに、もう書き方をすっかり忘れちゃってさ」


「そんなの僕だって、脚本をどう書いてたなんて、もう覚えてないですよ。自分で脚本も書いたのは、大学の卒業制作が最後ですし。僕にアドバイスを求めても、何も解決しないですよ。申し訳ないですけど」


 大学を卒業してからの篠塚は、サード助監督を主に担当していて、脚本の仕事は一つもしていない。それは岳登にも分かっていた。その上で藁にも縋る思いで相談したのに、あっさりと現実を突きつけられて、岳登は気落ちしてしまう。たださまよっているだけでは、迷路の出口は見つけられそうにない。


「というか相談するんだったら、僕よりも適任の人なんて大勢いると思いますけど」


「大勢って例えば?」


「そうですね……。例えば宮腰みやこし監督はどうでしょう? 成海さん、二回ぐらい助監督で現場に入ったことありますよね?」


 出てきたのは考えもつかない名前だったから、岳登は一瞬言葉に詰まってしまう。宮腰は監督歴二〇年以上のベテランだ。手がけた本数も多く、現に今も監督作が一本、シネコンを中心に公開中。さらに、今年だけでももう一本監督作の公開が控える他に、水面下で進行している企画もあるだろう。岳登にとっては雲の上の人だから、無意識のうちに相談相手から外してしまっていた。


「いや、でも宮腰監督めちゃくちゃ忙しいじゃんか。俺の相手をしてる余裕なんてないだろ」


「それはそうですけど、ひとまずは連絡してみなきゃ、分かんないじゃないですか。もしかしたら今撮影とか脚本が、一息ついたタイミングかもしれませんし」


「いや、でも俺から連絡するのは気が引けるっていうか……」


「成海さん、ためらってる場合ですか? このまま悩んでいても、脚本は進まないでしょう? 何だったら僕の方から宮腰監督に連絡してみましょうか?」


「いや、それはやめて。連絡するんだったら自分からしなくちゃダメだと思う」


「確かにそうですね。脚本を書こうとしてるのは成海さんなんですし」


「ああ」と返事をしたはいいものの、岳登は未だに迷っていた。作れるか分からない映画のことで、宮腰の貴重な時間を奪ってしまうのが申し訳ないとも感じる。だけれど、篠塚の言う通りもう迷ってはいられない。自分にもう選択肢は残されていないのだ。


 篠塚との電話を切り、そのままの勢いで岳登はラインを開く。幸い宮腰のラインは知っていた。最後に連絡をしたのが『青い夕焼け』の公開時だったから、もう七年も連絡を取れていないでいる。久しぶりにもほどがある人間からのラインを、宮腰はどう思うだろうか。


 岳登はなるべく短いラインを打って送った。当然すぐに既読はつかない。スマートフォンを枕元に置いてからも、岳登の心臓は早鐘を打ち続ける。必要に迫られたからとはいえ、なんてことをしてしまったのだろう。目は冴え、眠ることなんてできるはずもなかった。



(続く)

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