第4話 何かできること



 翌週の土曜日。岳登はさっそく葵座に向かっていた。上映開始の三〇分ほど前にチケットを買う。館内に入ると、この日も栞奈はフードやパンフレット売り場に立っていた。葵座はスタッフがあまり多くないから、支配人である栞奈も、こうして販売などの仕事をしている。


 まだどのスクリーンも映画を上映中とあって、ロビーにいる客は岳登一人だけだった。


「成海さん。今日もお越しくださってありがとうございます」


 岳登が売り場に行くと、栞奈の方から声をかけてきた。岳登も自然な感じを装って応じる。何も買わずにただ話すのも気が引けるから、二〇〇円のお菓子を買った。笑顔で手渡してくれる栞奈が、岳登には余計な心配をかけまいと努めているように見える。


「一五時三〇分からの『一秒先の彼女』ですよね。楽しみになさってたんですか?」


「はい。『熱帯魚』や『ラブ ゴーゴー』の監督ですし、SNSやフィルマークスでの評判もいいので。公開されたら真っ先に観ようと思ってました」


「確かに評価高いですもんね。ウチも昨日からの上映ですけど、けっこうお客さん入ってましたし。きっと皆さん楽しみにされてたんだと思います」


「そうですね」


 親密な会話を交わす二人。いつもは栞奈とする話は岳登には楽しいのだが、今ばかりはそうも言っていられない。「ところで」と岳登は声を潜める。栞奈に悟られないために、せめてもの思いで相好を保った。


「改修工事の件はどうですか? 何か進展はありましたか?」


 岳登が投げかけた質問に、栞奈は一瞬驚いた様子を見せたものの、すぐに穏やかな表情に戻った。岳登に訊かれても不思議はないと思ったのだろう。世間話をするかのように、栞奈は応える。


「正直に言うと、まだ進展はないですね。今は引き続き、銀行の方と相談をしている状況です」


「……大丈夫なんですか?」


「はい。大丈夫だと思います。今までも大変なときはありましたけど、なんとかなってきましたから」


 それは何の根拠にもならないのではと、岳登は思う。今までの経験だけで、今回の危機を乗り越えられるはずがない。スクリーンから歌が流れ始める。エンドロールが流れているのだろう。もうすぐしたら観客が出てくる。岳登には余計な話をしている余裕はなかった。


「袖口さん、本当に正直に言ってください。まだ融資、どこからも取りつけられてないんですよね?」


 栞奈はなんてことないという表情をしようとしていたけれど、一瞬だけ目の奥が曇っていた。ロビーの空気も一瞬だけ凍りついたように、岳登は感じてしまう。

 返事に迷っている栞奈の様子が、岳登に強く現実を悟らせた。


「成海さん、それどなたから聞いたんですか……?」


「信濃劇場のスタッフの方から聞きました。同級生の知り合いが働いてるんです」


「そうですか……」そう言って口をつぐんだ栞奈は、岳登には事実を認めているに等しかった。想像もしたくない未来が、脳裏をかすめてしまう。


「袖口さん、僕に何かできることありませんか?」


「できること、ですか?」


「はい。そのスタッフから聞きました。今カンパを集めてるそうですね。僕も協力しますよ。稼ぎは多くないですけど、それでも三万円、いや五万円くらいなら僕にも出せますから」


「いえいえ。いつも来てくださっている成海さんに、さらにそこまでしていただくのは、さすがに気が引けますよ。ありがたくお気持ちだけ頂戴しておきます」


「袖口さん、今そんなこと言ってる場合ですか?」


 岳登は栞奈の目を見つめる。自分は本気だと伝えるために。栞奈もさすがに折れたのだろう。少しして「分かりました。ありがたく頂戴いたします」と答えた。

自分の要望が通ったことは岳登には嬉しかったが、観客からの寄付に頼るほど葵座は切羽詰まった状態にあると、改めて思い知らされる。


「こちらこそありがとうございます。それで差し支えなければ教えてもらいたいんですけど、カンパって今どれくらいのお金が集まっているんですか?」


「これは内緒にしてほしいんですけど、今は一〇〇万円くらいですね」


「そうですか。ちなみに改修工事ってどれくらいの費用がかかるんですか?」


「いくつかの建設会社さんに見積もりを立ててもらったんですけど、最低でも五〇〇万円はかかるようです」


「そんなにですか」


 現実を知らされて、脊髄反射のように岳登は口にしてしまう。改修工事への道のりは想像以上に険しく、とてもカンパだけでは賄えそうにない。それは栞奈が一番分かっているのだろう。「そうなんですよね……」と肩を落としている。厳しい現実に苦しみもがいている栞奈の様子は、岳登には見てはいられなかったけれど、それでも目を逸らしてはいけないように思えた。どうにかならないか。岳登は懸命に頭を回して、一つの解決策を思いつく。


「袖口さん。お金足りないなら、クラファンしましょうよ」


「クラファンって、クラウドファンディングのことですか?」


「そうです。ほら、よく自主制作映画がクラファンで資金を募ってるじゃないですか。あれを葵座でもやるんですよ」


「えっ、でもクラファンには審査があるんじゃ……」


「確かにそれはそうですけど、でも審査を通れるようなプロジェクトにするために、僕も文面やリターンの内容を考えたりとか、できることは協力しますから。今のまま地元だけでカンパを募っていても、五〇〇万円集めるのって正直厳しいと思うんです。だから、クラファンで全国の映画ファンや長野に暮らす人たちから、少しずつでも資金を集めることも考えていいんじゃないでしょうか」


「大丈夫ですかね……。お金集まりますかね……」


「それは、僕も絶対大丈夫とは言い切れないです。でも、ここは映画ファンの映画館を大切に思う気持ちや、市民の葵座をなくしたくない気持ちを信じましょうよ。ちゃんとアピールできれば、人は動くはずですから」


「でも、もし目標金額に達しなかった場合は……」


「袖口さん。今は悲観的に考えるのはやめにしましょうよ。葵座続けたいんですよね。だったらもうやるしかないじゃないですか」


 岳登の言葉は、自分でも想像しないほど熱を帯びていた。地域の文化拠点として、葵座は絶対になくしてはならない。その思いがエンジンとなって、口と頭を動かす。

 栞奈も納得したのか、少しして「そうですね。検討してみます」と頷く。葵座の存続にわずかでも光が差し始めたことに、岳登はまだ何も成し遂げていないのに、少し嬉しくなった。


「はい。ぜひお願いします。ちなみになんですけど、お金を集める期限はありますか?」


「今のところは一〇月の末ですね。これ以上は後ろに動かせないと建設会社の方からは言われています」


「だったらまだ時間あるじゃないですか。きっとうまくいきますよ」


 岳登は栞奈にだけではなく、自分にも言い聞かせた。実際今はまだ七月だから、あと三ヶ月もの猶予がある。もしかしたら何とかなるかもしれない。「ですね」と栞奈も微笑んだところでスクリーンのドアが開き、映画を見終えた観客が出てきた。

岳登は売り場を後にして、ロビーのベンチに座る。スマートフォンを見ていると、今日も葵座に来た小畑と栞奈が話しているのが聞こえた。



(続く)

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