第2話 俺はもう映画を
「それではこれにて、
黄緑色の袈裟を着た坊主が丁寧な口調で言う。仏間と居間を使った会場に集まっているのは一〇人ほど。身内だけで執り行われる小さな法要だ。三〇分間の念仏が終わり、参列者は誰もがほっと一つ息を吐いているように、岳登には思えた。
「では、喪主様。何か一言ありましたらどうぞ」と坊主に言われて、岳登は仏壇を再び垣間見る。遺影の中の智紀は、凪いだ水面のような落ち着いた表情をしていた。
「皆様、本日は父・成海智紀の一周忌法要にお集まりいただきありがとうございます。皆様からの念仏を受けて、故人も無事極楽浄土へと行くことができたと思います。本当に感謝しています。本日はささやかながら食事のご用意もしております。よろしければ食事をしながら、ぜひ故人との思い出話に花をお咲かせください」
岳登がそう挨拶をしたところで、智紀の一周忌法要はひとまず終わりを告げた。座布団を片づけて、坊主が袈裟から着替えるのを待ってから、岳登たちはマイクロバスに乗りこむ。
予約したレストランには五分ほどで到着した。成海家が懇意にしている、ステーキレストランだ。岳登たち参列者は店内に入ると、二階の予約席に通される。
和室に置かれたテーブルには、誰がどこに座るかがきっちりと定められていた。
「それでは皆様。故成海智紀様を偲んで、僭越ながら私めが献杯のご発声をさせていただきます。献杯」
坊主がそう言うと、岳登たちは小さなグラスを掲げ、食前酒を口にした。ブドウのまろやかな酸味が、岳登の舌に合う。参列者とビールを注ぎ合って、一口飲むと岳登はようやく一息つくことができた。
「岳登、今日はお疲れさま」
お通しの酢の物に箸をつけるよりも先に、自分を労ってきた人物に、岳登は小さく笑みをこぼす。
「母さん、まだ早いよ。法要は終わったとはいえ、今はお斎の最中なんだから。お疲れさまって言うのは帰ってきて、ゆっくりするときに言ってよ」
そう岳登が応えると、岳登の母親である
「そうね。また全部終わったらね」
「うん。母さん帰るの明日でしょ。だからゆっくりしてくといいよ。まあしづらいかもだけど、母さんだっていい年なんだし、わざわざ東京から来てるんだからさ」
「うん。そうさせてもらうわ」
二人は和やかな表情を向け合う。こうも穏やかに早香と話せる日が来るなんて、三〇年前の自分に言ったら驚くだろう。そう思いながら、岳登はビールを傾ける。すると、正面の席に座る
ビールを注いだ将義は、そのまま岳登に話しかけてきた。
「どうだ、岳登。仕事の方は。もう慣れたか?」
まるで新卒生に対する言い方だったが、岳登だって今の仕事に就いたのは、半年ほど前のことだ。それに智紀の兄の息子、つまり従兄弟である将義には、子供のころから何かと世話になっている。岳登には答えない理由がなかった。
「はい。おかげさまで大分慣れました。職場の人も優しいですし、毎日会社に通うことができています」
「そっか。確かデータ入力だったっけ? 単調な作業だから退屈だろ」
「いえ、やればやった分だけ成果が出ますし、分かりやすくていいです。それにああいう黙々とやる仕事、結構僕には向いているので」
「そっか。まあがんばれよ。俺はいつまでもお前のこと応援してるからな」
将義がそう言ったタイミングで、店員が刺身を持ってやってきたから、二人の会話は中断された。目の前に置かれた鯛やマグロやサーモンの刺身に、岳登は目移りしてしまう。周囲の様子を見てから、好物の鯛に箸を伸ばす。上品な脂が美味しかった。
「ねぇ、岳登」
岳登は箸を止める。「何?」と答えると、早香は会う前から言おうと決めていたかのように、ゆっくりと口にした。
「そろそろ東京に戻ってもいいんじゃない?」
思い切った早香の言葉にも、岳登はそれほど驚かなかった。智紀が亡くなったときから、もう何十回と頭を過ったことだ。でも、その度にここに留まるのが正解だと自分に言い聞かせている。そしてそれは、早香を目の当たりにしても変わらなかった。
「いや、俺はまだしばらくはここにいるよ。せっかく仕事にも就けたんだし、そう簡単にやめたくないよ」
「そう? でも岳登、また映画撮りたいんじゃない? そのためには人も環境も集まってる東京に行くのが、一番じゃないの?」
「あのね、母さん。今は映画なんてどこでも撮れるの。スマホ一台で撮ることだって可能なんだから。わざわざ東京に行く必要なんてどこにもないよ」
「でも、こんなこと言うのもなんだけど、岳登がここにいる理由はもうないんじゃない……? あの人はもういないわけだし……」
「母さん。それ以上言ったらいくら母さんでも怒るよ」
岳登の心がささくれ立ったのは、早香の言ったことがもっともだったからだ。今の会社は、辞めようと思えばいつでも辞められる。
それでも、岳登には智紀と過ごした実家を手放したくないという思いが強かった。それに今はもう家族ではないとはいえ、「あの人」呼ばわりはあんまりだろう。
言葉と目で説得されて、早香も「う、うん。ごめんね……」とそれ以上言葉を続けなかった。分かってもらえたようで、岳登はひとまず胸をなでおろす。
「それに俺はもう映画を撮らないから。こっちに戻ってきた六年前にそう決めたんだ。だから、ひとまずは今の仕事をがんばるよ」
「そう。がんばってね」という早香の返答は、今の岳登にとっては一〇〇点に近いものだった。もう家族ではないのだから、金銭的な援助は期待できない。「がんばって」という他人事の距離感が、今の心情にピタリと合う。
岳登が頷くと、会話は終わった。次々に運ばれてくる料理に舌鼓を打ちながら、時折ビールを煽る。ビールが少なくなった頃合いを見計らって、将義の息子である
(続く)
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