Fools on the screen

これ@12/1文学フリマ東京39い―46

第1話 閉館するかもしれないって



 天井照明が消えた館内では、誰もが周囲を気にすることなく、顔を上げ続けている。固唾を呑んで目の前の光景を見つめるわずかな人たち。それは成海岳登なるみがくとも、例外ではなかった。後方上部から照らされる光が、岳登の脳裏に焼きつく。


 スクリーンでは青い法被を着た中年男性が、珍妙な踊りを披露している。ここだけ見たならば何も感じないだろうけれど、それでも岳登は滂沱の涙を流していた。 かつてあった場への思い出が、レディオヘッドの「Creep」に乗って蘇ってくるようで、岳登はエンドロールに入った映画を自分のこととして感じていた。


 そしてそれは、映画を観ているこの場所にも起因しているのだろう。


 ここ、長野葵座は一〇〇年以上の歴史を誇るミニシアターだ。木造建築の映画館としては、現存している中では日本最古だ。それが映画の舞台である劇場に重なって見えて、岳登は途中からずっと涙を流し続けていた。しきりに肩を震わせていて、後ろにいる観客からは、少し怪しく見えていたのだろうけれど、受けた感動に比べれば、そんなことは些細なことにすぎなかった。


 映画が終わって客席の照明がついてもなお、岳登は席から立てなかった。涙を止める時間と映画の余韻を味わう時間が必要だった。岳登はポケットティッシュを取り出して、鼻をかんだ。そして、顔を上げる。岳登の胸に深く刻まれるほどの感動を残したスクリーンは、今は灰色の味気ない光景だ。それでも岳登はまた泣きそうになってしまう。


 映画にかけられた魔法は、まだ岳登の中で続いていた。


 完全に自分が泣き止んだことを確認して、岳登は席を立った。窓の外では入ってきたときには明るかった空が、既に暗くなっている。


 岳登は入り口の横、売店の前で立ち止まる。ショーケースの向こう側に立っていたのは、袖口栞奈そでぐちかんな。長野葵座の現支配人、その人だった。映画館の外観が書かれたTシャツが、少しおおらかな体躯によく似合っている。


「パンフレット一つください」


「はい。八〇〇円になります」


 栞奈の声はどこか弾んでいた。


「映画、どうでしたか? 面白かったですか?」


 まだ別のスクリーンで映画は上映中で、閉館時間まで少し時間があるからか、栞奈は相好を保ったまま訊いてきた。岳登もまた、感動を誰かと共有したい気分だった。


「はい。めちゃくちゃ面白かったです。映画で出てきたストリップ劇場に、自分もいる気がしました。途中からはもうなくなってしまった場所のことを思い出して涙が止まらなくなって。本当に上映してくださってありがとうございます」


「いえいえ、楽しんでいただけたようで何よりです。実はこの映画を上映すると決めたとき、成海さんの顔が思い浮かんだんですよ。成海さんならきっと観に来て、気に入ってくれるはずだって」


 栞奈の返事に、岳登は驚いてしまう。確かに葵座には週に一回以上のペースで訪れているし、映画館の会員になって割引価格で映画を観ているから、顔と名前を把握されていることは、岳登だって分かっていた。だけれど、一観客に過ぎない自分の存在が作品の選定に影響を及ぼしているとは思わなかったから、「えっ、本当ですか?」と口走ってしまう。


「本当ですよ。ここで嘘を言う必要がないじゃないですか」


 栞奈の目は細められていて、本当のことを言っているのだと岳登は分かる。映画館と自分と。いわば相思相愛の関係を築けていることが、この上なく嬉しかった。


 会話を続ける二人。「再来月公開の単館系映画も上映してほしい」と岳登が言うと、「はい。検討してみます」と栞奈も答える。前向きな返事に、その映画が葵座で公開される可能性は低くなさそうだった。


「ああ。袖口ちゃん、お疲れ」


 二人が話を終えようかというタイミングを狙っていたのだろうか。栞奈に話しかけてきたのは、初老の男性だった。この男性も足繫く葵座に通っているから、顔ぐらいは岳登も知っている。


 それでも、「小畑こばたさん。今日もありがとうございます」と栞奈が挨拶したのを聞いて、岳登は男性の名字を初めて知った。


「映画、面白かったですか?」


「うん、面白かったよ。俺はさ、ストリップ劇場には行ったことがないんだけど、それでも懐かしい気持ちになった。音楽もよかったし、記憶に残る作品になったよ」


「それはありがとうございます」栞奈は小畑にも、岳登のときと変わらない笑顔を向ける。小畑も面白く思ってくれたことに、岳登は何ら映画の関係者ではないのに嬉しくなってしまう。映画で繋がる健やかな空間。


 でも、それは小畑が次に口にした言葉で一変した。


「ところで袖口ちゃん。ちょっと聞いたんだけどさ」


「はい。何でしょう?」


「葵座が閉館するかもしれないって、本当なの?」


 その言葉は脳どころか岳登の全身を貫いた。葵座が閉館するかもしれないなんて、それこそ寝耳に水だ。栞奈の顔からも笑みが引いていて、あながち間違いではないことを、岳登は悟ってしまう。


「小畑さん。それどこで聞いたんですか?」


「いや、この前飲み会で。中堂ちゅうどうが言ってたよ」


 その名前は、岳登もうっすらとだが聞いたことがあった。葵座が居を構える長野道枝商店街の組合長だ。その中藤が言っていたということは、信憑性も高いのだろう。

栞奈は被りを振らなかった。岳登の思いとは裏腹に。


「小畑さん。それに成海さんも。これ誰にも言わないでくださいね」


 栞奈が慎重な前置きをしたから、岳登は息を呑む。栞奈は二人の表情を確認してから、先ほどよりも声を潜めてまた話し出す。


「まず安心してください。閉館を検討しているという事実は現時点ではありません。実は、近々大規模な改修工事を行おうと考えていて。この映画館もだいぶ古い建物ですし、あちこちが老朽化してきてるんですよね。だから今は改修工事に際して融資が受けられないかどうか、銀行の方と相談しているところです」


「そうだったんですか」と、岳登はひとまず胸をなでおろす。ほとんどデマに近いことを言った小畑を少し恨めしくも感じたけれど、口には出さなかった。


「はい。なので改修工事を行う際は、何ヶ月間という長期の休館になると思いますが、営業が再開された時には、お二人ともまたよろしくお願いしますね」


「ええ。葵座がこれからも続いていくための休館ですもんね。それだったら僕は全然待てます」


「ああ。俺も工事が終わったら、またここに映画を観に来るよ」


「お二人ともありがとうございます。まだ工事をすると決まったわけではないんですけど、それでもより良い環境で映画を観てもらえるように努めたいと思います」


「あんまやりすぎんなよ。俺、今の環境も結構好きだから」


 微笑んだ小畑に、釣られるようにして栞奈も笑う。岳登も同じ気持ちだったので、自然と笑みがこぼれた。クライマックスに差しかかっているのか、隣のスクリーンから小さく音が漏れてくる。勇壮な音楽を、岳登は穏やかな気持ちで耳にしていた。



(続く)

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