第17話 裏の裏は表



 婚約の儀の後に、ハンス様の父、母、兄と私の父と共に食事を終えて、私は父と二人で馬車に乗っていた。

 父も私も馬車の中では一言も言葉をはしなかった。

 静寂が馬車の中を支配した。

 馬の蹄の音と、馬車の揺れる音……そんな音が聞こえる。


 そんな中、父が口を開いた。


「シャルロッテ……想像以上にいい縁談話だったな」


 私はしばらく考えた後に口を開いた。


「………………ええ。そうですね、大変、いいお話でしたわ……」


 そうなのだ。

 今回の縁談はまさに非の打ち所がない。

 

 政略結婚だと思っていたのに、ハンス様はずっと私に寄り添い、とても幸せそうに微笑み、あまりにも甲斐甲斐しく私の世話をしてくれるので、ハンス様のお兄様にも『すでに溺愛だな……』と言っていた。

 私はこれまでの人生でことはあるが、ことがない。


 さらに結婚の条件も最高で、私にはもったいないくらいの条件だった。

 しかも、これから週末にはハンス様の家に行って様々なことを学ぶらしい。その送り迎えはハンス様がしてくれるというのだ。


 ――至れり尽くせりで……正直怖い。


 片思い歴の長い私には、誰かに純粋な好意を向けられることに慣れていないのでどうしたらいいのかわからない。

 私の答えを聞いた父がしばらく沈黙した後に口を開いた。


「明日の昼、一緒に食べると約束していたな……」


「ええ、そうですね」


 これから週に何度か一緒に学園で昼食を摂ってお互いのことを知ろうということになったのだ。

 すると父が小さな声で言った。


「旨い話には……裏があることを頭に入れておけ」


 通常の親ならいい縁談の話だったら諸手もろてを挙げて喜んだだろう。

 それなのに、このセリフだ。

 あまりにも父らしくて少し笑ってしまった。


「ふふ、心得ていますわ」


 その後、私は家に戻った。

 屋敷に戻ると、エイドが出迎えてくれた。


「おかえりなさいませ」


 エイドは相変わらず顔色一つ変えていなかった。


「……婚約したわ」


 エイドの顔を見れずに呟くとエイドの声が聞こえた。


「それはおめでとうございます。心から祝福いたします」


 顔を上げてエイドを見たが、エイドは……笑っていた。

 本当に嬉しそうに……笑っていたのだ。


(もしかして、私が婚約して本当に本当に喜んでいるの??)


 私はエイドの顔を見ることが出来ずにそのままエイドの側をすり抜けた。

 そしてその日は部屋から出なかった。

 湯浴みをして部屋でエイドの笑顔を思い出していた。


(エイドにとって私の想いはやっぱり迷惑だったのかな……)


 どこまでも沈んでいると扉がノックされた。


「はい」


 私が返事をすると、弟のジーノが部屋に入って来た。


「どうしたの?」


 私が尋ねると、ジーノは「泣いてはないんだ……」と言った。

 涙は不思議と出なかった。

 なぜだろう。

 心が冷え切ってしまって、涙さえも流れない。


「ちょっと付き合ってよ。喉乾いたからさ」


「え? ええ……いいけど……」


 普段は、ジーノにこんな風に誘われることはない。

 だから不思議に思ったが、私は何も言わずにジーノに着いて行った。

 ジーノに連れて行かれた場所は、使用人の食堂だった。


 そこには……


「え? エイド?」


 私は思わず小さな声で呟いた。

 そこには酒瓶を抱いて、寝ているエイドがいた。


「あ、お嬢様。見て下さいよ、エイドのヤツ……酒も呑めないくせに無理して飲んで潰れたんですよ」


 料理長が呆れながら言った。


「え? エイドって普段はお酒の飲まないの?」


「はい。全く。それなのに急に『一本俺に売ってほしい』って言い出してね。俺の酒をやったら、このありさまですよ……」


 私は眠っているエイドに触れようとした。すると、寝ているはずなのにエイドが「誰だ」と言って私の手を握った。


「エイド、起きてたんだ」


 私がエイドに話けるとエイドが「なんだ……お嬢か」と言ったが、掴んだ手を離さないままふたたびテーブルに顔を付けた。


「え? 寝てる??」


 私が尋ねると、エイドが声を上げた。


「お嬢……本当は……誰にも……渡したく……ねぇ」


 エイドが小さな声で呟くように言ったが、私にはバッチリと聞こえた。


「誰にも渡したくない? 本当? ねぇ、エイド?」


 尋ねてみたが、エイドから寝息が聞こえるだけで、返事はなかった。

 ジーノは強引にエイドの手を離すと、私を見ながら言った。


「姉さん、付き合ってくれてありがとう。もう水飲んだから。戻ろう」


「え? エイドこのままでいいの?」


「いいよ。じゃあ、料理長おやすみ~~」


 ジーノは料理長あいさつをすると私の手を引いて歩き出した。

 私は、手を引きながら前を歩くジーノに向かって呟いた。


「ジーノ。ありがとう」


「何のこと? 俺は喉が渇いて、姉さんをつき合わせただけだし……」


「ふふ、そう、それでもありがとう……」


 ジーノは後ろを向いたまま何も言わなかった。私はそんなジーノに心から感謝したのだった。


 

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