3章 とある食材の探求者
第1話 何がお好きなんですか?
年が明け、数ヶ月が過ぎて今は3月。ゆっくりゆっくりと、春が足を忍ばせている。まだ肌寒い日が続いているが、お日さまが柔らかくなってきていた。
「こんばんはー!」
……来はった! みのりの心にぴりっと緊張が走る。だがそれは悪いものでは無く、むしろわくわくする様なもの。
夜の時間帯、元気に挨拶をして、脱いだ薄手の緑色のコートをハンガーラックに掛け、カウンタ席にすっと座った若い女性のお客さまは、みのりから受け取った温かいおしぼりで手を拭いたあと、いそいそとおしながきを広げる。お惣菜のおしながきを上から下までしっかりと見たあと、少し残念そうな顔で小さく息を吐いた。
「……お惣菜全種と、竜田揚げとぶりの照り焼きください。ごはんは白米の大で」
その声は少し沈んでいる。きっとそうだろう。なぜなら今日は、ツナを使ったお惣菜が無いのだから。
これでほぼほぼ確信が持てた。このお客さまは、やはりツナがお好きなのだ。みのりはこのお客さまにひっそりと「ツナさん」とあだ名を付けた。
「はい。お待ちくださいね」
みのりは「よっしゃ」と思いつつ、ツナさんに微笑んだ。
今日のお惣菜は、うどと新わかめの酢味噌和え、新玉ねぎとかいわれ大根のおかかポン酢和え、カリフラワーのコンソメ炒め、菜の花のハニーマスタード和え、葉ごぼうのごま炒めである。
葉ごぼうは大阪の
葉は
今日の「すこやか食堂」では灰汁抜きをして細切りにした葉と軸をごま油で炒め、日本酒とみりん、お醤油で味付けをして、すり白ごまをまぶし、仕上げにもごま油を鍋肌に落とす。
春にしか流通しないこの葉ごぼうは、主に関西で食べられている。貴重な恵みだとみのりは思っている。
しゃきしゃきとした歯ごたえに、瑞々しい青み。ふんわりと土の香りがする中に、ごまの香ばしさが立つのだ。そしてこの葉ごぼうは、食物繊維や鉄分が豊富なのである。
さて、このツナさんだが。前回来られたときのことだ。
その日のお惣菜に、ツナとひじきの炒め物があった。お水で戻した長ひじきと千切りにした人参、水煮のツナをごま油で炒め、お酒とみりん、お醤油で味付けし、仕上げにごま油で風味を足している。
「ツナとひじきのやつ、10人前ください!」
おしながきを見て目を輝かせたツナさんは、高らかにそう言い放った。そして白ごはんの大とお味噌汁で、10人前どころかお代わりをし、ひじきをすっかりと食べ尽くしてしまったのだ。
その大食いっぷりにも驚いたが、メインも頼まずにひじきばかりを頼まれたことにも驚いた。よほどお好きなのだろうと考えるのが自然なことだ。
となると、何がツナさんの琴線に触れたのか。ツナもひじきも人参も、この日は他のお惣菜やメインには使っていない。なのでこのうちのどれかだと思ったのだが。
疑問が残るまま数日が経ち、またツナさんが訪れた。
そのときのお惣菜には、人参を使った切り干し大根があった。だがツナさんは
これで人参の可能性は無くなった。
そしてまた数日後、ツナさんが来られた。お惣菜にあったのは、ひじきが入った白和えだった。それもまた過剰な頼み方はせず、お惣菜全種類とメインを2品、白ごはんの大とお味噌汁だった。
となると、残りはツナになる。
みのりは、お惣菜にツナは滅多に使わない。基本はお野菜や大豆製品、海藻などで組み合わせる。あのときは少し動物性のコクを出したいな、と思ったので、ツナを選んだのだ。
そして、今日である。今日のお惣菜はツナはもちろん、ひじきも人参も使っていない。なので消去法としてツナがお好きなのだろうとなったのだ。
それを確実にするためには。
その数日後、どうやらツナさんは毎週月曜日と木曜日に来ていると当たりを付け、みのりは月曜日のお惣菜に、ツナと塩昆布と春雨の酢の物を作ってみた。
まるで勝負に挑んでいる気持ちだった。今日、ツナさんが来てくれます様に。ツナがお好き、これが正解でありますように。
みのりはまた食べ尽くされてしまっても、追加で作れる様に材料を用意していた。そのために保存が効くものばかりで構成したのだ。春雨は乾物だし、ツナと塩昆布も封を開けなければ長期保存が可能だ。
果たして!
ツナさんは見事、ご満悦な表情で、酢の物をすっかりと食べ尽くしたのだった。
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