第5話 生徒さんの癖

 赤塚あかつかさんは、ひとことで言うと「イケメン」だった。しゅっとしたモデルさんの様な風貌ふうぼうで、ふわりとうねった髪は金髪に近く、背も高くて女性人気が高そう、それがみのりが抱いた第一印象だった。黒のシックなコックコートが余計に格好良く見せているのだと思う。黒は収縮色なので、細くも見せてくれるのだ。


 専門学校を10年前に卒業しているのだから、今は30歳前後だと思う。だがもう少し若く見えた。それこそ、20台中盤のゆうちゃんと変わらないほどに。


「もうすぐ生徒も来るから。ちゃんと事前に見学の許可は取ったぁるからな。あ、その前に手ぇ洗ってな、キッチンの水道。拭くんはペーパータオルがあるから使ってや」


 みのりと悠ちゃんは順番に、ハンドソープを使って丁寧に手を洗い、シンクの脇に置かれているペーパータオルで手を拭き、足元の大きなごみ箱に捨てた。タオルで無いのは清潔を意識しているからだろう。食中毒は大敵である。


 赤塚さんがダイニングセットの椅子を2客引き抜いた。キッチンが対面に見える位置だ。


「椅子はこの辺のん使こてな。できるだけ物は少なくしてんねん。どうしても調理器具で溢れがちになるからな」


 確かに和洋中と教えているのなら、包丁ひとつ取っても形から違う。日本料理なら出刃包丁や刺し身包丁などがあるし、洋食なら牛刀やパン切り包丁などで、中華なら刃が四角くて大きな中華包丁が有名だ。家庭料理なら三徳さんとく包丁ひとつで充分事足りるが、生徒さんによっては専門的な器具が必要なのだろう。


「座っててくれてもええし、立ってキッチンとか手元とか見てくれてもええ。でも生徒の邪魔にならん様にだけ頼むわ」


「はい」


 悠ちゃんも小さく頷く。みのりたちはありがたく、椅子を使わせてもらうことにした。みのりには常にめまいがあるので助かる。


「俺、まだ少し準備あるから、ゆっくりしとってな」


 赤塚さんは手をひらひらと振ると、また奥の部屋に入って行く。そこが控え室の様なものになっているのだろうか。次に出て来たときは、両手でトロ箱を抱えていた。キッチンの作業スペースに置かれたそれを見ると、葉物野菜などが入っていた。赤塚さんはそれをてきぱきと冷蔵庫に入れて行く。


「お手伝いしましょうか?」


 みのりが腰を浮かすと、赤塚さんは「大丈夫、大丈夫」と軽く言う。


「こんなん慣れた人間がちゃちゃっとやるんが早いから。それにこれ入れたら準備は終わりやから」


「……あの、今から教えはるんは、中華料理ですか?」


「そうや、よう分かったな。あ、スープで分かるわな」


「はい。あの、寸胴鍋見せてもろてええですか?」


「ええで。言うても、何の変哲も無い鶏がらスープやで」


 みのりはゆっくりと立ち上がる。急に立つとめまいが酷くなるからだ。本当に不便な身体だと思う。


 寸胴鍋の中を見せてもらうと、鶏がらと何かのひき肉、多分鶏のひき肉。そして白ねぎの青い部分としょうがの皮が入っていた。


 確かに一般的な鶏がらスープだった。ひき肉を使っているのは、早くスープを煮出すためだろう。みのりも調理師専門学校で習った技術だ。だがじっくりと煮出されているのだろう、淡いブラウンに染まったスープは透き通っていて、香味野菜のおかげで臭みも無く、動物性の良い香りだけが立ち上がっていた。灰汁あくも丁寧に取り除かれていて、今は中心に少し浮いている程度だった。


「お、ええ感じに取れて来たな」


 作業を終えたのだろう赤塚さんが横から寸胴鍋をのぞき込み、キッチンに置いてあった刷毛はけに灰汁を吸着させ、水を張ったボウルに落とした。


「鶏がらスープ取るんはひき肉使こても時間掛かるからな。生徒にやり方は教えるけど、前もって取っとくねん。家で作るんやったら手軽にもととか使こたらええと思うんやけど、ま、ここ教室やから。一応本格的を謳っとうし」


「はい」


 中華なら上湯しゃんたんや鶏がら、洋食ならブイヨン、和食ならかつお昆布出汁など、たん、フォン、お出汁だしはお料理の基本となるものである。これらを丁寧に取るかどうかで、お料理の仕上がりは変わって来る。赤塚さんはそれを大事にしているのだな、そう思うと料理人としての信用感が増してくる。


 すると表のドアが開く音がし、みのりがとっさに見ると、華やかな雰囲気の女性が入って来た。


「こんにちはぁ〜」


 ゆったりとしたロングの赤いワンピースをまとい、ブラウンの髪は緩やかに巻かれて背中に流れている。お化粧が濃いめなので年齢は分かりにくい。真っ赤な唇が目を引く。みのりには派手な人に見えた。


今村いまむらさん、こんにちは」


 赤塚さんがそつの無い笑顔で応える。女性は赤塚さんに駆け寄って手を伸ばした。が、赤塚さんはそれを笑顔のままひらりと避ける。


「ああん、もう、赤塚ちゃんたら、ほんまにつれへんのやからぁ〜」


 女性はそんなことを言いながらも楽しそうだ。もう何度も来ていて慣れているのか、手にしていた白のバーキンを空いているダイニングチェアにそっと置いた。高価なものだ、大事にしているのだろう。


「さ、今村さん、手を洗ってエプロンを着けてくださいね。それと、事前に言うてた通り、今日は見学の人がおりますんで」


「はいは〜い」


 言いながら女性、今村さんはちろりとみのりたちの方を見る。すると途端にその目はけわしいものに変わった、様に見えた。


 あれ? もしかしたらにらまれた? みのりは思わず目を瞬かせる。ふと悠ちゃんの顔を見ると、呆れた様に目を細めていた。どうしたのだろうか。みのりは小さく首を傾げた。

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