第6話 コーンスープの魔法

 今村いまむらさんはしっかりと手を洗うと、バーキンから大ぶりな赤い花柄がプリントされたエプロンを出して、手慣れた様子で身に着けた。ワンピースや口紅も赤なので、もしかしたら赤色が好きなのだろうか。バーキンは白だが。


「では始めますね。よろしくお願いします」


「はぁい。よろしくね〜」


 赤塚あかつかさんはまず、鶏がらスープの説明から始め、そしてお料理に入って行った。


 赤塚さんが丁寧に実演もしながら教えて行き、今村さんが「はぁい」と返事をしながら素直に従って行く。ふたりとも真剣な表情だ。刃物も使うのだから、ふざけていたら怪我をしかねない。


 赤塚さんの指導は分かりやすい。この教室に来る生徒さんはきっと多くは経験者だ。少しでもお料理の心得のある人なら問題無く進められる。だが赤塚さんならきっと、初心者が相手だったとしても懇切丁寧に教えるのだろう。


 最初のメッセージのやり取り、そして初対面だった今日の挨拶。軽い人なのだろうかと思っていたのだが、今の赤塚さんを見ているとその印象は変わる。きっとお料理に対しては誠実な人なのだ。


 今村さんも、そんな赤塚さんだから信用して習いに来ているのだろう。みのりにも今村さんの赤塚さんへの好意の様なものが見える。


 あ、そうか。今日というか今は中華料理を教えるから、挨拶が「ニーハオ」だったのか。なるほど。みのりはひとりで納得していた。




 そうしてできあがったお料理の味見をし、残りのお料理はタッパーやスープジャーに詰め、赤塚さんと協力して洗い物を済ませた今村さんは、バーキンとピンクのエコバッグを手に上機嫌で帰って行った。最後にみのりをちら見することを忘れずに。みのりが何かしてしまたのだろうか。疑問は膨らむばかりである。


 今日、赤塚さんが今村さんに教えたのは、コーンスープ、水餃子、えび焼売、八宝菜はっぽうさい翡翠ひすいチャーハンだった。お料理が進むにつれ室内には美味しそうな香りが充満し、しっかりお昼ごはんを食べて来たというのに、ぐぅとお腹が鳴りそうだった。


 おしながきは町中華でも定番のものだ。だが使う食材に調味料、調理法などでその味は変わってくる。当たり前のことだが、そういうところで町中華と高級中華の線引きがされる。


 どちらにも魅力がある。創意工夫してお手軽なお値段でいただける町中華、ぜいが尽くされた高級中華。どちらも幸せになれるものだ。


 味見をした今村さんは、本当に満足そうに満面の笑みを浮かべていた。コーンスープはもちろん、水餃子の餡にも八宝菜にも丁寧に煮出した鶏がらスープが使われていて、調味料も高価なものばかりが並んでいた。きっとお肉やお魚、お野菜などにもこだわっている。


 だからこそ、「家庭料理の域を超えた」もの、なのである。


 赤塚さんが残ったコーンスープとペットボトルのお茶を出してくれた。赤塚さんも自分の分のお茶を手にダイニングチェア、みのりたちの正面に掛ける。


「お茶、ペットボトルで済まんな。スープ飲んでみて。うちのレベルが分かってもらえると思うわ」


「いえ、ありがとうございます」


「ありがとうございます」


 みのりもゆうちゃんもぺこりと頭を下げた。物はできるだけ少なくと言っていたから、教室で使う以外の茶器などは持ち込んでいないのかも知れない。


 みのりはさっそくマグカップに注がれたコーンスープに口を付ける。するとすぅ……と心が柔らかくいだ。


 粒が残った甘いコーンに、ふわりと香る鶏がらスープの風味、そしてとろりとした卵。純然たる素材の旨味が押し寄せて来る。調和された美味が広がる。


 中華のコーンスープの作り方はみのりも知っている。多少の手間は掛かるがそう難しいものでは無い。今の季節は生のとうもろこしが手に入らないから缶詰を使っていたが、無添加のものだったので余計に素材の味がはっきりしているのだ。お塩などの調味料も最小限だった。


「めっちゃ美味しいです……」


 みのりが頬を緩ませて言うと、赤塚さんは「良かった」と口角を上げた。


「教室はどうやった。いつもこんな感じや。今日の生徒はちょっと癖あったけどな〜」


 確かに。みのりは睨まれたかも知れないことは言わないでおく。気のせいかも知れないし。


「あの、めっちゃ分かりやすかったです。すごい丁寧に教えてはったから、むしろアレンジっちゅうか、そういうのもやりやすいやろうなぁって」


「せやな、それは俺も心掛けてる。ここで習得したもんを元に、いろいろしてもろたらええなぁて思ってるんや。今日は定番の中華やったけど、組み合わせの食材指定で教えて欲しいとかもあるわ。マンツーマンやからその辺臨機応変でな、自由度高くしてんねん」


 すると悠ちゃんが「あの」と口を開く。


「生徒さんとの距離、何や近くありませんでした? あの人は男性やったから、まぁあれですけど」


「へっ!?」


 みのりは素っ頓狂すっとんきょうな声を上げてしまう。


「え? 男性? 女性やろ?」


「みのりは気付かへんかった? 喉仏あったし、体型隠しのゆったりワンピースで、声もハスキーやったやろ?」


 確かに声はそうだったが、そういう女性は珍しく無い。そしてワンピースのタイプもそれぞれの好みだ。しかし喉仏、それは確かに男性にしか無いものだ。みのりは見ていなかった。すっかり女性だと思っていたから。


「うそぉ」


 みのりが呆然とすると、赤塚さんは「はははっ」とおかしそうに笑い声を上げた。


「そうそう。あの生徒、今村さんは男性や。でも心は女性やな。堂山どうやまの同性愛者向けのバーのママや。ここで習ろた料理を店で出しはんねん」


「はー……」


 みのりはまだ唖然としてしまっている。仕草も言葉も女性らしくて、疑いもしなかった。


「堂山は東通ひがしどおりの奥やわな。あの辺りは同性愛者向けの歓楽街やから」


 堂山町は、各線大阪駅や梅田うめだ駅などが最寄りである、大阪の一大繁華街である阪急東通はんきゅうひがしどおり商店街の、さらに奥にある一帯で、東京の新宿二丁目の様な主張はしていないものの、西日本最大のゲイタウンである、と悠ちゃんの談だ。


「そうなんや。そこまで行ったこと無いわ」


「うん、用が無かったらあんま行かん方がええ。興味本位やとか思われたら向こうに失礼やからな」


「うん、せやね」


 みのりは大学は四天王寺夕陽ヶ丘してんのうじゆうひがおか駅だったし、専門学校は天王寺てんのうじ駅か阿倍野あべの駅。飲み会などがあれば天王寺だったし、昭和町しょうわちょうに住まうみのりにとっては天王寺かなんばに出れば、お買い物などは充分事足りてしまうのだ。


 だから用が無ければ梅田まで行くことはほとんど無かったし、堂山町どころか阪急東通商店街に足を踏み入れたこともろくに無かった。


柏木かしわぎくんは礼儀正しい子なんやなぁ」


 赤塚さんが頬杖を付いてにやにやしている。それに悠ちゃんは気分を害してしまったのか、眉をひそめた。


「いや、別に」


 ぶっきらぼうに言い放つ。機嫌の悪い悠ちゃんを見ることがあまり無かったから、みのりははらはらしてしまう。赤塚さんはまたおかしそうに「ははっ」と笑った。

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