十八、実在


 ――暖かい。

 ううん。少し暑い、かもしれない。

 でも、ふわふわの毛布に包まれていて、宙に浮いているみたいなやわらかさで、心地いい。

 もう少し涼しければ、もっと良い感じなのに。


 ――あれ。私、どこで寝たんだっけ。

 ユカが直彦に怒って、女王が出てきたのに……そこから覚えていない。


「……ここ、どこ?」

 目を閉じたままでも分かる。陽だまりの中に居る。

 あのまま、お庭で寝てしまった?

 どういう経緯で?


「おはよう、お姉ちゃん。ここはね、迷宮のおうちだよ」

「ユカ……。よかった。もう怒ってない」


 目を開くとユカは、膝枕をしてくれていた。

 綺麗な顔が横から陽の光を受けて、白い肌が輝いていて、優しい微笑みが天使みたいに思える。


 でも、場所がよく分からない。

 お庭ではなくて、平原らしい。目の端に映る景色の端を捕らえようと思っても、地平線が先に見えた。


 それに、私を包む毛布の正体は、大きな犬だった。普通の大きさではなくて、こう……簡単に私を飲み込めるくらいの。黒っぽい怪物のような犬。ただ、その目は人懐っこい柔和にゅうわな光を宿していて、丸くした体で私たちを包んでくれている。


 毛皮だから、暑かったのかな。

 いや、驚くことばかりで感情が逆に落ち着いているけど――。

「迷宮って言った?」

「うん。でもここは、わたしのおうちなの」


 そう言われても、家と呼べるような建物は見えない。寝たままでは埒が明かないと思って体を起こしてみても、やっぱり家なんて見えない。

 あるのは大きな――これは普通に大きな、この木なんの木っぽい木が一本。それだけ。

 その木陰から、少し離れた陽だまりに私とユカは、黒っぽい怪物犬のおなかの上に居る。

 見渡す限り何もない平原。


「……何もないわ」

 せめて木陰だったら、と思ったけれど、陽の傾きで影の位置が変わったのかもしれない。


「フフ。雨も降らないから、おうちでいいの。お姉様がそう言っていたから」

「……そっか。そういうのも、ありなのかもね。そういえばお姉さんは?」

「余ならここだが」

「ひゃっ!」


 声は、怪物犬の向こう下から聞こえた。

 犬の背中の向こう側。


「フフフフ。優香よ。この子が世話になっているな。良きお姉ちゃんで居てくれた」

 その背にもたれていたのか、お姉さんはそのままの姿勢で、物憂げに宙に浮いて姿を見せてくれた。浮いていても、そこに犬の背があるかのように体を預けきった、だらけた姿をしている。


 ――ユカそっくり。

 本当に居たんだ。というか、瓜二つだ。長くて真っ直ぐな黒い髪も、大きな黒い瞳も。

 でも、ユカよりも確かに、お姉さんだった。顔立ちも大人びて、おそらく身長も少し高くて、胸もユカよりある。

 綺麗なユカがさらに美麗に、そして圧倒的な貫禄。だらけた姿なのに、隙の無い雰囲気なのは流石と言うべきか……。だけど、見間違いでは無くて、一糸まとわぬ素肌のままでここまで堂々としているとは。


「い、いえ、普通ですよ。普通。それよりここは……というか、服を着てください」

「ここは迷宮の最下層だ。人間では近寄ることも出来まい。貴様も勝手にウロウロとするなよ? 喰われても知らぬぞ」

 この懐っこそうな怪物犬に、だろうか。だって他には、私たち以外に何も居ないから。そして服の件は無視された。


「迷宮の、最下層……。出来れば、帰りたいんだけど」

「ならん。と言ったら?」

 何も無さ過ぎて、生活できないから無理だと言ったら、お姉さんは普通に笑った。


「冗談だ。貴様は好きな時に帰してやるし、また人質にもなってもらうし、自由にして不自由な身ではあるが」

「……分かんないけど、悪いようにはしない。ってこと?」

「そういう事だ」


 ――お姉さんの声は鼓膜だけでなくて、脳までジンと震わせるような気がする。

 ユカの体を使っている時とは別格に透き通った声をしていて、そのまろやかな高音をずっと聞いていたい。

 そんな事を思っていると、ユカが毛皮をポンポンポンと叩いて、突拍子のないことを言い出した。


「お姉ちゃん。この子とはつがいになれない? 雄だよ。強いし、頼りになるし」

「無理」

 ――色々とツッコミたいのに、多すぎて何も指摘出来なくて一言、即答してしまった。


「アハハハハハハ! すまぬな小娘。妹分は知識に偏りがあるのだ。ハハハハハハ!」

 お姉さんはそのスレンダーな白い柔肌を惜しげもなく、浮いたままころころと笑い転げていた。胸もおしりも丸見えだ。


「……服、着てくださいってば」

「フッ。誰もおらぬのにか? むしろ貴様も脱いだら同じだろう。妹分は脱ぎたがらぬ理由があるが」

「わ、私も普通に嫌ですよ。恥ずかしいじゃないですか」

「恥じらいか、確かにな。だが余は、この完璧な体が自慢なのだ。誰に見せるわけでもない、この場でくらい自慢させよ」

「……なるほど?」


 よく分からないけど自慢で、そして私もユカも、誰も居ないという中に分類されているらしい。というのは分かった。

 だけど、肝心な話が全然出来ていない。

 どうして私を連れて来たのか。帰してくれそうではあったけど、今すぐとはいかない気がしている。


「それより、ねぇ、なんで私をここに?」

 迷宮の最下層と言っていた。お姉さんからすれば、手の内を見せたことになるかもしれない。

 今は毛布代わりの怪物犬が、迷宮の主みたいなのかもしれないし。


「そうだった。貴様に、妹分の話をしておこうと思ってな。よほど気に入られたらしいぞ? 全てを話して良いとのことだからな」

「全て? この間、聞いたと思ったけど……」

 迷宮で仲間に襲われかけて、その上魔物の群れに投げ込まれて、殺されそうになったこと。そこで魅了の力に目覚めたこと。

「あれは全てではない。という事だ」



 そして語られたのは、本当の、ユカの全てだった。

 

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