十一、疼いた母性


 ――どのくらい、眠っていたんだろう。

「あ、起きた。おはよう、お姉ちゃん」

「ユ……カ」

 私に跨っているらしい。ユカは屈託のない顔で私を見下ろしていた。


 ――綺麗な子。

 大きな黒い瞳。それをパチリと閉じるただのまばたきでさえも、見ていて飽きない。すっきりと細い鼻筋が、どこか大人びて見えるポイントなのかもしれない。小さくて赤い唇は、いたずらな笑みを時折見せる。

 ――中学生くらい、かしら。

 あどけなさと、少しの大人っぽさが混じっている。


「お姉ちゃんと添い寝してたんだよ?」

「……そう」

 目はしっかりと見えているけど、声を出すのが億劫だ。


「お姉ちゃんと一緒に寝るの、初めてだね~」

「……そうね」

 そう言って嬉しそうに、そして私の表情を観察するように、顔を覗き込んで来た。

 その雑に束ねた髪から、長い後れ毛が私の頬に垂れてきて、こそばゆい。


「お姉ちゃんは、嬉しくないの?」

「……眠って、いたもの」

「そっかぁ。覚えてないと、分からないよね」

 ――無邪気さは、ただの子どもみたい。

 でも、そうか。無邪気だから、人殺しもいとわないのか。悪人が相手なら、なおさら。


「お姉ちゃんて、おっぱい大きいよね。わタしも大人になったら、おっきくなるかなぁ」

「ふふ……。なる、かもね」

「それでね。こんなにおっきいなら、おっぱい出るかと思って。ちょっとだけ、飲んでもいい?」

「え……?」

 その言葉にギョッとして、視線を下げると服が……ボタンが外されて、ブラは……前を切られたらしい。胸がはだけていた。


「で、出ない、から」

 その言葉を待たずに、ユカは私の胸に唇を当てた。

「んむんむ……。んむ? おっぱい、出ないね」

 割と普通に吸われて、妙な気持ちが込み上げてきた。

 この子の心が、幼いからだろうか。胸がキュンとして、おっぱいが出ないことが申し訳なくなってしまった。


「ごめんね。私のは、出ないのよ」

「えー。どうして? お姉ちゃんだからかな? お母さんになったら、出る?」

 何と答えたら、伝わるだろう。

「えっと……。子どもが出来ないと、出ない……かな」

「こども……。うーん、じゃあ、なおひことつがいにしたら、おっぱい出る? なおひこ呼んでこようか」


 ――つがいに、したら?

 この子の怖いところは、自分の思い通りにするために、人の感情や気持ちを一切考慮しないところだ。やっぱり、普通の子ではない。それとも……教えてもらっていないだけで、きちんと教えれば伝わるのだろうか。


「ユカ、待って……。私はなおひこと結婚するとか、思ってないの」

「けっこん? それよりお姉ちゃん、ここの部屋、全部倒さないとなおひこも入れないの。早く起きて。早く倒して」

「なおひこが来ても、すぐにおっぱいが出るわけじゃないのよ」

「あ~、そうなんだ。…………そうみたいね」


 今の間は、何?

 まるで、誰かから耳打ちされて理解したような。もしくは、質問をネット検索した人みたいな反応だった。


「それに魔力切れで、武器も無いし、戦えないわ」

 声は出て来ているけど、まだ体も起こせそうにない。こんな状態で、さらに数が増えた魔物の群れなんて、どう考えても無理だ。

「もぅ。なんで魔力切れなんて、起こすの。分けてあげるから、はやく」

「分ける?」

 魔力補填剤ほてんざいなんて、軍幹部くらいしか持てない高級品だけど。そんなのユカが持っているはずがない。


「えっと、どうやって分けるんだっけ。ちゅーしたら良かったっけ、ねぇ、シロ?」

「え、ちょっと待って。何する気?」

「それじゃ、ちゅーするからお口あけて」

 口を、開ける?


「それはチューじゃないわ」

 でも、言ったところでユカが聞いてくれるわけもなかった。

 私を人と思っていない冷たい目で見て、無造作にサイコキネシスで口を開けさせられた。


「いいから。はい、ちゅー」

「あぁっ」

 ――気持ち悪い。

 唾液を入れられた。飲み込みたくない。

「ほら、飲んで」

「あぁぁっ」

 口を開いたまま固定されて、首も動かせない。

 吐き出そうにも出来ないけれど、口を開けたままで飲み込むなんて難しい――。


「ンぐっ」

 こいつ……力で無理矢理、喉の奥まで流し込んできた。

「うぇぇぇ……」

 最悪の気分……。

「お姉ちゃん、しつれいよね。何がイヤなの」

 ――親鳥がヒナに吐き戻しをあげるみたいに、全く何とも思っていないのね。


「人間はね、そういうの、しないから」

「あ、そうなの? でも、魔力は戻ったでしょ?」

「……たしかに、頭もすっきりして、また撃てそうだけど」

 体も、ユカを押しのけるように起こすことが出来た。

 そして切られたブラは脱いでしまって、服を整える。


「じゃあ早く。ちょうどね、お部屋いーっぱいになったくらいだから。一気に倒すといいよ」

「え? 部屋いっぱい?」

「うん。それでおわりになるから」


 もしかすると、第一弾を倒したら次の魔物がくのではなく、一定時間で自動的に湧き続けるシステムだった?

 だとしたら、手間取っていたらもっと早く囲まれていた。

「ほんと、最悪の罠ね」


 体を浮かせて、龍の体の上に出ると……部屋中に溢れかえった魔物で、ひしめいていた。

 犬モドキと狼男だけではない。見たこともない魔物も沢山居る。ひと際大きな虎のような魔物や、巨大なカエル、それに、明らかにファンタジーな魔物も居る。

 前半分が鷲、後ろがライオン? いわゆるグリフォンだ。


 ――どうやって飛んでるんだろう?

 あの翼で飛び回れるとは思えない。いやそれよりも、上からも来られたら、というかこの数は……無理だ。ざっと見た感じ、数千で足りるだろうか?


「お姉ちゃん、大サービスだよ。シロがね、来ないようにしてくれてるから。魔法使うだけだよ」

 それならいっそのこと、このシロに潰してもらいたいよ。

「どっちにしても、魔力が足りないわ。すぐに枯渇して倒れちゃう」

 その度に、ユカの唾液なんて飲まされたくない。


「もう。しょうがないから、教えてあげる。ほんとは、それに気付くためのテストなんだよ」

 ユカも隣に来て、ナイショ話をするように、私の耳にその小さな口を寄せて来た。

「魔力は、星のちから。大地から魔力をもらうの。迷宮が地下にあるのは、魔力をもらいながら育っているからなんだよ?」

 これまでのユカからは、想像もつかない言葉が並ぶ。


「それから、もうひとつは天のことわり。お空のずっと向こうから、ふりそそぐ全てのみなもと。なくなったりしない、特別なちから。どっちも、ちゃんと感じるの。そしたら、魔力も足りなくならないし、このちからもずっと、そばにいるのがわかるよ」

 星の力と、天の理……。


 言っていることは全部理解出来ないけど、そういうものだというのは分かった。

「あなた、その言葉って受け売りでしょ。お姉様って人が教えてくれたの?」

 絶対、ユカが知り得た内容じゃないはずだ。

 そしてそれは図星らしかった。

 得意気だった顔は見る見るうちに赤くなり、耳の先まで真っ赤っかだ。


「……そういう、ほんとのこと言うの、よくないとおもう」

「そっちの反応の方が、可愛くてよっぽどいいじゃない。そういうユカなら、私は好きよ」

 頬を赤く染めたままのユカは、その言葉が気になったらしい。真っ直ぐに私の目を見て、

「ユカのこと……すき?」

 と言った。


「そうね。怖いことを言ったりするけど、好きな方かな」

「……えへへ」

 年頃の子どもらしく照れたのか、うつむいた。そのもじもじとした仕草は、本当に可愛らしい。

 こういう姿こそ、ユカの自然な態度に違いない。

 普段は何か、言われたことを無理に頑張ってやろうとしている。そう考える方がに落ちる。

 ただ、こういう状況なだけに、よしよしと頭を撫でてあげる余裕は、今の私にはないけれど。


「ねぇ。覚醒者って何? どうしてこんな力を使うことが出来るの?」

 そう聞くと、少しの間を置いて……真顔に戻ったユカが顔を上げた。

「それは……。つらいおもいをした人が、仕返しをするため」

「えっ?」


「すべては、怨念のたまもの。憎しみ、恨み、悔やみ、全てを呪う絶望の、その仇を討つため」

 ――ユカが話しているのに、ユカじゃないみたいな話し方だ。


「……それで、ユカは絶望した魂を集めているのね」

「余は、絶望を晴らすために生まれた」

「えっ?」

 声が低くなった。

 本当に、ユカじゃなくて別人だった。もしくは、別の人格、のような。


 この子が普通じゃないのは、やっぱり何か深い理由があるはず。

 もしくは……この迷宮で生まれた、魔物だということ?

 ――いや、やっぱり違う。


 魔物に知性は感じない。言葉も話せない。それに、人間を見た瞬間に襲い掛かるという、プログラムされたような獰猛さしかない。

 だけどユカは、ちゃんと会話が出来る。何よりも、年頃の子のような素振りというのは、ちゃんと人間だから出てくるはずだ。


「でも……あなたは、人間でしょう? ちゃんと、こうしてお話が出来るんだもの。ユカが今こうしている理由を、私に教えて?」

「……小娘。この子が気になるか? だが、貴様には荷が重かろう。そも、この程度の魔物さえ蹴散らせぬようではな」

 この人、この人格は……怖い。


 けど、そういう感じのことなら、黙っていられない。

 時折見せる可愛らしい姿こそ、この子の本当の姿なんだ。

 ――おっぱいを吸われて母性が疼いたのは、伊達(だて)じゃないんだから!

「だ、誰だか知らないけど、随分と勝手ね! それに、何があったか聞いてみないと、荷が重いかどうかも分からないわ!」

「フッ。それよりも、こやつらをどうにかして見せよ。龍の加護など無しで、な」



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