九、三階層の空き部屋
五階層までは、迷宮っぽい迷宮が続く。
白っぽいブロックを積み上げたような古めかしい壁が、迷路じみた角と分かれ道をいくつも作っている。
ただし、明りは協会が設置した物もあるけど、元々が明るい。どこからの採光かは考えるだけ無駄で、研究者以外は「そういうものか」と、このよく分からない状況を飲み込んでいる。
通路も、普通に天井は高いし二車線分くらいの幅もあるし、直線が続くと、地下トンネルを歩いているような錯覚も起きる。これが五階層まで続く。
下に続く順路は帰還した部隊とすれ違うことも多いし、今は数日前に中隊が降りて行ったようで、魔物は掃討されて居ない。どこからか湧き出る魔物は、五階層まで犬の姿が多いので助かる。でないと、出会い頭は一瞬、迷い込んだ犬だろうかと躊躇ってしまいがちだから。
今では犬を連れて来るのを禁止されているけど、それでも単体で見ると一瞬は、「誰かが連れてきた犬じゃないよね?」と思ってしまう。そのくらい、ほぼ犬の姿の魔物なのだ。
まぁ、口を開ければ魔物だとすぐに分かるけれど。ホラー映画さながらに、首まで裂けた大口を開けて襲ってくるのだから。その筋肉の使い方は、骨格を持たない軟体生物に近いと言う。
その悪趣味な魔物の死体が、風化するのも早い。腐敗する前に骨になってしまうし、その骨も、いつの間にか砕けて視界に入っても気に止まらなくなってしまう。
そういう異質なところに、一人で進むのは心細いというのはあるけれど……それを無視出来てしまうほどに、サイコキネシスを使いたくてしょうがないのだ。
そして、ちょうどいい空間が三階層にある。順路から外れた場所に、だだっ広い空間だけの部屋が。
およそ二百メートル四方の、瓦礫だけの部屋。なぜ皆が「部屋」と呼ぶかと言うと、そこには扉が付いているからだった。大きさとしては、大豪邸に取り付けそうな門扉。形は、お城にありそうな装飾付きの、豪華な造りをしている。
その広い空間をくまなく調べたらしいけれど、何もないし何も居ない。ブロックや木材らしき瓦礫が所々に散乱しているだけの、何でもない大部屋。もしくはドーム。天井が丸型というわけではないけれど。
「やっと着いた」
順路通りに二時間。順路から外れて半時間。迷宮は本当に広くて敵わない。
だけど、ようやく力を試せる。
「よしよし、やっぱり誰も居ないわね」
何のうま味も無いところに、誰かが来るわけがない。
という思い込みで人に見られたりしないために、一回りしてみたのだ。
――よし。
家の近所のホームセンター『ゴーナン』で買った手斧と、
サイコキネシスで持ち上げられる重量の限界は、大きなブロックの瓦礫を見繕えばいいし。
ここで慣らしてから、別の日に魔物狩りでもう一度潜る。今日はとにかく、練習日に当てる。
**
「なんで……私の脳は、オクタコアとかじゃないのよ……」
上手くいかない。
パソコンはいいなぁ、CPUを取り換えれば頭が良くなるんだから。
別に、オクタコアを目指して八本買ったわけじゃないけど……。
まず、射程は案外、短かった。だいたい二十メートルくらい。メジャーを持って来れば良かったけど、たぶんそのくらい。
そして上手く操れるのは、手と同じ二本が限界。体の周りに環状に八本並べて、ひとつの輪っかとして扱うことは出来るけど……そうじゃない。
ただ、体の周りでその輪っかをぐるぐると回転させて、そこから一つを弾き飛ばすように投げることは出来る。それはそれで見栄えがありそうだし、強そうな感じはするけど……。飛ばせるのが一つなら、単調であまり意味はない。
いや、適当な距離でぐるぐると回しながら戦えば、それなりに邪魔くさいと思わせられるか。
――でも。
「……飽きてきた」
一人で集中し続けるのは、意外と難しい。
本当なら、もっと多彩で目を見張るような戦い方を習得していたはずなのに。
気分転換に、重い物を浮かせてみよう。そう、巨大な岩なんかを持ち上げられるなら、それそのものが武器になるのだし。
――何で気付かなかったのかしら。
今の私なら、そこらへんの硬くて重いものは何でも武器に出来るんだ。
「あのおっきいやつ。あれが動けば大抵動かせる」
そう思ってパッと見で、乗用車くらいのブロックの塊に意識を集中させた。
「…………動かないじゃない」
大き過ぎたのかもしれない。
次は、その三分の一くらいのもの。
「これもダメなの?」
ちょっと、ショックだった。
車の大きさくらいなら、持ち上げられると思ったのに。そこからかなり小さくしたつもりなのに、ピクリともしない。
……手斧とかを八本なら苦も無く動かせるのに。
仕方が無い。両手を回して拳三つ届かないくらいの、小ぶりな塊ブロック。君にしよう。
乗用車くらいのものと比べたら、高さは変わらないけど、随分と小さい。
これで駄目なら、実戦でアテにし過ぎるのは良くないと思う。
――動いてよね。
「…………んうっ、き、きつぃ!」
重さを感じる。
脳に、直接重しを乗せられているような。
でも、自分の身長くらいまでは浮いて――。
「――あっ、むり」
どしん。という乾いた鈍い音は、割と重そうではあったけど。
「なにこれ、嫌な感覚……」
脳が痺れるような、鈍い重みがまだ、少し残る。
じんわりと、ゆっくりと取れて行くのを待って、そこでようやく、地面に座り込んだ。
急に頭の位置を変えたら、気を失いそうな気がしたから。
「……これが、私の力の、限界なの?」
ちょっと、期待していたのと違う。
随分とちっぽけな覚醒だ。
ユカは、あんなに悠々としていて、そしてほんとに強いのに。
覚醒者になったと言っても、私には才能が無いのかもしれない。
魔法も、魔法士として人よりも少し強いくらいだし。
「サイコキネシスと魔法を、織り交ぜて使ってみようとか思ってたけど……。ちょっと怖いな」
誰も来ないこの部屋で、もしかしたら倒れるかもしれない。
すぐに気が付けばいいけど、致命的な何かがあって倒れたとしたら、そのまま死んでしまう。例えば脳梗塞とか。
脳にかかる負荷が、魔法と同じで厳しいものがある。
魔力切れの時は、速攻で意識が飛ぶけど。脳が備えているブレーキらしい。
でも、サイコキネシスの場合、今のがブレーキではなくて致命的なダメージなのだとしたら。
「限界まで使うのはダメね……」
はぁ。と、ため息をつくと少し、虚しくなった。
理想と現実のギャップに、心を折られたに違いない。
あのウキウキと浮ついた自分を、今から戻って
「戻ろうかな。ちょっと、疲れちゃったし。一人で危ないことしたら、色んな人に迷惑かけちゃうし」
そう言い訳を吐き出して、のそりと立ち上がった時だった。
ガコン! という強い音が、扉の方から聞こえた。
「魔物っ?」
咄嗟に手斧と鉈を呼び戻して、周囲に浮かせて警戒態勢を取る。
――扉を蹴破って、犬モドキどもが入って来たのかもしれない。
……でも、一向に姿は見えない。
この見通しの良さで、見えないということはありえないのに。
「何……?」
見えないと、余計に、否応なしに緊張が高まる。
普通の音ではなかった。絶対に何かある。
人でもない。魔物でもない。
迷宮で不測の事態が起きた時のマニュアルは……即座に目視、それから、確認。
手に負えないなら逃げ一択。
だけど、何も起こらない……?
戦闘になるなら、荷物を背負い直すのは悪手だ。
身を隠せるブロックは側にある。他に出来ることは……。
ガコン! ガコン!
続けて大きく響いた。
「何よ……何の音なの……」
三階層の魔物なら、魔法士の私はソロでも複数相手に出来る。
だから、大丈夫。
今の音は、扉を正面に左右から聞こえた。でも、魔物の姿は見えない。
と、思った瞬間だった。
「グルルルルル!」
犬モドキの唸り声だ!
右からだ。まだ遠い。
でも、この空き部屋に魔物が出るなんて。
いや、そんなことを考えてる場合じゃない。現に出てきたのだから。
視認した数は一匹。すでに私に向かってダッシュして来ている。
「距離は三十メートル――」
猛ダッシュする犬モドキを初めてまともに見た。いつも、前衛が対処してくれているから、ちょっと迫力あるなとしか思っていなかったそいつは、単身向き合うとかなり怖い。
「く、くるな!」
――意外と早い。外せない。
浮かしていた鉈を、射程に入った瞬間、サイコキネシスで犬モドキに振り下ろす。
それは、ガンッという音を立てて、地面に強く当たった。
「うわ……」
犬モドキの胴体が、横にバックリと割れている。
それは首まで裂けた大きな口を、あうあうと動かしながら倒れて、絶命した。
「意外と……単純に使えるんだ」
私のサイコキネシスの評価が、少し上がった。
「グワゥッ!」
一瞬浮かれそうになったそのすぐ、真後ろから。最大限に開いた大口を向けて、飛び掛かってくる犬モドキが見えた。
振り返った瞬間に、上下の視界が埋まるほどの牙と、赤黒く汚い口内。そして大量の唾液。
――いつの間に!
ほとんど無意識に、手を払うように手斧と鉈を振るった。その姿は、どう見ても無様に怯えた動きだっただろうけれど。
体の周囲で回転させる練習が、無駄にならずに即座に役立った瞬間だった。
四本の手斧と鉈が、五メートルほどの距離を飛び掛かってきたその口と体に、見事にヒットしていた。
「ぎゃうん! ぎゃうう!」
当たった場所は、さっきと同じように全て、完全に割れている。しかも、跳んで来たところに当たったからか、数メートルほど横に吹っ飛んでいる。
「……なんだ。けっこう、使えるんじゃん」
実際、ちょっと嬉しい。
ただ、それよりも今何が起きているのか、理解する必要がある。
部屋の扉は閉じたままなのに、魔物が二匹も現れた。これは明らかに、不測の事態だ。
――戻らなければ。
この部屋に、トラップがあったなんて報告は無い。今まで無かったけど、でも今、何かの罠が作動している可能性がある。
「一番目に引っかかるなんて、最悪――」
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