七、覚醒の兆し


 私はベッドの上で……迷宮での最後の記憶を、何度も辿っていた。

 白い龍に乗せてもらう時の、あの子との会話――。


「人が居ないところは、知っているの」


 その後に、もう一言言っていなかっただろうか。

 ――そうだ。

「まだ、出られないだけ」と。

「でもアナタが居れば、一緒に出られるわね。お姉ちゃん」

 そう言っていた。


 私が……地上に連れ出してしまったんじゃないだろうか。

 あの少女を。

 ユカと名乗った、裏切り者の覚醒者を。



  **



 警察で調書を取られるのが、こんなに長いとは知らなかった。

 ちょっと狭い部屋、というか、空間と言ったほうが合っているような、圧迫感のある場所。

 小さい机とパイプ椅子。そこで刑事さんと向き合い続けるのだから、それも圧がある。


 相手は谷崎と名乗った。

 優しい雰囲気のおじさんで、終始そのまま、優しい口調で話しやすいのは良かったけれど。

 でもやっぱり、刑事さんという職業はそういうものなのか、何度も同じことを聞かれた。


「さっきも答えましたけど……」

 そう言う度に、「しっかり聞かんといかんくてね」と、ひとつも申し訳ないと思っていない笑顔を向けられた。

 私に後ろ暗いところが無ければ、そういうものかと諦めてつき合うだけで済んだのだろうけど……。


 ちなみに、大阪の訛りは久しぶりに聞いたので、最初は緊張した。怖い話し方の人が教官に居たので、最初は身構えてしまったけれど。このおじさん刑事は顔の通り、優しい言い方を探すように喋ってくれているらしい。


「その、ユカという少女とは知り合いやったの?」

「初めて会いました」


 ただ、いくら優しく言われても、この問答は嫌でたまらない。もういいでしょうと言って、立ち去ってしまいたい。

 嘘を吐くのも嫌だし、いつこの嘘がバレるだろうかと、ひやひやするのも嫌だった。


「お姉ちゃんと呼ばれる理由って、何か思いつく?」

「さぁ、私にはさっぱり。お姉さんに似ていたんでしょうか」


 こうしてとぼけるのは、お母さんが、事の顛末を素直に全て話せるようにするためだ。そして、迷宮でのことを誰にも言わないで済むように、頭をフル回転させているのだ。


「……そうか。それじゃ、調書はここまでにしよか」

 ――やっと解放される?

「じゃあ、すぐお母さんに会えますか?」

「そうやね、あっちはもう終わってるやろうから」


 ――お母さんは、あまり長引かずに済んだということだろう。

 なら、私が頑張った甲斐があったというものだ。


「それはそうと、ここだけの話なんやけどね」

 優しいおじさん刑事は、人差し指を立てて口に当て、勿体付けるように言った。

「ここ最近の殺人事件ね、全部この、謎の少女の仕業なのは分かってるんやが……いかんせん、今回のように誰かのピンチを救ってるというのが難点でね」


 口に当てていた指は、今はタバコを無心している。

 タバコの箱をトントンと叩いて、顔を出したそれをつまんで口に持って行く。慣れた手つきで、いつの間にか出したジッポライターからシュッと火を見せると、目を細めながらそれの先を焼いた。


 目一杯吸い込んで、部屋の角に向けて白い煙をふぅ~っと吐いたおじさん刑事は、ようやく一服付けたという、やや気の抜けた顔になった。

「はは。すまんすまん。俺はこれがないと、どうにもね」

 調書を取る間は、決まりなのか私に気を遣ってくれたのか、吸わずに我慢していたらしい。


 一旦は廃止になったというタバコは、数年を待たずして再販されることになったという。タバコの代わりにとヘビースモーカーたちが手を出したのは、どうやら違法薬物の葉っぱだったらしく、世が荒れたせいだった。

 この人も、またタバコが廃止されたらそういう、駄目なことをしてしまうのだろうかと、しげしげと優しい顔に刻まれた皺とその目を、凝視してしまった。


「おいおい。そんなに見られたら、肩身が狭ぁなってしまうて」

「あ、すみません。他意はないんです。おいしそうに吸うものだから」

 ――いや、それよりも話の続きをさっさと言ってほしいのだけど。


「そうや。それがやるせのうてな、タバコをつい、っちゅうね。しかもその場で消えるて言うしなぁ。お手上げや。仮に捕まえても、もしかしたら正当防衛で無罪……ていうかな、少女の身で大人の男の首をこう……グニャリやで。ふつう無理やろそんなん。映像もないしなぁ」

 本当にやるせないというか、やる気が起きない事件らしい。それより私は、訛りがきつくなって、聞き取るのに集中しなければいけない。


「だからな、一般部とはいえ、軍に属する君が現場にったって聞いて、もしかしてヘッドカメラでもあれば……なんて夢見てたんや。まぁ、休暇中やのにそんなん、しかも家で付けてるわけないわなぁ」

「ですね……すみません」


「はは。なんや君には、ついグチってしもうた。すまん。これできっかり終わりやから。直近でまた話を……ってことはたぶんないし、元の生活に戻って。まあ、すぐに元のようにはいかんやろうけど……。何か困ったことがあったら、いつでも連絡しておいで。何でも力になったる」

「あ、ありがとうございます」


「いやいや、グチ聞いてもらったお礼や。それに、若いのに迷宮探索してもらってるんや。地上でのことくらい、なんぞ頼りにされたいやないの」

「……頼もしいです。お母さん、すごくショックを受けてるだろうから」


「そうやな、休暇中だけでも、側にったり。そんじゃ、お母さん待ってはるからはよ行き」

「はい。ありがとうございます。失礼します」

 ……と、感謝の気持ちで部屋を出たものの。

 しつこく聞いて話を長引かせたのは、おじさんじゃんか、と思った。




 お母さんは、優しい婦警さんに付き添ってもらっていて、疲れた顔はしているものの、落ち着いているようだった。


 帰りは餃子屋さんに寄って持ち帰りを買って、晩ご飯は簡単に済ませて休んでもらった。

 仕事から帰ったお父さんに、餃子をチンして出して、調書がどんなに大変だったかを聞いてもらってから、私は部屋に戻った。


 長い一日。

 疲れがどっと出てきたのか、まぶたが一気に重くなる。

「今日はもう、私も寝ちゃおうかな……」

 まだ21時を回ったところだけど、早すぎるというわけでもない時間。

 お風呂は、明日の朝に入ればいいか――。



  **



 ――ふと目が覚めて、時計を見ると0時を回ったところだった。

 いやにスッキリと目覚めたせいで、目を閉じ直しても一向に眠くならない。

 ベッドで何もせずに、眠れずに居ると必ずあの子のことを考えてしまうから、嫌なのに。


 私とお母さんの恩人――だけど、平気な顔で人を殺す。

 相手が悪人ばかりなら、まだマシ、なのだろうか。


 認めようとする自分と、あまりに事も無げに人殺しをする姿が浮かんで、認められないと思う自分が居る。

 だけど、どちらにしても……私はあの子と龍のことを、協会に報告していない。

 すでに、あの子に肩入れしてしまっている。

 報告するつもりだったのに。

 自分のしていることが、自分で分からない。


「……のどかわいた」

 そうつぶやいて、机に飲みかけの水が置いてあるのを思い出した。ペットボトルだし、飲み口に直接口を付けていないから、数日くらい大丈夫。

 ――そう、こんなふうに蓋もきっちりと閉じているし。

 やっぱり、部屋に一本は置いておくと、下に降りなくていいから便利だ。


「――えっ?」

 ベッドに入ったままで、それを手にして飲んだことがおかしなことであると、脳が理解するまで時間が掛かってしまった。

 机は、ベッドから一メートルは離れている。片腕をひょいと伸ばして届く距離ではないし、そもそも私は……腕など伸ばそうとも思わなかったし、動かしてさえいない。


 ――ペットボトルは、どこから出てきたの?

 明りが欲しい。

 と思ったら、部屋の電気が付いた。

 ベッドサイドライトではなく――。


「な……に?」

 何かが居る?

 お化けなんて、信じていないけれど……さすがにこれは……。

 それとも、これは夢で、まだ疲れて目を閉じたまま、私は眠っているのかもしれない。


「……違う。起きてる。残念なことに」

 恐怖が急に膨れ上がって、心臓が苦しいくらいに脈打ち出した。そのせいで、余計に怖さが倍増していく。


「やだ……おかあさん……」

 そうつぶやいて、だけど今は、お母さんはダメだと思い直した。

 お母さんこそ、酷い目に遭って疲弊しきっているのに、頼れない。


 そう思った瞬間に、ユカのことが頭に浮かんだ。

 カーテンにしがみついて震えるお母さんの後ろで、強盗の一人を宙に浮かせて、あの子自身も浮いていた時のことを。


 ――覚醒者の、サイコ……キネシス?

 あの子を見て、そう思った力だった。

 ユカは……私のことを、覚醒者になったと言っていた。

 聞き流したままだったけれど。


「……ほんとに言ってる?」

 自分の力かもしれないと思った瞬間から、得体の知れない恐怖は消えた。

 そして、ペットボトルが勝手に動くかを――私の意志通りに動かせるかを――試した。


 それは、部屋の隅っこにも行ったし、元置いてあった机にも戻った。

 自分も浮かせられるだろうかと念じてみると、それも容易く――。

「浮いた……」


 私は、今、笑っているのだろうなと思った。

 口の端が緩み、半開きになっているのが分かったから。


 それに――。

 力が、手に入ったという純粋な――しかも、強者になれるのだという確信から来る――喜びを感じているから。

 その強さは、畏怖していたあの子と、同じものが手に入るはずだという確信がある。



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