六、連続殺人事件
記憶が欠けているのを気に病んで、私は一週間も家に引き篭もっていた。
友達にも連絡していないし、両親とも食事の時くらいしか顔を合わせていない。
――気持ち悪い。
迷宮のある場所からひとつ、区を跨いだところで発見されたのも気に入らない。
迷宮の出入口が、一つだけではない可能性が高い。それも、誰も知らない出入口だ。
「はぁ……どうしてこんな、ややこしいことに巻き込まれるのよ」
それに、私も覚醒者になったとか言われたけど、あんな訳の分からない力なんて無いし。もしもあんな力が使えて、宙に浮いたり大口径の拳銃の弾を防いだり出来るなら、嬉しいというか安心出来るというか、支えになるのに。
今のところ、何も変わらない。魔法が強くなったかもと思ったけど、訓練場に向かう気力はない。どうせ、魔法を撃つ前に攻撃されたら……あんなことになって何もできないのだし。
――もう、迷宮に行きたくない。協会からも抜けたい。
普通の女の子として、普通に暮らしたい。
だけど、一度でも魔法士として登録されたら、逃げられない。
戦力外になるか、死ぬまで迷宮に潜ることを強いられる。
それが国の決めたことだから。
反逆罪、とまではいかないけど、逆らえばどうせ生きてはいけない。
「ほんと……さいあく」
この堂々巡りの思考が、ずっと続いている。
それに、やっぱりPTSDなのかもしれない。
物音が怖い。
テレビの中の人でも、アーミー柄の男の人を見ると、身がすくんでしまう。
お父さんであっても、突然後ろに立っていたりすると叫びそうになる。
「はぁ……。カウンセリングとか、意味あるのかな」
行きたくない。そもそも、外に出たくない。
誰にも、会いたくない。
「優香? ご飯よ。今日のお昼も、素麺でいいの?」
ドアの向こうから、お母さんが呼んだ。
「うん」
「他のものもあるから、なるべく食べなさい」
私の返事が聞こえたのかどうか分からないけど、お母さんはそう言い残して、階段を降りて行った。
「ほんとは、何も食べたくないのに」
口が動くなら、死んでも何かを食べろ。と、教官は言っていた。
実際、訓練で何度吐いても、食事の時間になると詰め込まされた。喉を通らなくても、水と一緒に流し込め、と。
その訓練のお陰か、体は、口に入れさえすれば飲み込んでくれる。
体調まで崩さずに済んでいるのは、あのキツイ訓練あってのことだ。お母さんの心配事を、ひとつ減らすことが出来ている。
何も食べなければきっと、すでにカウンセリングに連れていかれただろう。
――動きたくないけど、一階に降りなきゃ。
無理矢理体を起こして、ベッドから這うように降りた。
一度足を床につけてしまえば、それも訓練の賜物で、勝手に立ってくれる。
あとは、せめて着替えればいいのだけど……よれよれのトレーナー姿のままで部屋を出た。
「もう。優香ったら帰ってきてからずっとそれじゃないの。それ脱ぎなさい。洗濯するから。他にもトレーナーあったでしょう?」
どうやら、楽な家着以外は着ないというのは、すでに織り込み済みらしい。
「うん……じゃ、今脱ぐ」
「あなたねぇ。いくらお母さんしか居ないからって。ちょっと、ブラも付けてないじゃない。誰か来たらどうするのよ」
「パンツははいてるから……」
「はぁ。そのままオッサンになるわよ?」
――こっちは無理して起きてきて、嫌々脱いでいるのに。
そう思ったら、知らないうちにほっぺを膨らませていたらしい。
「ま~たその顔する! 口とがらせてほっぺぷくーって、小学生か!」
もはや面倒になって、顔を背けた。
でも、脱いだままパンツ一枚の姿では、どうにも情けないことに気が付いてしまった。
少し広めのリビングの中で、きちんとセットされたテーブルとイスと、白い壁に掛かった大きなテレビが、私に小言を言っているような気がした。
なんとも君は場違いな格好だぜ、と。
「そのかっこで突っ立ってる気? いいわよ? お母さんも服出してあげないから。いつでも準備してあげると思ったら、大間違いだからね」
さすがに恥ずかしくなって、俯いた。すると、いつも掃除されて綺麗なフローリングが、よれよれの靴下を嫌がっているように感じた。
こんなにそそらないパンツ姿のだらしないくつした女は、君くらいだろうな。
――ほっといてよ。
「やっぱりきがえる……。なにか、服出してよ」
「ふふっ。甘えんぼなのは誰に似たんだか」
――自分で選ぶ元気が、ないだけだし。
お母さんに出してもらったカップ付きのキャミ、七分袖の長T(ティー)とフレアスカートは、すぐにでも出掛けられる格好だった。
「せっかく、ぱっちり二重おめめの美人さんに産んであげたんだから、服も毎日着替えなさいよ。鼻筋が通っているのはお父さん似かしら。でもやっぱり、顔の小ささはお母さんのお陰よね。ほら、ちゃんとすれば可愛いのに。もったいないわねぇ……はぁ」
真後ろでため息をつかれるのは、気分がよくない。しかも、私を褒めるフリをしてすぐ自分アゲする。
子どもの頃のように髪をポニーに結われながら、だけど、いいように言われている。髪を伸ばすのを解禁されてから、ようやくある程度の長さまで揃ってきた。お母さんの長い黒髪に憧れて伸ばしていたのに、訓練入隊でショートにさせられた恨みは深い。
そのお母さんはいつもきちんとしていて、一緒に歩けば姉妹でしょと言われることもあるくらい、若く見えるし美人だ。近所でも一番綺麗だと思う。だから、身だしなみのお小言に対しては言い返せない……。
まぁ、こうして面倒見がいいし、優しいし、お母さんが居れば私は構わないのだけど。
そんなことを思いながら、素麺を小さな丸い塊にして麺つゆに浸して、もさもさと食べているとニュース速報が入った。
壁掛けの大きなテレビモニターに、『連続殺人事件 八人目の被害者』とテロップが出ている。
大阪府東部の二区から四区にかけて、広い範囲で同様の手口――。
それ以上の情報が出ないけれど、うちから近いといえば近い。うちは東部三区の隣、中部三区だ。犯人が地元の人間とかなら、こっちまでは来ないかもしれないけど。まさか隣の区一帯で、こんなに恐ろしい事件が起きているなんて。
八人も殺すなんて、普通じゃない。
「物騒ねぇ。あなたは引き篭もってるからいいけど、あんまり外に出ちゃだめよ?」
「……出ないけど。コンビニくらいは、行くかも」
迷宮は殺伐としているけど、地上も大概だなと思った。
でも、こんな大事件は、そうは起きない。
私の十七年という人生の中でも、初めて聞く気がする。
だから気になってしまって、ネットで情報を探してみると……結構な話が出て来た。
『どの死体も、首をねじ切られているらしい』
『殺された人の側には、女性か子どもが居たというのがほとんど。トラウマ間違いなし』
『被害者は男が多いが、女も居る。これは普通の快楽殺人とは違う気がする』
『これだけ目撃者が居るはずなのに、犯人像がまだ出ていないのは異常』
『なんか、犯人は女の子だって話を聞いたぜ。被害者の側に居たって人からの情報らしい』
検索ですぐに出た情報でこれだから、結局は何も分からないままだった。
――まともな情報なんて、出るわけがないか。
警察は、情報非公開ということらしい。
被害者の共通点も、まだ分からないという。推察しきれない殺人というのは、厄介極まりないだろうなと思った。
「お母さんもネットで調べたんだけどさ。女の子が犯人なんだって。でも、こんなこと女の子が出来るのかなぁ?」
「またお母さんはそんなの真に受けて。適当なカキコミなんだからアテにしちゃダメだってば」
そう言うと、「優香はすぐ、そういう冷たい言い方する」と、むくれてしまった。
ほっぺを膨らせるクセは、この母が先なのを本人だけが理解していない。
「久しぶりに、コンビニ行ってくる。何か買うものある?」
「それならもう少し先のスーパーまで行って、たまごと牛乳買ってきてくれない?」
「え~。……いいけど」
外に出るのは何日ぶりか。
お母さんは、私の調子が変なのを分かった上で、普通にしてくれている。
……買い物くらい、平気だよね。
ちょっと男の人が怖くなったくらいだし、それに、私は魔法士で、ぜんぜん強いんだから。
**
「き、杞憂だったわ。普通に買い物出来たし、道を聞いて来たお爺さんとは話せたし」
タッチでピッ、の通帳残高で驚いて「えっ?」とか声出しちゃったことと、お爺さんから少しだけ後退りしてしまったことは、ややもすれば変だったかもしれないけど。
残高は……何の手当てか知らないけど、協会から百万円も入金があったから。まだボーナスの時期じゃないし、『特別手当』しか書かれてないし、よく分からないけど。怖い思いをして可哀想ですね手当、とか?
ともかく、無事にミッションクリアして、家に帰りついた。
そう思いかけた時だった――。
「え?」
家の様子がおかしい。玄関ドアが開けっぱなしで、しかも留め具が外れて歪んでいる。
「――お母さん! お母さん!」
強盗か。それ以外に考えられない乱暴な、壊れ方。
靴は履いたままの方がいい。戦闘になる可能性が高い。
私は今度こそ、敵に先手を取られないように魔力の集中を始めた。
――何人居るだろう。お母さんはどこ? 一階からクリアするべき?
クリアリングがもどかしい。どんどん先に進みたいのに。
――階段クリア。一階通路、クリア。近くのトイレもクリア。
リビングか、それとも奥の、お母さんたちの寝室か。
いつでも炎を撃てるように、準備は整っている。
――リビング、ビンゴ!
「お母さん!」
最初に目に入ったのは、お母さんだった。
「ゆ、ゆうか……お、おちついて」
男が四人、リビングを占領するように……倒れている?
お母さんは、大窓の側でカーテンを必死で掴みながら、ヘタレ込んでいる。目立った傷はなさそうだけど、どこか殴られているかもしれない。
リビングはかなり荒れている。テーブルもイスもひっくり返ってしっちゃかめっちゃかで、庭に出る大窓も割られている。イスの二つは、庭に転がって……キッチンカウンターも滅茶苦茶だ。
その中に、男が四人、やっぱり倒れている。気を失っているらしい。
「お母さん?」
「この子がね……たすけて、くれたの」
震える手で指差す方を見ると――。
「……ユカ」
白い龍は居ないけれど、ユカが少し宙に浮きながら、庭に居た。
その手の数十センチ先には、男が首を絞められているような苦しみ方をしながら、浮いている。
「あら。お姉ちゃんのおうちだったのね。悪い人たちが、この人を襲おうとしてたの。だからね、ちょうど殺そうとしているところだったのよ。悪い人は、シマツしないとね」
どういう力か分からないけれど、言うなれば超能力のテレキネシスが当てはまりそうだ。
「優香、この子がね、助けてくれたの……」
声が上ずって、震えている。
本当に怖い思いをしたに違いない。
「ああ……うん。分かってるよ、お母さん。でも、ユカ。人殺しは、罪になるのよ。殺しちゃだめ。それ、死なないように降ろしなさい」
口調が、無意識的に訓練時のように、強いものになる。
「え? どうして? この人、生かしておいたらまたするよ? こういうハンザイする人ってね、何度も繰り返すんだって。お姉様が教えてくれたの。だから、殺すしかないのよって」
「お姉様? ……そう。そうね、そうかもしれない。でも、勝手に裁いてはいけないの。いいから降ろすの」
ユカは、得体が知れない。
その得体の知れなさが、迷宮で見た時よりもさらに強くなっている。力を使っているからだろうか。白い龍が居ない方が、空恐ろしく感じる。
あの時は龍が力を使っていて、この子は何もしてなかったのかもしれない。
「お姉ちゃん……。う~ん。わタし、頭が悪いから、よく分からないわ。お姉ちゃんの言ってることが、分からないの。だから、やっぱり殺すことにする」
「待って!」
勝手に殺してもらっては困る。いや……強盗だから、殺しても無罪かもしれないけど。でも私はどうなる? 一般協会員とは言っても、軍の下位組織だ。しかも魔法士ともなれば、殺さずに鎮圧しなくてはいけないのかもしれない。
「殺してはだめ。ややこしいことになるかもだから。お願い」
「はぁ。お姉ちゃんの言うことは難しい。でも、わタしはこの悪い人間たちを見ると、イライラするの。それって、殺すべきだからだと思う」
話が通じない。
この子は基本的に、こっちの概念が通じなさ過ぎる。
「それよりもユカ。ねえ、もしかしてだけど。ここ最近、人を殺して回ってるのはユカなの?」
話を逸らそうとして、嫌なことが私の中で、繋がってしまった。
あの連続殺人のニュースと、この、得体の知れないユカが。
「そうだけど。だって、魂の悲痛な叫びが聞こえたら、しょうがないでしょう? 生きている時の魂の叫びって、とても不快なの。だから止めに来るんだけど、そしたら絶対に悪い人間が側に居る。不快を生み出すモノは、殺していいの。知らないの?」
――ビンゴだ。
嫌なことほど当たってしまうのは、なんでなのよ。
「……私の時は、私を食べに来たんじゃないの?」
「そうなの。それがね、わタし、絶望に染まった魂は食べたいのに、生きている時の魂の、絶望して苦しむ叫び声を聞くのが嫌なの。本当に不快なの。でも、困っちゃった。おなかが減っているのに。また死ぬ前に来ちゃった」
――とにかくヤバい。
これは、もしも犯罪者に殺されるのを待つようになったら、最悪の結果しか生まれない。
「……そのお陰で、私もお母さんも、助かった。感謝しているわ」
「おなかが減ったままなのに? ……ふぅん。お姉ちゃん、わタしが、死ぬのを待つようになるのが、困るんだ」
「え」
――心を読まれた?
「うんうん。お姉ちゃんの気持ち、分かるよ。でも、そっかぁ。待てばいいのか。でもね、おなかが減るよりも不快だから、やっぱり先に、悪人を殺すと思う。良かったね、お姉ちゃん」
――いいんだか悪いんだか。
でも、これじゃやっぱり、対処のしようがない。
「だけど、少なくともこの家で、血が噴き出るようなことをしないで」
こちらが譲歩するしかない。とりあえず、この家が汚れなくて、お母さんに酷い光景を見せないということを、優先したい。
「そんなに言うなら、これ、お姉ちゃんにあげる。狩りの練習をしたいのね?」
「何言ってるの」
また、分からないことを。
「覚醒したのに、まだ力を使ってないからでしょう? わタしが使い方を教えてあげる。お姉ちゃんは……火を使うのが、得意なのね」
そう言ってユカは、その手の先に居る男を見た。
私には、その男に、何か魔力を通したように思えた。
「こうやって、脳だけを焼けば血は出ないの。あ、でも、焼き過ぎちゃったら、血が耳から出て来ちゃうの。気を付けて」
男は呻くこともせず、だらんとぶら下がっている状態になってしまった。全身の力が抜けて――落とされた。
落とされたそれは、人だという感覚がしなくなっていた。人の形をした、生々しいモノ。
「ここで殺さないでってば!」
「わぁ、こわい。怒らないでよ、お姉ちゃん。どうして怒るの? わタし、悪人を殺したし、殺し方のお手本も見せたのに」
「駄目なんだってば……」
私も、なぜ悪人をころしてはいけないのか、この子が聞いている真意の方の、その回答を持っていない。
人権がどうとか、そういう価値基準も、もしかするとこの子と似ているかもしれない。明らかな悪い人に対して、私も怒りしかない。しかも、大切なお母さんを、手に掛けようとしていた極悪人だ。
「わかった。じゃあ、目立たないようにするね。お姉ちゃんが怒ると、わタしは悲しいもの。でも、不快な時は、がまん出来ないから。こっそり、殺すことにする。それ以上は、お姉ちゃんの言うことをきけない。ごめんね?」
――謝った?
「なんで、謝ったの」
「どうしてって、わタし、同じ覚醒者で、わタしのお姉ちゃんになったんだから、大切にしたい。だから。でも、言うことをきけないからよ」
「……そ、そうなんだ」
「それじゃあ、その悪人たちも、こっそりシマツしてくる。もらっていくね」
そう言うとユカは、指先をクイっと動かした。
すると倒れていた男たちが、ふわりと浮いてユカの足元に移動する。
「シロ。引き込んで」
――シロ、居たんだ。
庭の地面の中に、男たちが全員、吸い込まれていって、消えた。
「それじゃ、また迷宮でね。お姉ちゃん」
「……うん」
私の返事を聞いてから、ユカは笑顔を残して消えた。あの子の笑顔を、初めて見た気がする。
「きえ……た?」
まだ震えたままのお母さんが、絞り出すような声で言った。
「お母さん――。お母さん、無事だった? 怪我はない?」
駆け寄って、しゃがみ込んでそっと、お母さんを抱きしめた。
「遅くなってごめん。買い物なんて、行かなきゃよかった」
「ゆうか……。ううん。お母さん、宅配だって聞いて……うっかり、開けちゃったのよ。お母さんが悪いの」
「お母さんは悪くない! あいつらが絶対に悪いんだから。お母さん……もう大丈夫だからね」
「うん……こわかった……」
その後は、警察を呼んで、とてもじゃないけど、家に居ることなんて出来なかった。
この日の母の調書はなんとか勘弁してもらって、お母さんにはホテルに泊まってもらった。駆けつけたお父さんと一緒に。
私は……さすがに、事の顛末をそのまま、警察に伝えた。細かなことは、分からないと言って濁しながら。でもこれで、ユカの立場は悪くなってしまっただろう。
と言っても、自在に消えることまで出来るなら、捕まるようなこともないだろうし、あの子の住まいは迷宮にありそうだし、問題ないのかもしれないけれど。
ただ、最後にユカから、「また迷宮でね」と言われたのが胸の奥で引っ掛かっている。
――まるで、呼び込まれたみたいな、呪詛になってしまいそうで。
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