五、傷病休暇


 迷宮の十五階層と十六階層の間から、帰還したという記憶が無かった。

 気付けば、大阪府探索協会本部の、傷病棟の一室だったのだ。

 目覚めると病衣一枚と、点滴の管が私の装備品だった。


 私は、大阪府の東部第三区の、人気のない道端で気を失っていたらしい。生駒山に沿った地域が東部で、北から順に五区あるうちの真ん中。これは迷宮が出現するようになってから、区画分けをかなり変更して今の形になったらしい。

 特別緊急避難の警報を速やかに、正確に伝えるためだ。区はさらに、四角く九つに町分けされている。北を上と定めて、左上から、一二三、四五六……という風に。


 発見者は三区六町の人で、私の服装で理解し、探索者が倒れていると通報してくれたそうだ。迷宮があるのは、四区だったのだけど。

 とにかく、その発見から丸二日間、私は眠っていたのだという。


 私の情報については、首に掛けることを義務付けられている『タグ』で分かったのだろう。

 そして迷宮に入る時の登録情報から、六人小隊だったのに迷宮から離れた場所で、一人で発見されたこと。人為的な着衣の乱れがあることから、事件性ありとして保護されたのだ。


 目覚めるとすぐに看護師が来て、点滴は抜かれた。服は下着のセットと、シャツとアーミーパンツ、ブーツを与えられた。発見時の服やら装備やらは、調査に回されているらしい。

 そして、目覚めてから数時間後の今、体調には問題なさそうだということで、本格的な取り調べを受けている。


 少し広い取り調べ室には、気の良さそうな小太りのおじさんと、優しそうな女性の二人が座っていた。丸いテーブルを囲んで、私と三角形になるような配置だ。

 簡単な自己紹介をしてくれて、おじさんは佐々木、女性は安達と名乗った。

 気楽にしてくれ、と佐々木さんに言われて、安達さんがお茶を出してくれて、和やかな雰囲気で始まった。


「それで、早速だが無谷なしたに優香ゆうか君。迷宮から出て来た記憶が無いということだが、それまで迷宮で何があったのか、教えてくれるかね?」

「無谷さん。あなたの服装が、その、乱暴されたような形跡があったという情報は受け取っています。だから、話せるところだけで構わないからね」


 協会では厳しい訓練を受けていた身からすると、同じ協会施設内とは思えないほどの、かなりの厚遇だ。それがむしろ、怖い気もしたけれど。さすがに本気で大事にしてくれているのだろう。何か裏があるようには、この時は感じなかった。


「あ。それは、その。純潔はなんとか大丈夫でしたので、お気遣いなく。でも、どこからお話すればいいのか……」

「あ、そ、そうなのね? でも、そこまでは言わなくてもいいのよ?」


 困惑した安達さんの様子で、佐々木さんが気まずそうな顔をしているのを見た。今の私にはなんだか新鮮な反応で、学生の頃を思い出した。お互いのプライバシーに対して、変なところで鈍感だったり敏感だったりした、あの頃を。純潔を伝えたのは、余計だったのだ。


「す、すみません、お忘れ下さい。それで、何から話したらいいでしょうか」

 むしろ、どこまで話していいのやら。というのが本音だけれど。

 あの覚醒者たちについて、話していいのかどうか。

 他言するなとは言われていないけれど、言ったところで信じてもらえるかどうかもあやしい。


 いや……あのユカという少女と、姉妹になったという成り行きは良くないかもしれない。

 なるべく、詳細は伏せて話した方が良い気がする。かといって、嘘を上手くつくなんて、私に出来るだろうか。


「そうだな。なら、こちらが得ている情報を伝えておこうか。まず、君のヘッドカメラのデータチップから、ある程度は把握している。かなり無茶な潜り方をしていたね。それから、あの連中に襲われたことも。ただ、君の服が切り裂かれた辺りで途絶えているんだ。我々は邪推してしまっていたが、無事だったというのは、助けが入ったのかね?」


 ――しまった。

 半帽メットは、ずっと装着したままだった。それが発見されて、カメラのデータチップも全て見られているというなら、その先まで映っていたはずだ。

 あの覚醒者たちのことを、嘘偽りなく話すかどうかを試されている。と考えた方がいいだろう。データがそんなに都合よく、覚醒者が現れたところから途切れている、なんてことがあるはずがない。


「その……。はい。信じて頂けるかは、分からないのですが……。助けてもらいました」

「どの部隊だね? 君が居た場所まで、潜ったという部隊は確認されていないんだ」


 ……あえて、そういう風に聞いているのだろうか。来たのはたったの二人だと、映像を見ているなら知っているはずなのに。

 私が、裏切り者と呼ばれる覚醒者のユカと姉妹になったことを、吐くかどうか試している?  

 遠回しに聞きつつ、徐々に、真綿を締めるように核心を突こうというものだろうか。


 ……やっぱり、これは簡単な取り調べというよりは、核心を問いただすための尋問だ。

 私も裏切り者になったのかを、はっきりさせるための。

 私は、尋問を上手くかわすような訓練なんて、したことがない。

 ――嘘をついて、その道のプロをだませるはずがない。


 ならやっぱり、正直に話すしかない。まさかあの子と姉妹になっただなんて、その場しのぎだということくらいは理解してくれるだろう。

 でも、なるべく小出しにしていこう。もしも本当にデータが破損していたなら、ユカの正体くらいは、隠せるかもしれない。


「その……覚醒者に、出会いました」

「なにっっ? 覚醒者だとっ? そ、それは本当なのかね!」


「――え。は、はい」

 佐々木さんが身を乗り出して声を張り上げるとは、思っていなかった。たるんだアゴが揺れるほどの反応は、たぶん、素の反応なのだろう。安達さんも目を見開いたまま、私を凝視して固まっている。二人とも驚いている様子にしか見えない。

 ――演技だとしたら、相当な役者だ。


 どっちだろう。本当に映像データが破損していたのか、それとも、全て見た上での、この演技なのか。

「……なにか、まずいことでしたか?」

 彼らの知っていることを、慎重に、確認しなくてはいけない。

 それから……そうだ、記憶がおぼろげだということにしよう。帰還するまでの記憶が無いのは本当だし、辻褄つじつまが合いやすいかもしれない。


「覚醒者の存在は、稀有けうなのだ。そのどれもが、なぜか迷宮に姿を隠してしまう。軍属であっても、だ。一部では血眼ちまなこになって探している、というウワサもあるほどにね。それもそうだろう。迷宮との力関係を、ひっくり返すほどの戦力になるかもしれないのだ。に君は、出会ったというのだから。驚かない方がおかしいだろう」


「そ、そうでしたか。私は、訓練では『あこがれるな』としか、教わっていなかったものですから」

 飛び抜けた力を持つ英雄に憧れても、良いことなどひとつも無いから、と。そも、目指してなれるものではないから、憧れる暇があったら鍛錬しろというのが、教官たちの言葉だった。


「それで、無谷さんを助けてくれた覚醒者は、どこに行ったか分かりますか? というか、その場でもしかして、他の小隊たちは覚醒者に処刑されたのですか?」

 安達さんは、興奮気味の佐々木さんに水を勧めながら言った。

 意外と冷静に、場を仕切ろうとしているのが分かる。


「えっと……そう、なりますよね」

 たしか軍法では、仲間を意図的に害する者が出た場合、その場の判断で処刑することが許可されている。命を掛けて潜っているわけだから、仲間を害する者は裏切り者――言うなれば、魔物と同じ扱いを受けることになるのだ。

 そういう意味で、あの小隊のクズどもを殺したことに関しては、覚醒者が罪に問われることはない。この点においては、あのユカという少女も。


「その時のこと、詳しく話してくれ。実は君の服からわずかだが、火薬が検出されている。小隊は銃を使用して対応したんじゃないのか? 五対一の銃撃戦で、君を無傷で助けられるというのは……普通に考えて無理な話だ。それを成した覚醒者の力が一体どんなものか、ぜひ教えて欲しい」


 尋問だろうと疑っていたけれど、もしかするとこれは、本当にただの質問なのかもしれない。

 なぜなら、佐々木さんのこの興奮度合いからして、ただのミーハーなおじさんにしか見えないからだ。

 安達さんも落ち着いた風でありながら、熱い視線を送ってきている。

 ――これは、演技ではない。

 たぶん。恐らくは。


「その、すみません。記憶がおぼろげで……詳しく覚えていません」

「なっ……なにか。少しでも構わない。少しくらいは覚えているだろう?」

「佐々木しょ……佐々木さん。あまりグイグイと聞いては」

「あ、あぁ。そうだな。すまないね無谷君」


 その後は、マントとフードで身を包んだ男の人だったはずだと伝え、けれどやっぱりよく思い出せないと言い続けていたら、解放された。嘘はついていない。

 かなり食い下がって聞いてきたし、とてももどかしそうだったけれど。私が涙を浮かべて、両手で体をぎゅっとしながらうつむいてみせると、その辺りで質問が止んだ。安達さんが、佐々木さんを制止してくれたのだ。大事は無かったとしても、服を裂かれて多人数に襲われた記憶というのは、かなりの心的外傷なんですよと。

 そうして、何か思い出したら連絡をくれと、名刺を渡されて終了となった。



  **



 その後すぐに別の職員から、協会からの一カ月の傷病休暇、療養期間が出たことを言い渡されて、自宅に帰された。

 その間も、カウンセリングには通うようにと、本部施設内の心療内科への通院を勧められて。

 それも一カ月では足りない様なら、診断書があれば延長できるらしい。

 随分な厚遇だ。


 ――でも、福利厚生はしっかりしているというのは、教官が常々つねづね言っていたっけ。

 というか、いつの間にか、協会に復帰したことになっていた。その辺りは、怖いところではあるけれど。辞めた時に、首のタグを返却しろと言われなかったのは、そういうことなのかもしれない。『一時外部派遣中の事件巻き込まれ』と、渡された通達書類には書かれていた。


 その書類を、特別に送迎してくれることになった車の中で、眺め読みしながら目を閉じて、降って湧いた長期休暇をどう過ごそうかと考える。

 そしてそれならばと、私は家に引き篭もって、途中で頓挫とんざした学生ならではのグータラ生活を味わってやろうと決めた。久々に、心が動いた気がする。何をして遊ぼうか、休みが出来たと友達に連絡をしたら驚くだろうか、それとも、しばらくは寝て過ごしてやろうか……。


 実は、自宅に帰るのは久しぶりのことだ。

 訓練から協会で働くことになった今の今まで、寮生活を強いられていたから。でも考えてみれば、辞めた時に寮を出て行けとさえ言われなかったのも、どんな形であれ戻ってくる前提だったのではないか。

 そんなことを色々と、頭の中でグルグルと巡らせているといつの間にか、家に――実家に着いていたらしい。


 ――で、母をまず、かなり驚かせてしまった。

 協会から車で送り届けて貰ったその時、母はパートが休みの日で、家に居たせいだ。

 昼間に突然の協会職員からの訪問と、事件の説明を始められた母は、娘の私がひどい目にった上に殉死じゅんししたのだと勘違いしたのだ。これには、車の中で居眠りしてしまった私が悪いのだけど。


 なかなか降りて行かなかったものだから、母親がどんどん青い顔になって行くのを見て、説明中の協会職員も「これはちょっとまずい」と思ったらしく、車に飛んできた。「早く起きて出て来なさい!」と、一喝いっかつされてようやく降りると、母は目に涙をめて大泣きする寸前だった。


 状況をつかめないまま呆然ぼうぜんと母を見て、何で泣いているのと聞く間もなく、思いきり抱き締められた。「優香ぁぁ!」と、ギャン泣きされてなぜか、私も涙がどんどんとあふれ出てきた。

 謎なのは、事情を全て知っているはずの、誤解を生みだしたその職員さんまでもが泣いていたこと。

 ご近所さんたちも、何事かと出て来ていた。一軒家住宅地というのは、野次馬が湧きやすいのだ。何かを察して、うんうんと頷きながら勝手に涙しているおばさんたち。


 ――壮大な誤解を、どうやって解くべきか分からないわ。

 冷静になってそう思ったのは、お風呂に浸かっていた時だった。それまでは、何か分からないけど、大変だった私を労ってくれていて、そして一年くらい離れていた分、感動したのだろうなと思っていた。


 ――ウケる。

 確かに大変だったけど、死んでいないしこの通り元気なのに。何なら、長い休みの遊び方を延々と思案しているだけですよと。


 いや、でもやっぱり、心配を掛けていたのは変わらないから、普通に感動案件だったかもしれない。動画か何かで見た、迷宮に長期派兵されていた軍人さんが家族の元に帰った時は確かに――皆泣いて喜ぶなり感激して抱きついたり――感動のシーンだったし、私もそれを見てもらい泣きしていた。

 ――いざ自分がその立場になると、そういう感覚とは少し、ズレるものなのだろうか。


 そういえば職員さんと安達さんから、「心が遠くなったように感じた時は、必ずカウンセリングを受けるのよ」と言われた。

 ――まさか、私がPTSDみたいなのに、なっている?

 まぁ……まだあの一件のことは、混乱していて整理出来ては、いないけれど。


 でも別に、突然恐怖でいっぱいになったり、体が震え出したり、そういうのとは違う。まだよく分からない。あの出来事に対して、どう処理すればいいのかが、分からないだけだ。

 それにカウンセリングでも、あの事は話せない。あんな存在が、迷宮の中に居るだなんて。


 ――あれ?

 私は迷宮の中で、あの子のことを協会に、報告しなければと思っていたはずなのに。

 ウワサの裏切り者が、実在しているということを。

 それなのになぜ、あんなにかたくなに、かくそうとしたのだろう。


 私は被害者だから、話しても協会からのおとがめなんて、無いはずなのに。

 ……私は、どうやって地上に戻ったのかな。

 そこの記憶は、本当に無い。

 どうして覚えていないんだろう。



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