【レベルⅧ】

 もうもうと立ち昇る土煙の中から、人間とは思い難い異常な魔法力と、信じ難い殺意が迸っている。


「リティエルリ、走って」

「でもッ」

「狙いはリティエルリだ、俺たちはを止める」

「…………ッ」


 リティエルリは逡巡を見せた。――もう時間が無い。


 煙が、晴れていく。

 現れたのは――。


 己の背丈を超える、大剣を担いだ女性。


 冷たいのか、熱いのか。

 読み取れない雰囲気を持つ人だった。


 ひび割れた地面に凛として立つ彼女は、リティエルリを一瞥するなり――。


「今回は逃がさない」


 それだけ言って、背にした大剣を抜き放ち、悠々と構えた。


 臨戦態勢に入ろうとしたリティエルリを、背に隠す。


「解決の落としどころは、どこに考えている?」

「…………?」


 俺の問い掛けに――彼女は、首を小さく傾げた。


 ――言葉が、通じる。


 有難い、それだけでも救われた気分だった。


「妖精騒動の、容認できる解決手段の話です。こちらはレーヴィア高等魔導学校校長、織枷おりかせ 優撫ゆうながすでに、妖精の帰り道を見つけています。同行してもらえればそれを証明できる」

「それは容認できない。命令は《即時の解決》だ。命令である以上、それは命令者を含む何者であっても取り消すことは叶わない。私はそういった存在でここに立っている」


 話の途中でいきなり斬りかかってくるようなことこそないものの、どうにも、並外れていた。


「名は?」

「バランサー【レベルⅧ】、ココロ・ユグドラシアドレス」


 まるで人形のような人間。


 輝けれども暗色を極めた、綺麗に整えられたボブカットの黒髪。斜めの直線に切られた前髪の下で輝く瞳は、リティエルリとはまた違う、不自然な発光色で輝いていた。


 ユグドラシアドレス、洒落のつもりだろうか?

 彼女は上流階級の宴会で着るような、ひらひらとした真黒の衣服ドレスを着込んでいた。あまりにも場にそぐわない衣装に、彼女が、非実在存在の幻のように感じる。


 全てがこの世から浮いて存在していた。


「――――セーシロー……!」


 リティエルリの、恐怖に戦慄した声。


 今度こそ、会話は終わりなのだろう。彼女は背に負った大剣を手にした。


 全てが異質な彼女の、なによりの異質――。それを、大剣と表現して、よかったものか……。


 まるで腐ったむくろの骨を幾重いくえにもして造られたような、見るだけで吐き気を催す、おぞましい物体。


 それを直視した瞬間、悟る。

 あの物体と、生死を賭して対決した末には……死ぬことすら許されない、あの剣と同じ程のおぞましい結末が用意されているということに。


「蜜凪、を持ってきてくれ。もしかしたら必要になるから。――俺たちは逃げるぞ」

「――おー、行ってこい。じきユキも蘇生するだろ、二体二だ、足止めくらいできる」


 ゆったりと歩み寄ってきた律織に、ココロバランサーの目が向く。


「――リティエルリ」

「でもッ」

「大丈夫だ、アイツは強いことくらいしか取り柄がない奴だから。走ろう!」

「アっ――」


 リティエルリの体を抱き上げて、駆け出そうとした、瞬間。

 致命的な破壊音を思わせる大響音が、目の前で轟き響いた。


「――なんつうこと言うんだコイツは。おら行け」


 僅かの人間的躊躇もない大剣の突きを、光点を頂点とした光の面が十全に受け止めた。


「…………」


 律織の超常を認めて。

 ココロバランサーの体勢が、律織を向いて、――こちらから関心が逸れた。


「行こう!」

「……待って、待ってセーシロー」


 俺の腕の中で、胸をぎゅっと掴んで、歯を噛み締め彼女は震えていた。

 それでも……瞳の光からは、先程にはなかった、せいの光が確かに灯っている。


「ここで。ここで逃げてしまったら、一生、私は一生涯、嘘を吐いてしまったという事実から目を背け続けることになってしまう……! 我儘なのは、分かってる、でも……、お願い――」


 蒼白の表情で、彼女は俺を見上げた。


「戦わせて」


 …………道理が違う、道徳が違う、常識が違う。


 自尊も、きっと、また……――。


「――律織、予定変更だ、リティエルリも含めて戦う」

「マジかよ? ――臨界点は超えるなよ!!」


 大剣の大振りを、手繰る光点、光の面でガードしながら、まだ余裕がある様子で律織が応じる。


 光の面が、ヒビ割れて砕けかけた。


「……どういう理屈で、ヒビが入ってんだよ」


 戦慄の入り混じる呆れの声でぼやき、リティエルリとの連携のため、数歩後退した。


 彼女を地に下ろし、その場から下がる。


「いざとなったら。連携してくれ」

「駄目だ」


 その提案に、律織はハッキリとの声を告げた。


「駄目だシキ、コイツ、人間じゃない。人間の形をした、別のナニカだ。感情に干渉する精神攻撃の類いは通用しない、【事象透過ワールドオフ】の世界に沈めても、おそらく無意味だ」


 ――――いざとなれば、そう考えていた

 俺は判断を間違えたんじゃないかと、視界が暗がりかったが、――その恐怖を斬り裂くようなリティエルリの声が、暗色の世界に射し込んだ。


「我が背に栄光、我が眼前の道に妖精の誠実。――戯曲のお伽話から姿を現わせ、【ティターニア】」


 活性火口の中。

 そんなイメージが、彼女の立ち姿に投影される。


 ――――律織、ココロバランサーに劣らない、どころか……これは…………。


 感じたこともない、火山の内部域を想像させる、計り知れない魔法力が膨れ上がっていた。思わず身を避けそうになった威圧から、魔法が顕現する。


 空が僅か、歪んだような気がした。


 そして――黄金と緑の光を発しながら、【伝説の創造武器】が創生される。共存する一振りの、誰かの想像力から顕現したような独特な形状の剣が、リティエルリの手に握られた。


「――あなたが、リツオリね。力を、貸してくれるかしら……?」

「いいよ。機会があったら、なんか奢ってくれ。――【重力法ルクスノクターン】」


 ココロバランサーも、踏み込みの姿勢を完了していた。

 三人が動き出した瞬間、俺も駆け出した。余技打よぎうちバランサーの対峙者は俺だ! 


「右四十度、柱の影ッ!」


 律織の声が飛ぶ、指示された方角の物陰を見据える。屋根のある場所は――あそこだ。


 体を地面に沈め込もうとした、その瞬間だった。


「グッ――――」


 視線はやらない。けれど、彼女の苦し気な声と、ただならぬ斬響音が響いた。


「――あらゆる意味での理論値である硬度を持つ【ティルヴィング】があれば、武器創生は問題にならないが……その魔法、歪んだ重力の力場。光で相対時間まで操られ始めたら厄介だな」




「面倒だ。使




 そのとき。

 物陰に潜む、余技打よぎうちバランサーと目が合った。


 鎖で自身を巻き取るという奇天烈な防御姿勢でありながら、彼の表情にはありありと――諦観の情が浮いていた。


 彼ですら防ぎきれないがくる。


 どうしてそう直観したのか、ただ、即座に【事象透過ワールドオフ】を発動し、この世界の、境界の向こうへ身を投げた。



「【ティルヴィング】。願おう。私に仇成す全ての者をことごとく沈めよ」



 ――――。


 ――――――――――【事象透過ワールドオフ】の境界線から、身を上げる。


 そして視界にした、目の前の光景は。


 実在性を疑う、夢のように信じ難い光景。


 破壊の痕もなく……ただ、律織とリティエルリが、倒れ伏していた。


 目は覚ましそうにない。単純な昏倒状態でないことは、見た目からして明確に察せられる。


 俺一人。


 そして、目の前の光景――悠々と歩いてくる、ココロ・ユグドラシアドレスの姿。


 冷たい汗を流す。


 もう味方はない。そんな中、空身からみと心、そし知恵一つで、俺はこの超存在を、止めなければならない。


 誠実に誓って。


 

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