術式と現象影響力
「こんばんは、リティエルリ」
「こんばんは、セーシロー!」
空を見上げながら駆け気味にリティエルリの待つ丘を目指し、彼女の隣に腰を降ろす。
彼女は疲弊していたのだろう――それに気付くくらい、リティエルリの笑顔には活力が取り戻されていた。カモフラージュには回復効果もあるという推測は正鵠を射ていたようだ。
今、そのことに笑んでいる自分に気付いた。
「今日も追っ手の影はない。情報捜索の手すら伸びていないということは、だいたいの位置予測すら及んでいないということだ、近日も平穏だと思う。顔を合わせてすぐに緊張する話をしてごめん」
「いいえ、そう、私にとっては……良かったわ。ねえセーシロー、私、もっと人間のことを知りたいと思った。恐ろしく思うばかりでは、ただただ、ぼうっと立っているのと変わらないから。私は何を間違えて、どのような選択を選んでいたのか……知りたいの」
「んん……、そうだな。まず、人間の住む……外郭世界には、妖精の詳細な情報についてが、ほとんど知られていないという前提がある。少なくとも大多数にとって――それは学術を収める者にとってすら――不明のほうが多い一分野だ。そして、妖精がこの世界に影響を及ぼすという危険視について、それだけは確かな事実として伝えられている。つまりこの問題の焦点は、『妖精種についての知識が不詳であること』にあるのだろう。どの妖精が悪さを仕出かすのか、大多数の人間には分からない……」
「あ……、そうか――」
「故に……物騒な表現を使ってごめんね、『見敵必殺』が基本の対応として採られているのだと思う。【バランサー】じゃないから、詳しいことは分からないけれど、おそらく大きくは外れていないはずだ」
「【バランサー】って?」
「治安維持を目的として編成された組織だ。元は自警団が発祥で、今は全世界に支部を置く巨大組織。警察という機関、【バランサー】という組織、そして【Ainsel】の
Ainselとはなんぞやという説明も加える。
「未然に危機を取り除く。互いに協力し、時には睨み合う三職の中でも、【バランサー】は比較的手荒だ。まず間違いなくリティエルリを追ったのは
「き、着てた! 丈夫そうな布地の、赤色の服……!」
「そうか。まあそうだろうな。――でも、言った通り、捜索の手は及んでいないから、大丈夫。リミットまでの間は安全だろうし、危機が迫ればそれを伝える」
「うん。……――そう、でも……【バランサー】という人たちも……お仕事なのね」
「まあ……そうだな、お仕事だ」
「うん、それを知れただけでも、だいぶに心が軽くなった! 理由があり
彼女には、それがとても辛いことに思えたのか。
同時に、「お仕事なのね」という言葉に含まれた、彼女にとっての意味合いが気にかかった。
あるべき道理を犯して、暗がりへ生きた人を埋めるようなことも、生きるため、お給金を得るためのお仕事なのだから仕方ないわよね、という意味なのか。
平和を守るためのやむを得ない行為だったのね、という意味なのか。
……後者な気がした。なんとなく、リティエルリは人間の社会常識における、盲目の普遍賛同を許さないような気がする。
リティエルリは人間の闇を知ったとき、何を思うだろうか……?
「セーシロー、どうしたの?」
「……いや、なんでもない。それよりも……聞きたいことがあったんだった。リティエルリ、外郭世界よりも魔法に近しく生きる妖精世界であれば、あるいは……魔法力の根幹を言語化することにも、至っているということはないか? というのも、この世界では魔法力が
「いいえ、セーシロー。残念ながら、妖精世界においてもそのことは、古来から未だ解けていない知識の暗所よ。こんなに魔法と近しく生きているのに……不思議よね」
そうか、まあ、そうだろうな。
遠く離れた世界といえど、さすがにそこの知が明かされているというのなら、複雑な経路を辿ってでも、こちらの世界にも伝わってきているはずだ。妖精世界の景色なんかも、嘘か本当か、伝わっているくらいなんだから。
「『それは
「…………?」
「『大気に踊る水よ凍れ、私の手先に
リティエルリが人間の言葉で唱えると、――彼女が宙に掲げた手の
三つ指で、そのもの花を取るように手にされた氷の結晶を、唖然として見つめる。
「術式も無しに、
「そ。す、すごいでしょ……? ――言霊の方法とは、意志を鮮明にする妖精の方法。
「そうなんだよなぁ……」
髪を掻いて俯く。
「なぜ、それが観測できないのか……。誰一人解き明かせない謎……。まあ、今は蜜凪が、ひょっとすればその謎に至るのではないかと、世間で期待されているけれど」
「そ、それは……、本当に、とてつもなく評価されているのね……!」
茫然じみた驚愕を浮かべたのち、今度はリティエルリのほうが興味深げに尋ねてきた。
「外郭世界でいう術式っていうのは、どういったものなの?」
「たぶん、妖精世界と変わらないと思う」
言って、予めこういう話題をするつもりだったので一応持ってきた、少量だけオイルの入った、摩擦の起こらないフリント式ライター(回転式のヤスリで火花を発生させて着火するやつ)をポケットから取り出した。
「これは魔導訓練の初歩の初歩で使う、火をつけるための道具。普通のやつと違って、ここを回転させても火花が起きずに、火はつかないはずなんだけれど……」
手に魔法力を纏うように意識して、熱を感じたそのタイミングで、回転ヤスリを擦る。
すると、火花どころか摩擦の音すら鳴らなかったにも関わらず――ライターの出力口に、火が灯った。
「まあ、人間が個人で扱う一般的な魔法といったら、こんなもんだよな。容器に入ったオイルを触媒に、火花や電気も用いず発火させる。術式っていうのはイメージを
「妖精もそこは変わらないわね」
「少量に調整したオイルに直接魔法力を及ぼせば火柱が立つから、認識能力の匙加減を訓練するのによく、これが使われるんだ。――こんだけメカニズムが分かってンのになぁ。いやメカニズムは分かってないんだけど」
不明瞭なことに触れたせいで、言葉まで不自然になる。
「火は難しいけれど、氷結や電気が分かりやすいのも一緒?」
「そうだね、宙の水分を凍らせるとなるとまた話は違うけど、氷結と電気は例外で、術式ナシでもやり易い」
人差し指と親指の間に、パチリと紫電を走らせる。
「ただ、前にもちょっと触れたけど、人間の世界では、魔法は基本的に世間の役に立てるための理論構築だから、【
「なるほど。やっぱり、妖精と比べると、ちょっと距離があるように感じてしまうわねぇ……」
もちろん例外もいる。
術式も無しに【視線】を媒介に強力な精神魔法を行使する人とか。
ただそれは本当に一握りだ。
「……
「『火よこの手の
すると、リティエルリの手のひらの上に、辺りから発見できない程度に抑えられた、小さな炎が灯った。
「……マジで? これ、どうやって燃えてんの……?」
「フフフ。火の精霊の力を借りた現象よ」
なんだ火の精霊って。
「――ああ、それが前に言っていた、『周辺周囲の影響力を取り込んでの発火エネルギー』の真髄か? 単純なエネルギーだけじゃなくて、『燃える』という現象影響力を取り込んでるとか?」
「すごいわセーシロー! その通りよ……!」
「はー。なんでもアリなように思えるけれど、でも、なんでもアリというわけではないのか……。現象影響力の分野は苦手なんだよな。…………」
そうか、妖精が一所に留まったり、本領を発揮すると、外郭世界へ影響を及ぼしてしまうのは、その在り方が現象影響力に強く干渉するのが理由か。
魔法と遊び戯れる種族、か……。
「しかし、リティエルリはすごいな」
「…………? 何がかしら?」
「喋ってるの、人間の言語だろ? それを逐一、瞬時に意味を
「……! ま、まあ、私は姉妹の中でも、そういう勉学に通ずることは得意だったわ。人間の言語もちゃんと予習してきたし……!」
――そう、彼女は出来る限りで抜かりなく、十分な準備をしてきたのだろう。自身が外郭世界へ影響を及ぼす存在であると熟知して、おそらくその対策も備えて。
だが備えは十分であっても十全ではなかった。人間の情報を知り得ることができなかった、しかし逆に言えば、それだけのことなんだ。
それから、しばらく自分の身の上の話に花を咲かせた。
「――だからお母様は畏敬の対象で、でも仲良しで。七女とは特に仲が良くて。そして三女とは、喧嘩したり、仲良くしたり……。――セーシローの兄弟や親御さんは?」
「一人っ子だな。両親は自慢の親だよ。さんざ迷惑をかけた俺に少しも嫌な顔を見せないし、どころか何でこんなにもってくらい優しくて。少しでも一人立ちしないと俺はやっていけないと感じて、家を出ると告げた時も、優しく力強く背を押してくれたし。リティエルリ、こんな親なかなかいないって。ハ、学生の一人暮らしだっていうのに、一戸建ての借家をあてがってくれたりしてな。あれはさすがに焦った」
「まあ、宮殿をあてがってくれたのね! 優しいお父様お母様ねっ!」
「いや宮殿ではないかな」
リティエルリと出会って六日目。織枷校長が戻るまで、残り約三日。
共通の話題で盛り上がったり、お互いの身の上を話し合ったり。
そうする中で、もっと彼女のことを知りたいと思う自分に気付いた。
だが――……。
俺の、人間のことを彼女が知ったらどう思うのか……。致命的な部位に小骨が刺さったように、そのことが気がかりになった。
「踊りましょうか、セーシロー」
「ん。…………」
そして。
「リティエルリ」
「うん?」
「…………嘘は嫌い?」
「そりゃあ……そうよっ! どうしてそんなことを聞くの……?」
「じゃあ……人間にとって嘘とは呼吸と同義だと知ったら、……どう思う?」
俺は、俺の
「――――……え?」
呆けた表情を浮かべた彼女へ、言葉を止めずに、問う。
「人間は嘘を愛する。
「…………ええと――」
「…………」
「…………どうして。どうして、そんなことを問うの?」
瞳の色を褪せさせ、青ざめる彼女へ。
大声を出す必要もないほどの、声の限りで、彼女へ言葉を渡した。
「――――お前に、嫌われたくない!」
――……しばらく。
月明かりと星の瞬きだけが、音を発していた。
「だから、そのことを知っていてほしかった……。俺も同じ人間だけれど……、お前に対しては嘘をつかないという誠実を、知っていてほしかった。それを醜いとは思ってほしくなかった」
「…………。……――そうなの」
頬だけ紅くして俯く、リティエルリの瞳を窺う。
そして――彼女が顔を上げて、その色彩鮮やかな
「嫌うわけない。セーシロー、私たちは、人間と妖精として、仲良くなりましょう!」
……たぶん。
生まれて、初めて。
俺は、心の底から笑っていた。
そう思えるほど、この胸を満たす感情が、俺の中にあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます