遥かなる幻想風景

 七日の間、リティエルリを蜜凪の家で匿うことも提案したが、その案は織枷校長により却下をいただいた。

 それはリティエルリ本人も主張するところであった。


「ここは自然が多いわ。一か所に留まるより、自然に紛れて隠れるほうがよほど安全よ」


 愛架さんを頼れれば心強いと考えての案であったが、織枷校長がそれを却下した、妖精のカモフラージュはそれほどまでに強力であるのか。


 ……じゃあ、ハンターはどうやってリティエルリを追跡していたんだ? 街のほうから来たと言っていたから、単にカモフラージュを発揮するには自然が少なかっただけか……? …………曖昧に放置しておいていい問題ではない気がした。


 朝昼は不審者よろしく周辺の巡回、適度に休息を取って、妖精についてのことを自習しながら要警戒、要警戒――。思った以上に神経を擦り減らす任務になるかもしれない。

 しかし、やはり自然が多いという要因があってか、追っ手らしい人影は一つとして見なかった。


 そうして、長い一日の日が沈み――。

 今日も、草木も寝静まる月明かりの下での邂逅が始まる。


「こんばんは、リティエルリ」

「こんばんは、セーシロー!」


 リティエルリは今日も、花も綻ぶような笑顔で俺を迎え入れてくれた。

 疲労の様子は……特に見えない。というより、初めて会った夜よりも気力に満ち、調子を取り戻しているように窺えた。もしかしたらカモフラージュには、体力休養の効力もあるのかもしれない。


「セーシローと会う時は、いつも『こんばんは』ね。今日からは、二人で会うことになるのよね?」

「うん、そうなる。『こんにちは』のときも、隣にいれればよかったんだけれど」


 そう言うと――リティエルリは突然、プリプリと怒りだした。


「私、外郭世界の昼間って、その、あんまり好きじゃないの……!」

「そうなの?」

「そうよ! 朝は朝焼け、優しい景色。夕方は燃えるような、侘しさと感動の景色。夜は藍色の暗がりに月が浮かぶ、静謐と静寂の神秘。なのに昼間ったら、ただ太陽が無感動に世界を照らしてるだけで……。私、思うのだけれど、人間世界には自然が少なすぎるのよ。木々が生い茂る場所だったなら、昼間だって素敵な景色になると思うわ」


 なんとなくだが……妖精の世界には、そう、リティエルリの言う通り自然が溢れた景色があるように想像された。木々が生い茂り、緑溢れる木漏れ日の景色が空想に広がる。緑はこの世界より強く光り輝いていそうだ。


「まあ、この世界の昼間は、活気ありきの景色って感じがするから、無感動に感じるのはそのせいかな。あー……あまり聞きたくない情景かもしれないけれど……、大きな街のほうでは、本当にたくさんの人が活気の熱を上げていて。賑わって、たくさんの店もある、皆の高揚……そこにいるだけで楽しくなるよな」

「へー……! いいえ、あまり聞きたくない情景だなんて、そんなことはないわ。一度、見て見たい……。…………私がもう、本当に駄目になってしまったら、一度、人間の街を覗いてみようかしら」

「おいおい、どうした?」

「い、いいえ! 少し弱気になってしまったの、ごめんなさい」


 笑顔で強がる……こういうところは、人間も妖精も、変わらないようだ。

 気力は回復しつつあるとはいえ、心の疲弊を感じていないというわけではない。そのことは、心に留めておこう。


「妖精世界はどんなところなのか、聞いても構わない?」

「ええ、もちろん。――昼は金色、夜は白銀の光が降り注いでいるわ。美しい川に溢れる緑、豊かな妖精の森に壮美な建築、そして雄大な妖精の王宮。黄金の名に相応しい、光り輝く世界よ」

「夜は白銀の光が降り注ぐ……。幻想的な景色が思い浮かぶな」


 神秘的で、幻想的。そんな想像に思い馳せたのだが――。

 ところが、俺の感想を聞くと、リティエルリは突然、心の底からの声で笑い始めたのだった。


「ウフ、――――アハハハハハ!」

「ど、どう、した……? なんか妙なこと言ったか?」

「ウフフ、アハハハ! げ、幻想的ね、――なんだか面白くて! 外郭世界から見ると、私たちの世界もそう映るのね。意外だわ」


 リティエルリは笑いすぎて瞳に浮いた涙を拭い、夜の空を見上げた。


「ねえセーシロー。私たちの世界は、いつだって光が満ちているの。光が絶えるときなんてない。だから妖精にとって、――――外郭世界の夜の景色ほど、幻想的な景観はないのよ」


 じっと空を見つめる彼女につられて、俺も、藍色の空を仰ぐ。

 帳を降ろす藍色の空には、ほんの僅かに欠けた月が、煌々と光り輝いている。


「暗くて、静かで。それなのに、空に浮かぶ月は明るくて。夜に吹く風は特別なもので、自分が吐く吐息さえ、どこか違ったものに感じる。人間界の夜の景色は、神秘で満ちた幻想。……私たち妖精の、憧れなのよ。そう。この景色が見たくて……私は外郭世界へと思いを馳せて、駆け出した」


 言うと、今度は突然、灼熱に赤面して視線を地面に伏せた。

「そして、その景色に見惚れているうちに……【シーヘン】を見失ってしまったの」


 なるほど……そういうだったのか。


 しかし彼等かれらにとって、この景色は、そのように思い馳せる幻想で――、安否のかなめを思わず見失うまでに、神秘的であるということか。


 見上げた夜の景色が、今はとても、特別なものに感じた。


「私は愚かだった。この景色見たさに、こちらの世界に足を踏み入れた。そして迷った。……でもね、セーシロー。私はその愚かさを、少しも後悔していないの。それは恥ずべきことだけれど。でも、この景色を見て、後悔なんて浮かぶはずもないわ」


 そして、彼女は空を見上げたまま、ぼろぼろと涙を流し始めた。


 悲しみではない。悲哀も不安も、微塵も混ざらない。


 純粋たる、感涙の滴。


 胸を締め付けられるような感情に襲われた。どうして、どこから出てきた情感なのかは、分からない。


「――そうだ、セーシロー! 今日は二人きりで踊りましょうかっ!」


 そしてまたまた突然、リティエルリは弾けるように立ち上がり、純心な笑顔を湛えて俺に手を伸ばしてきた。


「えっ、また踊んの?」

「人間世界の夜の下で踊る、これも妖精の憧れなのよ! 踊りながら色々話しましょう」

「難易度高いこと言うね……」


 そうして、今日は二人、月明かりの下で踊り始める。

 三人でやるよりだいぶ難易度は低い。思ったよりやれそうだった。


「ねえセーシロー。遠慮なく、忌憚のない意見がほしいのだけれど。今日も少しだけ、私の喋り方に奇抜を感じていたでしょう? どこが、どう、そのように感じた?」

「――そうだね、感情を昂らせすぎて話すことは、こちらの……人間の流儀でいえば、ヒステリック……マイナスの印象として捉えられることがある。なぜかというと、それは冷静さの欠如を思わせることがあるから。人間は言霊ことだまかいさない、だから会話においては擦り合わせるように、段階を踏んで感情を伝えなければ、相手へ無理理解を押し付けるというプレッシャーになりかねないんだ。結果、持続的なストレスが発生する、そうして共感が難しくなることがある。そういった理由で、感情を込めすぎることはマイナスへ転じることがあるわけだ」

「むぅぅ……難しいわねぇ。妖精にとって、きちんと感情を隠さずに話すことは、相手の目を見て話すようなエチケットだから」

「なるほど……言霊ことだまかいせば逆に、そういう作法になるのか。興味深いな……」

「セーシローは研究者気質なのね? そう、妖精は――……って痛ァーーいッ! ちょっと! 足っ! セーシロー、足を踏んだわっ!」

「わ、悪い……」


 リティエルリによるダンスレッスンは、夜が完全に更けるまで続いた。

 空を見上げて、自身の姿を踊るほうが全体のスケールを把握できるうえに警戒にも気を配れることに気付き、奇妙な体勢ではあるが、途中からそうして踊っていた。慣れるまでこのほうがいい、リアルタイムで客観視できるから、上達も早かろう。


「――それが、セーシローの才能?」

「そう、こちらの世界では【固有因果律エゴスフィア】と呼称されている、生来刻まれた魔導だよ。俺の才能は【翼視力よくしりょく】という。メカニズムを解明した蜜凪が命名した」

「へぇ……!」

「『空を見上げると地上を見下ろせる才能』で、そこら一帯の全体をみることもできるし、一部をズームして見ることもできる。明度関係なく地上を視界にできるから、常に一帯へ警戒を敷ける。ただし……曇り空の日は効力が失われてしまう」

「不躾なようだけれど……それより他のデメリットを聞いても?」

「特に無し。曇り空に弱いというだけだ」

「素晴らしい才能だわ、セーシロー……! それは妖精も羨むような才能よ」

「……ありがとう」


 彼女は首を傾げたけれど、俺は視線を伏せるように上げてごまかした。


「それにしても、空を見上げている人と踊るというのは奇妙ねぇ……」

「明日はたぶんそれなりに、踊れるようになってるから、また明日な」

「フフっ、そうね、また明日ね」


 リティエルリとの接触三日目。織枷校長が戻るまで、残り約六日。


 まあ、何も問題はない。

 このまま何事もなければ重畳だ。ただ……、彼女との話は、個人的にとても、楽しかった。


 それこそ、もう少し踏み込みたくなるくらいに。



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