残り約七日

 今日という日は多忙を極めた。

 あの後、まず識織を無理矢理、納得させるための連絡を取った。


「妖精についての様々な知識を得て確信した、今回、俺は単独で動いたほうがいい。理由は言えない」

「まあ……いいけどよ。お前がそう言うなら間違いないんだろうな。ただ……――レミが引き込んだ厄介事に巻き込まれてる、とか、そういう事情じゃないだろうな」


 鋭い。さすが幼馴染の腐れ縁、分かってるな。


「そんなわけないだろ。――……とは、言い切れないことだけどな。今回は違う、力は貸すが俺単独で動く、いいな?」

「分かった」


 その後は蜜凪を招いて、再度、織枷校長と計画の詰めを話し合った。


優撫ゆうなさん、どうして私は今回、待機なの……?」

「妖精との対話の難しさはいつだって想像を超えてきます、相対するのは少人数のほうがいいでしょう」

「本当にそれだけ? トラブルのほうから私に突っ込んでくるから、とかの理由は一ミリもない……?」

「いや、一ミリはあるかもです」


 ひでえ。

 でも校長の今の真顔はよく理解できた。


「な゛ー! 優撫さん、私のこと嫌い!?」

「大好きですっ! いくつのときからずっと見てきたと思ってるんですか! 大好きですよ! ただ、ただっ! 分かって! ちょっと思っちゃったのは許して……っ!」

「うー……」

「それに、あなたの役割はしっかりとあります。ここからは真面目な話――蜜凪ちゃんは、妖精について、出来る限りの学習を積んでください。もし……成志郎くんに限界が訪れたその時、バトンタッチできるように」


 それは必要な準備のように思えた。

 全霊は尽くす。だが駄目なときは駄目だ、保険は必ずかけておいたほうがいい。


小春日こはるび先輩に頼ろうかな。ん、それがいい」


 ……蜜凪も比代実ひよみ先輩と親しい、数少ない一人だった。

 まあこいつも本の虫だしな。あとは意外なことにミドリコが親しいんだったか。


「では、行ってまいります。しばらく留守にしますが、七日までにという約束は必ず守りましょう」

「「お願いします、校長先生」」


 笑顔で手を振る校長を見送って。

 その後は蜜凪に先んじて図書館へ直行、昨日まとめた資料を手に、できうる限りで比代実ひよみ先輩にお話しを窺った。


「――といっても、私が教えられるのは、このくらいかな。“常識が違う”、とにかく、この一点は常に忘れない方がいいよ」

「心得ます。今日はありがとうございました」

「ほーい。んじゃ、くれぐれも、《書物を信じすぎないようにね》。成功を祈ってるよ、気をつけて」


 書物を信じすぎないようにね。


 その警句は先輩の口癖だった。書は素晴らしい……! だが……どれだけ整合性が取れていようと、その内容が正しいと妄信すれば、この世で最も恐ろしい失敗を犯す。それが、先輩の持論。疑うこと、それが書物を頼るにあたって最も大切なことだと、先輩は言う。


 そうして家に帰ってからが本番で、もうとにかく、詰め込めるだけのものを頭に詰め込んだ。先輩に話を窺った、妖精の世界、妖精の常識、妖精の倫理――。どれだけ何を詰め込んでも、不安は晴れなかった。


 隙を見て寝て、日が落ちてからは周囲の巡回、そうして、また真夜中が訪れた。


「――――お」


 短く、驚きの声が漏れる。

 草木も寝静まる、とある時間を境に、【翼視力よくしりょく】の視界にリティエルリの姿が浮き出るみたいにして現れたのだ。――あれが、『自然に紛れて姿を隠す』というやつか。


 ……リティエルリを追っていたハンターは、あのカモフラージュを見抜く実力を備えていた、ということだよな。【バランサー】の高位に依頼がいってると見て間違いないな……。


「こんばんは、リティエルリ」


 蜜凪より先んじて彼女の元へ赴き、昨日と同じく、まだ遠いところから声をかけた。

 すると、彼女はビクリと座ったまま飛び跳ねて驚き、――そして振り返り俺の姿を認めると、パッと花咲くような笑顔を浮かべてくれた。


「こんばんは、セーシロー! ねえ、セーシロー、私は人間の挨拶も知っているのよ。夜はこんばんは。朝はおはよう。そしてお昼はこんにちは。ねっ! ――ところで、どうしてそんなに、緊迫していたの……?」


 …………そういうのもバレるんだったな。

「隣に座っても?」「どうぞ!」そんな許可を得て彼女の隣に腰を降ろして、正直に打ち明ける。


「妖精と人間では常識が違うから、何がお互いの倫理の繊細なところに触れるか分からなくて、少し話すのに緊張してた」

「そう……。――ねぇ、セーシロー! 今決めたわ、私も、その問題についてはあなたと同じように悩むということを。二人で悩んで距離を確かめ合えば、致命をきっと遠ざけることができる」

「そうだね。それは本当にいい考えだ」

「ねえセーシロー、なにか気付かない……?」

「ん……? なんだろう、――姿じゃない、分からないな」

「むぅ……。――喋り方よ! 昨晩から、一人で考えてたの。セーシローもミツナギも、私の喋り方を、少し奇妙に思っていたでしょう? だから、二人の会話から、こちらでの世界の対話における作法を考えていたの。思うに、自分の主張を全て述べる前に、緩衝材的な会話を挟むのが自然な作法なのよね。あと、人間はあまり、会話の節々でハッキリと物事を表明することがないみたいだけれど、これは不自然というほどには目立たないと思う、程度を弁えればいいのね。あと、これはイマイチ飲み込みづらいのだけれど、感情を高揚させず話しているのも気付いたわ。これは……慣れるまでに、時間がかかりそうかも」

「…………」


 コイツ、ヤバいな。

 戦慄に近いものを感じて考える。


 一度……一度喋っただけで、その地に住まう者の風土的特徴を、的確に捉えている。


 海外へ旅行に出たやつになら分かるだろう、その地の言葉をかいそうと、そんなことは人間には不可能だ。

 意外なことで怒られたり、意外なことで感謝されたり……衣食と住に触れ、生活を目の当たりにして、大切にしているものを知り、文化を理解して、そうして、少しずつ、その風土を理解していくもの。昨日の今日で、自身の常識と、その地の息遣いを正確に照らし合わせた、客観的に徹した分析を可能にするなんて。しかも、種族ごと隔たれている遠縁の風土だぞ?


 妖精の知能が成せるわざだろうか? 言霊をかいするということも大きいだろう。なんにしても、その知は人間を遥かに凌ぐものと窺える。


「素晴らしい分析だね。リティエルリは冴えている」

「えへへ……!」


 ただ、その戦慄は不安ではなく、先の安心へ繋がる理解であった。

 相互理解の意識を共有できる。

 彼女は、自身の絶対ルールを振りかざす化物ではない。それが分かっただけでも、だいぶに気を楽にできた。


「――実は本当に不安だったんだ。大原則さえ異なる俺たちは探り探りで交流していくしかないけれど、その意識が片一方であれば絶対に致命は避けられないと。謝るよ、リティエルリ、君を見誤っていた。――すまなかった」

「いいえ……、とても気を遣わせてしまったみたいね。ねっ、改めて、よろしくね、セーシロー!」


 彼女は、「人間にとって嘘は呼吸と同じ」と知ったとき、何を思うだろうか。

 なんとなく、この笑顔が曇ることは……とても嫌だった。


 改めて握手を交わしたそのタイミングで蜜凪がやってきて、また三人並んで座り、話は織枷校長へ協力を仰いだ結果である、解決策の内訳へと移行した。


「そんな馬鹿なことはないわ!」


 感情を高揚させて話すのが彼等かれらの常であるのだろう、彼女は怒気すら孕んだ激しい調子で、俺たちを見つめながらに大声を上げた。


「そんなことあり得ない! 金色の妖精女王の力を持ってして初めて可能な、不可能事なのよ!」


 まるで癇癪を起しているようだった。そんな彼女に、俺は努めて冷静に成果を伝える。……妖精の流儀に従うならば、ここはどういったふうに伝えるのが正解なのだろうか?


「いや、本当だよ。リティエルリ、彼女は、妖精における女王のような立ち位置の人だから」

「そんな、まさか……」


 リティエルリは青ざめながらも、もどかしげに顔を顰め、状況を整理するように両の手を擦り合せながら呟きを漏らす。


「でも、セーシローの言葉にあるのは、絶対の信頼……疑いすら抱いていないほどの確信……。でも、でも……。――ああ、そうなのね」


 沈んだ表情で俯くリティエルリ。その瞳に暗い雨雲の色を湛えながら、鬱々と言葉を紡ぐ。


「そういう存在がいるということ、それだけなのね。……悔しいわ。私は、妖精である私は、自分のこの状況をなにも打破できないというのに。どうすることもできないというのに。妖精として、恥ずかしい……。――ああ、でも、でもっ!」


 今度は輝くような笑顔を浮かべ、心底晴々とした声と共に私を仰ぎ見た。


「私は、帰れるのね! 解決の糸口が見つかった……! ああ、なんてことかしら! こんなことってある!? 昨日までの私は、あんなに沈みこんでいたのに! 絶望していたのに! ……正直、怖くってたまらなかったの…………」


 そして彼女はぽろぽろと涙を流しながら、微笑みを浮かべて指を組み、感慨に浸るようにじっと瞳を閉じた。


「…………せっかく人間流の会話を学習したのに、また、元の喋り方に戻っちゃったわね。つい……驚いて、嬉しくて」


 フッと笑みが漏れる。

 心の底から「よかった」と思えて、彼女の安寧を嬉しく感じられていた。


「良かったね、リティエルリ!」


 蜜凪の祝福にコクコクと頷き涙を流し続けるリティエルリだったが、ふと涙を止めると突然立ち上がり――驚く俺たちの手を引いて、弾むような調子の心底愉快げな声を、月の輝く夜の丘に広げた。


「さあ、踊りましょう!」

「え? お、躍る?」


 突然の提案に、さすがの蜜凪も困惑を浮かべた。なぜに突然に躍り?


「そうよ! こんなときに躍らないで、いつ躍るっていうのよ!」

「オー、それは妖精の常識?」


 蜜凪の問いに、リティエルリは可愛らしく頬をふくらませて、ぶすっとした声を出した。


「人間はこういうとき踊らないの? 妖精は踊るのよ! ほらっ!」

「おっとっと。――よーし! じゃあ躍りますかっ!」


 そして俺たちは丘の頂上で再び、夜の風が奏でる音をリズムに踊り始めた。

 ――実は密かに、この機会を待ち望んでもいた。昨晩は一人だけ役者じゃない感じだったからな、あのあと、嫌な感じに消化不良だった。忍んで意気を込めた一歩を踏み出して、ざっと学んだ知識を肉体へ出力しようと試みる。


「――……くっ……!」


 昨日よりはマシだったが……なかなか上手くいかない……。出かけ前のニ十分程度の練習じゃあ足りなかったか……。


 とにかくリティエルリは達者だった。

 それは分かるが、なんで蜜凪もこんな上手うめえんだよ。


「ちょっと! セーシロー、あなた下手すぎよっ! ミツナギは上手いのに。……ちょっとッ、あ、足を踏まないで! あのねセーシロー、ダンスが下手だと妖精にモテないわよ!」

「そうなのか?」

「あっはっは! 私は妖精の世界に行ったらモテモテかな?」


 次は見ていろよ。結構グサッときたからな……。


 どんちゃん騒ぎしながら、夜が更けていく。

 対話の感触は良好。ただし油断はできない、種族の隔たりという決定的な地雷に、終始気を配り、緊張しなければいけない。


 けれど、今感じているのは、それだけではない。


 そのような冷静を強いた思考だけでなく、今あるのは、もっと生きた温かい情感だった。彼女への興味、対話への期待、様々な関心――、人間の欲望が熱になって、腹の底のほうから湧き上がり、溢れている。


 どうなるのか――未来への希望。


『面白い』

 俺はこれからのことに、確かな自己だけの情感エゴイスティックを抱き始めていた。



 リティエルリとの接触二日目。織枷校長が戻るまで、残り約七日。



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