【魔道のアリス】

 織枷おりかせ 優撫ゆうな校長についての人柄は、一言では説明しづらい。掴みどころがないというわけではないのだけれど、天才の例に漏れず? 少し世俗的常識から外れたところがある。


 俺と織枷おりかせ校長の関係は更に説明しづらい。昔、とある一件を通して、レーヴィア高等魔導学校の校長という枠から外れたところで友好があったのだが、今に至っては……どう接していいものか、迷う時があるというか……。

 まあ複雑な関係では全然ないので、学校の立場だけでない知人ということで、故に気楽といえば気楽なのだが、さておいて――。


 安堵のなかに一粒の緊張を混ぜたような、不思議な静謐に満ちた廊下を歩み、その際奥に鎮座する扉をノックした。


「はーい。どうぞー」


 荘厳の満ちたその場に似つかわしくない、おっとりとした軽い調子の声が中から投げかけられた。


「失礼します」


 応えて扉を開けると、デスクでお茶を楽しんでいる最中だった彼女は、柔和な笑顔で迎えてくれた。

 それだけ聞くと優雅に思えるが……それは美麗とは程遠い、ある意味の優雅だった。


 さて。

 部屋の中はそれほど豪奢な造りではない。廊下のほうがずっと凝っていたぐらいだ。というよりも……荘厳然とした雰囲気をブチ壊す意味では、逆に凝っていると言えなくもないかもしれない。


 まず目を引くのが、表彰状や記念碑、トロフィーに銀の盾といった物が並ぶ見事な棚。――の上に置かれた、巨大な熊ちゃんぬいぐるみ。それが異様な存在感を放っている。その他にも、友人と撮った写真、近所の猫の写真、学校内で撮った生徒の写真などが、デスクに棚、ところ狭しと並べられている。


 本棚には書類や専門書よりも漫画が多く並べられて、今昔の人気連載シリーズが揃えられている。よく見れば部屋の片隅にはテレビゲームが置いてあった。やりたい放題か。


 雰囲気だけは静かな存在感を放つ、上品な漆黒の校長机にデンと乗せられたオジギソウフラワー(触ると躍り出すオモチャ)をツンツンやって遊びながら片手間お茶をしばいていた彼女は、穏やかな微笑みを浮かべて、校長机の前、ガラス張りテーブルをコの字で囲むソファーの、正面席を指し示してくれた。ちなみに、ガラステーブルには大量のお菓子が入った椀が置かれている。


「こんにちは、成志郎くん。今日はどんなご用かしら?」


【魔道のアリス】。

 世界三指に数えられる至高の魔導士であり、Ainsel階級ランク最高位【Luna】の所持者。


 桜色の髪を腰下まで伸ばした妙齢の女性。優秀な魔導士によく見られる特徴である、異様に若々しい容姿であり、二十代前半にしか見えない。しかしその表情には、幾数の経験を重ねた者にしか許されない、凪いだ海を思わせる落ち着きのある微笑びしょうが湛えられていた。


「お久しぶりです、校長先生」

「――え、ええ、お久しぶり。その様子だと、今日はご相談?」

「はい。少し込み入った話でして……。急に押しかけた立場で申し訳ないですが、これからお時間、よろしいでしょうか」

「う、うん。――――あ、あのね、成志郎くん」

「はい、なんでしょうか?」

「あの、気のせいかもなんだけれど……なんだか少し、きょ、距離がない……?」

「距離……?」

「あの、なんか、織枷校長呼びだし……、距離があるように感じて……ゆ、優撫さんでも、いいんですよ?」

「……ええ、まあ。真面目な話ですし、そのほうがいいかなと」


 こういう距離感が少し難しい人なんだよな。

 まあこうなったら思い切って、膝を崩して話し合ったほうがいいかもしれない。そうしようか。


「なんだか、随分と敏感デリケートなように感じましたが……何かあったので?」

「いえ、――ええ、その、実は。成志郎くん、相談に乗ってくれますか?」

「ええ、力になれることであればいいですが」


 俺が相談に乗るのか。


 織枷校長はしゅんと萎れて悩みを打ち明けた。


「律織が最近……、というか十歳くらいの頃からずっと、一緒に、お風呂に入ってくれなくなって……。そういうものなのかな、と思っていたんですが、最近聞いたところによると愛架は(級友の愛架あいかではなく、蜜凪の母親である風夜いぶきなみ 愛架あいかのほう)今も未だに、蜜凪ちゃんと一緒にお風呂に入っているっていうんです……。あの、距離取られてるのかなって。反抗期?」


 聞きたくなかったな。

 律織がこの場にいたら発狂してるよ。


 常識だったり、性分だったり、どうして飛び抜けた天才ってヤツは、どこかしらの螺子がブッ飛んで抜けていることが多いのだろう。世の中、そうやってバランスが取られているのだろうか。


「男はそんなもんです。気恥ずかしいとかそんなレベルじゃない、嫌だ」

「嫌だ!? き、厳しくしているところは厳しくしているから、親しくできるところは親しくしたくて……」

「では親しくしようとしている、そのところが間違っています」

「ぐぅ!? うぅ……」

「私のほうの相談を打ち明けても?」

「はい……」


 しょぼんと紅茶を口に含んだタイミングで、本題へ切り込んだ。


「律織から相談を持ちかけられていた、くだんの迷い妖精と遭遇しました。第一遭遇者は例によって蜜凪です」

「ブーーーーーッッ!!!!」


 紅茶が勢いよく噴霧ふんむして噴き出された。


 ガラステーブルに置かれた布巾を取って立ち上がり、桃色の瞳に涙を浮かせながら咳き込む彼女の背をさすった。


「昨晩のことでした。深夜○○時頃に私も散策へ出かけて――」


 紅茶が噴霧ふんむされた机を布巾で手早く拭きながら語る。


翼視力よくしりょく】の視界で蜜凪たちを見つけたこと、妖精との邂逅、くだんの迷い妖精だと断定した経緯、そして――。



 彼女が、「通常、誓いにより口にできないとある秘密」を明かしてくれた、と曖昧にそこを説明しようとした、――――その瞬間だった。



「――――――――ッ…………ッッ!?」

「――成志郎くんッ!」


 視界が死んだ。


 まるで肺が機能しなくなったかのように呼吸が止まった。吐き出そうとした言葉は途中でどこかへ消えた。水の中に沈んだ窒息とは違う、身体機能そのものが停止したような感覚。


 数秒で機能が再稼働し、奇妙な音を立てて呼吸が再開される。白んだ視界が晴れ、汗がどっと噴き出す。何が起こったのか僅かの間、分からなかった。


 校長に支えられていて、ソファーのほうに寝かせられたのだと気付くのには、長い時間がかかった。

 ……今のが、【妖精の制約】?


「……――大丈夫ですか?」

「フ、フフ……」


 思わず、笑みが漏れてしまった。

【妖精の制約】……これだけ大きな範囲で効力の及ぶ約束だったなんて。今、それを実際に体験した。


 秘密であることに言及すること自体が抵触条件なんだ。

 文献にまったく残らないはずだ。どういう理屈だ……? 精神魔法の類いに違いはないと思うが、もしかしたらもっと複雑な世界構築式の――。


「成志郎くん、戻ってきてください」


 ペチリと額を軽く叩かれ、ハッと意識を妄想から現実へ引き戻す。


「すみません、トんでました……」

「そのまま続きを聞かせてくださいな」


 ――ええと……、を知り得て、そして……、蜜凪が妖精の信用を勝ち取り、織枷校長の力を借り受けたく思い、現在に至る。


 フムと頷き、校長は膝枕した俺を見下ろした。


「もちろん、助力は惜しみませんが……しかし、その前に教えてください。成志郎くんは、どうして私を頼ろうと考えたのでしょうか?」

「それは、あなたが迷い妖精の解決法を持ち合わせている可能性が非常に高いからだ」


 出題のように問われたことに対し、そのことを指摘すると――織枷校長は、ニッコリと微笑んだ。


「理由を教えてください」

「妖精の知識について、俺たちが知れる程度のことは熟知していたはずの律織はしかし、迷い妖精の騒動にあたって、焦っちゃいなかった。私に頼ったのも、【固有因果律エゴスフィア】の視界で妖精を探索することが目論見のように思えた。そうじゃなければ、まず共に、妖精に関わる資料の捜索に当たるはず。もうすでに解決の鍵は取得していたんだ、そうだとすれば、優撫さん、あなたの存在がその鍵である可能性が一番高い」

「素晴らしい……! ハナマルをあげちゃいます!」


 言って、校長は俺の頬にハナマルを作った。


「ご明察の通り、私は【妖精の誓い】の秘密を知る者であり、迷い妖精騒動の、殺害以外の解決方法を知る者です」

「――――……先生は……!」

「そう、私は【妖精の誓い】の秘密を口にできる。それというのも、私が持つ力は、【妖精の誓い】の力よりも大きいのですよ。妖精が【シーヘン】を秘密の場所として隠す力よりも大きいということです。秘匿の力を凌駕している……つまり私は妖精よりも袁敏えんびんな感性で【妖精世界の窓シーヘン】を探り当て、その場所を明らかにすることができるんです」


 Ainselの階級ランク、上二つだけが星の名前であるのは、その二つだけ、持てる権力がケタ違いであるからだ。


 階級ランク【Luna】の取得者は全世界で五名しかいない。その権限は……一国の王にも並ぶ。


 どこか間抜けなように聞こえるが、荒唐無稽ではない。『全ての争いをその身に引き受ける』という名の由来の通り、もしあまねくの仕事を一手に仲介する機関が実在すれば、実績参照の階級ランク分け制度を採用している以上、必然としてそのレベルの権限を得る登録者の頂点月の如く高い者も出てくる。


 彼女は『魔導士の実績のみで』若くしてその地位を頂いた、人間の頂点に座する一人だ。


「校長先生、私たちを助けてくれますか?」

「成志郎くん、私が何と呼ばれているかご存知ですか?」

「【魔道のアリス】、【至高の精神魔導士】、【五人のLuna】」

「大事な呼び名が抜けていますよ。【魔道のアリス】、【至高の精神魔導士】、【五人のLuna】、そして、『校長先生』です。――当然です、全世界が敵であろうと、私はあなたたちの味方です。叱るときにはきちんと叱りましょう、しかし、あなた達が信念を賭して成し遂げようとする希望に手を貸さずして、レーヴィアの校長は名乗れません。――成志郎くん、私を頼ってくれたことが、校長として、とても嬉しいです」


 そして校長は、頼もしい笑顔で言ってくれた。


「私に任せてください!」


 ――よかった。

 万事、事良く運びそうだ。


 さて、そして。これで……、俺の役目は終わったか。


 そんなことを思った、その時だった。


「ただし、条件があります」

「条件……?」

「成志郎くん、あなたへの頼みです。私が【シーヘン】を探す間、妖精少女と一夜に一度、顔を合わせてほしいのです」

「は……俺!?」


 思わず、頓狂とんきょうな声が出た。


 頭を上げようとした俺の額をそっと押さえて、織枷校長は話を続けた。


「そう、その通り、成志郎くんに任せたい。今夜は特別として、明日以降からは、妖精との接触は、基本的に成志郎くんに一任します。正志郎くんの才能を持ってすれば、一人でも問題ないはずです」

「なぜ……? それこそ、こういう時は蜜凪の出番では?」

「成志郎くん、君も本当は分かっているはずです。妖精の少女から聞き及んでいるかもしれませんが、妖精は日が昇る間、『大きな存在感を持つ自然に紛れて姿を隠す』ことができます。しかし夜、特に草木も眠る丑三つ時は、ほとんど無防備です。あなたの才能があれば守りに足るし、それに分かるでしょう、妖精と接触する人数は少ないほうがいい。その役目を任せたいのです」

「…………」


 マジ……?

 俺が……? 嘘厳禁、常識で隔てられて関係性も探り探りな、ハイエンドのコミュニケーションを、連日の連夜……?


「この外郭世界に出て、昨日で何日であると妖精は言いましたか?」

「昨晩の時点で、『六つの日が地平に沈んだ』と言っていました」

「妖精の外見上の特徴を、もう一度、教えてください」

「神秘を織り交ぜたような、透き通る金色の髪、人間では体現できない整った容姿の子供、服は汚れを知らない薄水色の不思議な素材でした」

「――間違いない、金色こんじきの妖精種です。誠実を何より尊び、卑下と最悪、嘘を激しく嫌う、妖精種の中でも上位である高等種族。この世界に影響を与えうる存在です。では、【シーヘン】を探し出すまでに、ざっと七日の時間がかかるでしょう、それまで、お願いしたい」


 ――――無理だ、断れッッ!

 胸の奥底から声が木霊こだまする。全面的に同意だ、俺には無理だ、少なくとも蜜凪を付けなければ――……。


 …………。


 ……成り行きとはいえ。彼女に――リティエルリに、信頼できる人への相談を持ちかけたのは、ひいては解決までの道筋を約束したのは、この俺だ。


 俺が受けるのが筋だ。


「――分かりました。全力を尽くします」

「ありがとう! 成志郎くんなら、そう言ってくれると思っていました」


 どうなるかは本当に分からない。

 ただやることは明確だ。


 なんにせよ……もう理解した、未知との邂逅を《出会い》に変える時間からは逃げられないことを。


 何かが起こる……必ず起こるだろうそれが、せめて、致命にならないように細心の注意を払う、それが今回のミッション


 やり抜く。ただ、よしんば……七日という日が、早くに経ってほしい。




 ――そんなふうに、この時は思っていた。


 月明かりの下での、邂逅の日々。


 七日なんて経つなと、そんなふうに考える時がくるとは、露とも、思っていなかった。



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