月夜の下で踊る

「シィ・リティ■◆▲リロ■●■◆」

「ええ、と。シィ・リティフェフィ……あー……」

「全然違うわ! リ・■◆・▲・●・リ!」


 先程よりも聞き取れなかった。


 しばらく、妖精少女による名前の発音練習が続いた。

 だがそもそも扱う音が違う。辛うじて聞き取れる部分も、毎回違って聞こえる。発音の仕方というよりも、声の性質自体がまったく違うようだ。


 それでも彼女の名前を無理矢理、人間言語に置き換えるなら――。


「シィ・リティエルリロウエグ」

「……全然違うけれど、まあいいわ。ちゃんと呼んで頂戴ね」


 彼女は頬を膨らませながら、不機嫌そうに言った。


 俺たち三人は、月の光が落とす木陰の下に隠れるようにして、妖精の少女リティエルリを間にして並んで、草地に腰を降ろしていた。


「シィは称号よ。妖精の栄誉。リティエルリはお母様から貰った大切な名前。ロウエグはお父様の栄誉なのよ」

「ふぅん……?」


 興味深い話だった。もっと突っ込んで聞きたいが……その機会は今ではなかろう。


「リティエルリ、と呼んでいいでしょうか?」

「いいわ。それと、その他人行儀な言葉遣いはやめて。ねえ、私、人間言語にとても詳しいのよ! 精通しているの!」

「そ、そうみたいだな。うん、了解」


 本当に、ころころと表情がよく変わる子だった。妖精、か。

 淡い上品な薄水色に、豪奢な意匠が施されたワンピースの服は、外に座っていることが不自然なほど汚れを寄せ付けていない。神秘的な金色の髪、極めて美しい容姿と、独特な特徴を持つ発声、それ以外は、見た限り人間と変わらない。

 人間で言うと十歳を過ぎたほどの容姿だけれど、人間の常識が通じるとも思えない。下手に年下扱いはしないほうが賢明だろう。何が引き金になるのか、分からない。


「俺は識織 成志郎という名だ。皆はシキと呼んだりする」

「シキオリ セーシローね。……どうしてシキと呼ばれているの?」

「あ、あのね、リティエルリ」


 そこで突然、それまで会話を静観していた蜜凪が、慌てた様子で割って入ってきた。


 なんだ? ――何かか?


 蜜凪は一転、冷静を心掛けた声でリティエルリへ伝えた。


「それはさっき話した、私のレミって名前と同じ、愛称ってやつなの」

「――――なっ」


 それを聞いた途端、リティエルリは一瞬で顔を真っ赤にして――突然、とてつもない勢いで怒りはじめた。


「なにを考えているのッ! 貰った名前を、略したり、別の呼び方をしたりして! じ、自分で名乗るときすらそれを口にするなんてッ!」


 思わず身を竦めてしまうほどの激しい剣幕だった。


 その怒気に当てられて思わず硬直してしまったが、蜜凪は慌てふためくことなく、あくまで冷静な声色でリティエルリを宥めた。


「ごめんね、リティエルリ。でもさっきも言った通り、それが人間の常識なの。略したりした愛称だって、心からの親愛を込めて呼ぶの。大切な人の、大切な愛称だから」

「む……」


 リティエルリは黙り込み、目を瞑り思案し、やがてしゅんと視線を伏せた。


「そ、そうね。そうだったわね。ごめんなさい、そう、常識が違うのよね。悪かったわ……」


 彼女は落ち込んだ様子でしおらしく謝罪を口にしたが、次の瞬間には頬を膨らませて眉根を寄せていた。


「でも、私は嫌だわ、それ。あなたのことはセーシローと呼びたいわ。いいかしら?」

「うん、そう呼んで」


 なんでもないように頷いたが、内心、冷や汗を流す思いだった。


 本当になにが尊厳を踏み抜くなのか、分からない。言葉が通じるだけだ、探り探り、お互いに常識のところを擦り合わせていかないと、おそらく会話にならない。


 まあ、しかし……、それは人間相手でも同じことだ。


「リティエルリ、どうやらお互い、常識がまったく異なるようだから、お互いを尊重しながらそこを意識して会話したい。――人間はこういうとき、握手を交わす。妖精は?」

「――よ、妖精も、握手したりする、かも。は、はい、握手……!」


 まるで、――というかまんまその状況なのだが、未知との遭遇みたいにどこかぎこちない高揚をお互い抱いて、握手を交わした。


 さて、それにしても。

 チラと、隣向こうを見る。蜜凪は視線に気付くと、笑んでブイサインを掲げてみせた。ブイじゃないんだよ、ブイじゃ。


 さすがは、人類きってのトラブルホイホイ、たぶん妖精の少女と出会ったのは……まったくの偶然からだよな? 今更驚くところでもないが、思うところはある。律織が知ったら発狂するだろうな。


 だが、トラブルを無暗に引き寄せようが、なんだかんだでそれを何とかするのも蜜凪だ。俺が干渉したせいで何かが狂うという事態だけは避けたい……まずは状況確認か。


「まずは、お互いのことを知るための、お話しに興じたいけれど……その前に一つ、お願いしたいことがある。――リティエルリ、どうか、俺の言葉の言霊ことだまを聞き届けて。立場上、俺の存在が恐ろしく思うところもあると思う。それでも、俺の言葉の、奥の情感を聞き逃さないで。敵になるつもりは、ない」

「わ、分かったわ」


 真意は伝わっているはずだが、リティエルリの声は僅か、強張っていた。

 ……ここに来るまでに、相当、なにかあったな。


「じゃあ、まず、――蜜凪。蜜凪はどうやってリティエルリと出会ったんだ?」

「偶然だよ。今日のさっき、なんとなく夜の散歩に出かけてたら、ばったり出会って」

「あ、そう……」


 まあそうだろうな。


「なんか失礼なこと考えてない?」

「考えて……る」


 気付き、ぎりぎりで発言を訂正する。

 妖精にとって『嘘』は大きな咎。リティエルリの前では、冗談でも嘘はつかないほうがいいかもしれない。……綱渡りみたいな会話になるな。


 さてどうするか。


「……セーシロー?」


 リティエルリが不安そうな表情で私の瞳を覗き込んでくる。

 目的の妖精、騒動の原因? ――まずは、事実確認だな。


「すでに蜜凪と応答おうとうしている内容を、尋ねるかもしれないことを許してほしい。また答えられないことがあれば、沈黙していてほしい。俺に答えられないことはないとは思うが、それはお互いにそうしよう。――まずは、どうして外の……あー、ええと、専門用語で……――この、『外郭世界』へ?」

「…………」


 いきなり沈黙が挟まったが、リティエルリの朱色に染まった表情と、下に落ちた視線が、言いづらい意味を物語っていた。――迷い妖精には、好奇心旺盛な、子供が多い。


「オーケー。では、妖精世界へ帰還できない理由は明かせる?」

「そ、それが……」


 それを問うと、彼女はますます顔を赤くした。

 そして、情けなく恥じ入るような様子で、リティエルリは恐縮して、たどたどしく言った。


「その……、妖精世界の出入口ゲートである、【●■▲ン】を、…………み、見失ってしまったの……」

【●■▲ン】……【シーヘン】?


 見失った……。…………まさか、【シーヘン】は――。


「無いの。【●■▲ン】は、無くなってしまったの」


 悲痛なほど悲しげに言うリティエルリ。


「あのね、【●■▲ン】は固定じゃないの……。つまり、場所が時々によって移ろうということなの。それで、私、【●■▲ン】の移ろいに目を向けることを忘れてしまって……つ、つまり、その、今現在の【●■▲ン】の場所は、まったく分からないの……」


 自分の失態に身を縮こませるほど赤面するリティエルリを窺いながら、考える。

 迷い妖精の真実……? ならなぜこのことが、どの文献にも記されていなかった?


「わ、私はね、妖精の女王の子なのよ」

「女王の子……王女様?」

「そう、第五王女。【●■▲ン】が移ろうことは、妖精の秘密なの。【妖精の誓い】の力によって、誰も【●■▲ン】の秘密を明かせない。私は例外、王と女王、そして王女だけが、誓いの力に縛られていない。あなた達も、誰かに【●■▲ン】の秘密を明かすことはできないわ。物語にすら記せない。それが、【妖精の誓い】の力」



『妖精を元の世界に帰した例も、本当に数少ないけれど、確実に存在している。なのにどの文献にも、その詳細が記載されていない。不自然なほどだ。おそらく、文献に記載できない秘密があるのだと思う』



 ――――これが、迷い妖精の真実!


 場を弁えずに、思わず、高揚の情感が湧き上がった。物語にすら記せない、最大の秘密……! 俺はそれを知り得た、どの文献にも記されないその真実を。


 ……首を振る。気持ちは我の事ながら分かるが、そんな情感に浸るシュチュエーションではない。


「……その移ろった【シーヘン】を探すことはできないだろうか? リティエルリはその存在を認知できる、んだよね? 移ろいといっても、その付近に発生するとかであれば、俺たちは手を貸せる」

「ありがとう、でも……【●■▲ン】――【シーヘン】の移ろいは、一回で山を数座越えるわ。たとえ私でも、【シーヘン】の間近まで近付かなければ、その存在には気付けない……」


 ……なるほど。

 …………これは、俺たちの力だけでは解決不可能だな。とりあえずはこちらの情報を明かそうか。


「リティエルリ、蜜凪、聞いてほしい」


 それから二人に、いま俺たち、そしておそらく世間が解決に乗り出している妖精騒動について、俺が知り得ることを隠し事せずに、全て話した。


 妖精の出現に際し、Ainselより依頼が発行されたこと。

 その解決に今、俺たちは取り組んでいること。

 妖精の事実は、今のところはおそらく、Ainselでは【Double】以上にしか告示されていないこと。だがおそらく全体で見れば広く公表されていて、多くが解決に乗り出しているだろうこと。


 そして――妖精の殺害が、解決策の一つであること。


「…………」


 妖精の殺害という非情な脅威に、リティエルリは青ざめ、震えた。

 蜜凪はリティエルリの肩を優しく撫でて、俺に目を向けた。


「それで、どうしよう?」

「まずは事実確認。リティエルリ、繊細なところに触れるようだが……自身がこの世界に影響を与える存在であることは、知り得ていた?」

。けれど、私たちのもたらす影響度エフェクトについては深く学んだつもりであったから……こちらの人間種に、そのことを明かして相談持ちかければ、どうにかなると思っていたの……」


 ――なるほど。

 そういうことか。


「私は……、人間が言霊ことだまかいさないことを、で知り得ていなかった……。蜜凪と話すまで、気付きもしなくて……」


 会話が通じない。

 もしかしたらリティエルリは人間を、そのように恐ろしく思っていたかもしれない。だが人間は言葉の嘘を無条件で見抜けない、そして妖精の中には、卑劣と最悪を愛する種族もあると文献は語る。世界均衡の危険度と天秤に合わせれば……粗雑な手段に出ることもあるだろう。


 理知をもっての対策に、十分な自信を持っていたのだろう。

 だが自信を持っていた理論は、失念の理由があり実現しなかったのだ。


 故意ではない。


「…………。――織枷校長に相談しよう。それが最も可能性が望める選択だろう」


 おそらく蜜凪が導くだろう着地点と同じ回答を挙げる。

 こう考えると俺は、いてもいなくても、本当にどちらでもよかったな。


「今回の事情であれば、力になってくれるだろう」

「――ん、私もそれがいいと思う!」

「――――ま、待って!」


 不安と緊張をない交ぜにした表情で話を聞いていたリティエルリが、叫ぶようにして声を上げた。


「待って……! それは……私の存在を、他の人間にも伝えるってこと……?」


 不安がはち切れんばかりのリティエルリの剣幕に、蜜凪が柔らかな声をかける。


「やっぱり、不安だよね。でもねリティエルリ、私たちが相談する相手は絶対に信用できる――」

「だ、駄目よ! お願い、それだけは……!」


 ついにぽろぽろ涙を流し始めた彼女に、蜜凪は一旦、口を閉ざしてしまった。


 ――――人間に追われたこと。

 殺しにきていたこと。

 敵意を理解できない恐ろしさ……。


 理由を理解した今も、――人間に抱いてしまった恐怖が消えないこと。


 震えを押さえた静かな声で語られた、妖精の少女が、ここに辿り着くまでの物語。


「私の自業自得であることは分かった、けれど、どうしても……恐ろしく感じてしまって。ごめんなさい……、私のために考えてくれたのに……こんな有り様で」


 もしかしたら。

 人間への粗暴的な恐れだけではない、言霊ことだまかいさないという、コミュニケーションにおける未数値、その不透明に、彼女は恐れを抱いているのかもしれない。異国で言語が通じないなんてレベルじゃない困惑を、彼女は抱いている。


 まあ、――しかし、それこそ、こんな場面こそ、蜜凪の出番だろう。



「――――よっしゃッ、じゃあさ……踊ろうか! リティエルリっ!」



 こいつなら何とかする。


「へ?」


 立ち上がり、突然言い放った蜜凪を見上げて、リティエルリは呆けた表情を浮かべていた。


「言葉を交わすことには限界があるみたいだしさ、じゃあ他の方法で分かり合おう。ほらっ!」

「わ、わっ――!」


 優しくも力強く手を引いて、彼女を立ち上がらせて、そして――。


 二人、月の光の下で、ダンスを踊り始めた。


 手を取り合って。

 まるで、童話の中の光景みたいに――。


「いや何ぼーっと見てんの。シキも早く加わって」

「エっ、俺も!?」

「ほら早く!」

「ちょ、俺はダンスなんてできな……おわっ!」

「わっ」

「いえーい。イチ、ニッ、サン、イチ、ニッ、サン――」

「くっ、イチ、ニッ、サン、イチ、ニッ、サン――……!」

「…………」

「ふっ、そんな窮地みたいな顔して踊らんでもよくない?」

「ちょ――ちょっと黙れ……! ぐっ、あんまりペース早めんなよ――」

「――――フっ。ウフフ。ウフフフフ……。クスクス。アハハッ!」

「おお、妖精ってそんなふうに笑うんだね! ねっ、私の笑顔はどお?」

「素敵!」

「ほらシキ、アゲてけ」

「いま頭の中でカウント刻んでるから話しかけんな!」

「アハ、アハハハハハハハハ」


 どこか調子外れだけれど、綺麗な音色のような笑い声が、小高い丘に広がる。

 童話らしい光景ではないかもしれないが、今はそれどころではない。

 イチ、ニ、イチ、ニッ、サン――。お前いま足踏んだろ!


「リティエルリ、私たちを信じて。そして、私たちが心から信ずる人を信じて。――怖い? でも、その人はね、私たちとこうして迷いなく踊ってくれるだろう、そういう人なの」

「まあ、織枷校長はそうだろうな」

「私たちがそうして信頼を寄せる人! ふふ、リティエルリ――まだ怖い?」

「――――いいえ」


 そして、リティエルリはやっと、表情柔らかに笑んだ。


「恐れはないわ」


 蜜凪はなんだかんだで、引き寄せたトラブルを何とかする。

 まあ、周囲の連中(主に律織)に共犯フッ掛けることも多々あるんだけどな。それも、こいつの強さなのだろう。

 こいつの鼓舞を聞くと、なんとかなりそうだと、不思議と思えるんだよな。


 まあ思えるだけで、毎度、とんでもない苦労は相応に分かち合うのだが。――悪くない。


「やるか」

「やろうぜ! んで今はとりあえず踊ろう!」

「アハハハ!」


 組むべき思考も後回しに、今はひたすら、三人の奇妙なダンスに集中した。


 またとんでもない困難と直面したが、とりあえず、いま考えているのは――次会うまでに、ダンスの予習でもしておこうかな、ということだった。やって上手くできなければムキになるものだ。


 

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