邂逅

 ここらは田舎だ。

 レーヴィア高等魔導学校というスポットがある地域だが、それ以外には目立ったものは本当になにもない。一面の緑で、固い土や石で舗装された道すらも、レーヴィア付近に少しあるだけだ。賑わいを感じるには街へ出向く必要がある。


 確かに賑わいは少ないが、俺はこの景色が好きだった。こうして夜にでも外に出て、この空気を吸うたび、また少しだけこの土地が好きになる。


 空を見上げながら歩く。

 すると、藍色の大空を映し鏡にするようにして――地上の景色が一望して見下ろせる。



固有因果律エゴスフィア】。



 生まれながらに、あるいは希少ではあるが後天的に、その者の身に刻まれる、魔導の体現者たる才。

 発現条件は不明。遺伝、血統の線は薄いと見られる、天与の才。


 俺もそれを携わって生まれた。


 一つは【翼視力よくしりょく】と名付けられた、空を鏡のようにして地の景色を広く見下ろす【固有因果律エゴスフィア】。

 空が雲で閉ざされている日は能力が使えない、しかしデメリットはそれだけの、【固有因果律エゴスフィア】にしても希少な才能。


 ただし。

 生まれ持った【固有因果律エゴスフィア】はそれ一つではなかった。

 もう一つの才能は……役に立たないうえに、《生来、非人道的な拷問を受ける》という最悪の天与だった――。


「ん……?」


 しばらく歩き、大きな波を思わせる小高い丘が見えたところで足を止めた。


 誰かいる。


 目を細め、丘を。丘の上にぽつんと生えた、大きな木の下に、二つの人影が見える。生い茂る葉が作り出す闇の中に溶け込むようにして、並んで座っていた。


 真夜中でも明度十全にえる【翼視力よくしりょく】の視界で、二人のうち一人の姿を捉える。――夜風になびく、黒蜜のような黒髪。


「蜜凪か」


 もう一人のほうは……木の葉で遮られて、見えづらい。


 どうしようかと僅か悩んだが、夜中に出歩くにはワケがあるのかもしれないと思い、一応、声をかけることにした。愛架とかと女子トーク中とかだったら気まずいな。


 肉眼――通常の視界で直接確認できるところまで近づくと、もう一人の影が、子供のものだと分かる。背を丸め、膝を抱えて俯き座っている。時々、ぴくりと背を震わせている。……嗚咽を漏らしている?


 警戒心が働く――前に、声をかけてしまった。


「蜜凪」


 まだ距離のある位置から、驚かせないように声をかけた。のだが――。


 さして大きくもない、いたって普通の声色だった。しかしその声を聞いた二人は、まるで夜に現れる恐ろしい魔物に見つかったかのようにビクリと大きく体を震わせた。――遅ればせながら、ここで警戒心が働く。



 そして突然。

 幼い少女が跳ね上がるように立ち上がり、恐怖に支配されたような必至さでその場から駆け出そうとした。


 夜だというのに目に眩しいほどの、金色の髪を振り乱して。



「待ってッ!」


 夜を裂く叫び声を上げ、蜜凪が今まさに一歩を踏み出した少女の、両の足に飛び付いた。取り押さえられた少女はバランスを崩し、二人とも体を打ち付けるようにして地面に倒れ込む。


「待って! お願い!」

「――【】!」


 少女がそう叫んだ瞬間。

 しっかりと少女の両足を抱き止めていた、蜜凪の両腕が突然弾き飛ばされ、蜜凪は、まるで電撃をくらったかのように震え、その場に突っ伏してしまった。


「うごァッ! ――待ってッッ! お願い、リティエルリ!」


 蜜凪は苦痛の表情を浮かべながらも即座に起き上がり、走り去ろうとする少女に必至の声をかける。少女は制止を振り切り、駆け出した。


 ――――一瞬の出来事。

 混乱する間も無いほどの、寸刻の出来事。


 次々に巻き起こった不可思議な一連。――だがこの短時間で理解できたこともあった。



 ――。



 蜜凪――ッ!

 まさか……このたびコイツが引き寄せた、超ド級のアクシデントは――!!


 言葉だけで弾け飛んだ、あり得る話だ……蜜凪に任せておけば上手くいっただろう、俺が干渉したから事態変容を呈した――いや考えてもしかたない!


 ――――一瞬の間に、縷々るると流れる思考。

 刹那ののち今考えるべきことが端的に、頭の中で鳴り響くように意識される。



 妖精は言葉に込められた感情をかいする!

 故に感情の限りを込めてッッ!



 かけるべき言葉は――相手の容姿は子供、そしておそらく彼女は……ならば、最も影響力が期待できる言葉は――――。




「待ってくれ!」




 胸を掴み、、感情の限りを絞り出して少女へと叫び上げた。


 カガヤだかなんだか知らないが、今だけはお前の、お伽話的な誠実を……見習わせてくれ。頼む――……。



 ――――そして、はたして。

 少女の足が、ピタリと止まった。



 まるで、地に接着したかのように。


 続けて言葉を紡ぐ。彼女の次の行動を待つことなく、深々と少女に対し頭を下げて――、


「申し訳ない」


 心根に素直な、謝罪の言葉を口にした。


 蜜凪が、ぽかんと俺に目を向けているのが分かる。少女が未だそこに留まってくれていることも、気配で分かった。地面に顔を向けながら話す。


 大丈夫だ。

 唐突であろうと何であろうと、嘘さえつかなければ、


「私が、二人の邪魔をしてしまったこと、おそらく重大な局面での厄介者になってしまったことを、この通り……お詫びします。申し訳ない。そして、身勝手な話ですが、俺のことは忘れて……もう一度、彼女との会話を続けてくれませんか? 俺は去ります、絶対に、誰にもこのことを言いません。最初からいないものとして、このことはすぐに忘れます。約束致します、だから……」


 嘘をかいする、つまり言葉に込められた真意をも、ことごとく見抜くということになる。

 ただ、誠実に嘘なく心掛ければよいだけ、そのはず……。


 ――そして。

 しばらく静寂が続いたのち。


 少女が、ゆったりとした足取りで、こちらに近づいてくるのが分かった。――俺はそれでもなお頭を上げない。


「顔を上げて?」


 不思議な、辺りに木霊すような高い声だった。機械で変調させたような、この世のものとは思えない奇妙な……けれど、とても美しい声。


 恐る恐る、顔を上げる。


 少女は。

 その少女の容姿は。

 ただ整っているだけではない、顔を表す各パーツが恐ろしく繊細で、理想よりも肉付き完璧なものだった。特殊メイク、あるいは整形でも、こうはならない……。なにより、淡く輝く、透き通るような金の髪は、まるで神秘を織り合せたようで、この世のものとは思えなかった。


 蜜凪が持つ人間的な美しさとは根本的に別物の、眩い容姿。


 一目で、理解した。

 もう……疑いようもない。


「怖がらせてしまって……申し訳ないです」


 動揺を吹き飛ばし、再び謝罪を口にする。

 そんな俺を見て、少女は突然、クスクスと笑いだした。


「顔を上げてと言ったはずよ。もういいわ。それより、私の名前を聞いて? いいでしょ?」

「――ええ、もちろん」


 どこか調子外れな、不思議な喋り方だった。歌うように紡がれる言葉は、唐突であり、脈絡というものを感じさせない。


「あなたの名前は?」

「あなたが私の名前を聞いてどうするの! 私が言うのよ!」


 ――その上、どうにも微妙に会話が成り立たない。まるで、常識が違うかのように。


「聞かせてください」

「うん。――いい? 私の名前は、『シィ・●■▲■▲リ■●エ◆▼◆』よ」


 そして――彼女の名前は、ほとんど聞き取れなかった。

 聞いたこともない言葉という意味ではなく、のだ。


 なにもかもが未知の少女。


 そして彼女は、名乗りを上げたときの勝気な笑顔を一変させて、今度は瞳に涙さえ浮かべながらに、――悲しげに言った。


「この世界に迷い込んだ、金色こんじきの妖精よ」


 

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