妖精に関する記述
今回の面倒事に首を突っ込んだのは、俺にとっての有意義であったかもな。
そう思えるほど、『妖精に関する記述』は学問として興味深く、時間を忘れて読み耽ってしまった。
「……ふむ」
本当に良い本だ。分かりやすく、記述が深い。律織が語っていた天災を起こす種族や、妖精が住む世界のことも、余すことなく詳細に記述されていたように思う。
綴られた様々な妖精に関する記述、その中でも特に目を引いた項目が、三つ。
一つ、【妖精の矢尻】について。
『妖精の特性の一つに、【妖精の矢尻】がある。これは言霊を使った魔法であると考えられている。例えば妖精があなたに向かって「止まれ!」と叫ぼうものなら、あなたは瞬時に硬直してしまうだろう。あなたが“止まって”しまったのだ。また妖精は
恐ろしい話だった。
大別された魔法の一つ、精神魔法を使えば、人間も似たようなことはできなくもない。しかしそれには様々な条件が必須であり、しかも期待できる効力はせいぜい、僅かだけ認識を混濁させるといった、その程度だ。
妖精は言葉、それもたった一言だけで、相手を強力に縛ってしまう力を持っているらしい。もしこの記述が真実であれば……妖精との戦闘は、得策とは言えないだろう。
二つ目、【妖精の
『妖精は我々とは違う世界に住まう。妖精が暮らす世界を【ノウ】や【内側の世界】、その世界の入り口を【シーヘン】または【ブルー】と呼んだりする。我々の世界とはまったく異なるそこは、黄金の昼と、白銀の夜が存在するとされ、彼等はそこで――』
こういうの、たまらない。
誰がどうやって知り得たんだという知識、しかしそこに無限の想像を働かせる瞬間が醍醐味というか。分かるだろうか?
黄金の昼と、白銀の夜、いかにもって感じだけれど、さて真実はどうなのだろう?
そして――最後、【妖精の咎】の項目。
『妖精の最大の咎は、『嘘』である。妖精の嘘は人間で言えば殺人に値する咎であり、故に多くの妖精は決して嘘を吐くことがない。嘘を一度でも吐いた妖精は同族から蔑まれ――』
全ての記述の中で、この項目に一番の衝撃を受けた。
種族の違いというものに戦慄さえ覚える……。
『嘘』が『殺人』に値する咎?
人間の溢れるこの世界では、
なぜ、
そして、その三つのほかに、もう一つ。
これは「よく分からないから気になった項目」だった。
それは【妖精の取り変え子】についての一文。
『よく誤解されるが、【妖精の取り変え子】は妖精が人間の子と自分の子を取り変え、人間の子を攫うというものではない。魔法により人間に『私は
『この際、妖精は赤子の形をした身代わりを作り出す。それに人間の乳を摂取させ、あとでその身代わりを自身に取り込むのである。事が済めば、人間の子は危害を加えられることなく返される』
『自身の分身を作り出す魔法は妖精が使用する魔法の中でも高等なもので、この魔法を【妖精の取り変え子】と呼ぶこともあるが、一般的には己の存在を他人に刷り込む魔法を【妖精の取り変え子】と呼ぶ。自身の分身を作り出す魔法の原理は、妖精の魂は一つではないので、その内の一つを肉体から解離させ身代わりを作り出し――』
これが真実だとすれば、前後の文と矛盾する。
どういうことかは……先輩に聞いたほうが早いな。
「
「ひゃいっ!」
「すみません、妖精のことで少し質問したいことが」
「おお、いいよ。どうぞ!」
「【妖精の取り変え子】についての項目がよく分かりませんでした。疑問を挙げると……①妖精は頻繁にこちらの世界を訪れるということでしょうか? そして②、【妖精の取り変え子】は、妖精にとっての禁忌なのではないのですか? この二点が分からず、悩んでいます」
「うむ、それじゃあ①から答えていこう。――あくまで、私が文献から学んだ知識であるから、そこのところは留意しておいてね。さて、妖精は頻繁にこちらの世界を訪れるのかということだけど、昔はそうであったようだ、というのが答えだね。近年では人間の生活は高度に組織化されて、妖精が付け入る隙がなくなっちゃったんだね」
「……妖精の特徴の一つに、種族によっては、こちらの世界に存在するだけで天災を引き起こしてしまうという事情があったはずです。こちらに人間の乳を頂きに来る……、妖精はそのリスクを承知していたのでしょうか?」
「その疑問を晴らす前に、まずは②の質問に答えよう。②妖精にとって、まさに嘘そのものである【妖精の取り変え子】の魔法は禁忌なのではないか? ――答えはイエスでありノーでもある。つまり……その魔法を使えるからといって断固として使用しない妖精もいれば、何も気にせず使うような妖精もいる。妖精は様々な種に分かれていて、誠実を重んじる気高い種族もあれば、下卑と最悪を愛する、そんな種族まで確認されているようだ」
「――それが、先の質問の答えでもあるわけですか」
「その通り。妖精は、長期間こちらに存在しなければ天災を起こさない。けれど、気にせず長期間滞在する妖精もあるってことさ。一度の遠征で幾人もの人間から乳を頂戴するために。国を跨いでまで遠出したのに、旅先で栄養食一つ買ってお終い、なんて人間でも嫌でしょ? ――倫理が無ければ、人でもそれを実行する」
「……なるほど」
「そのような妖精が引き起こした惨状が、確かな形で文献を通して、現代にも伝えられている。故の警戒と、高度な組織化もあって、近年では妖精の引き起こす災害はほとんど確認されていないけれど……。――ただ、時々、本当にたまにだけれど、こちらの世界に侵入する妖精は存在する。迷い妖精として、確認されている」
「迷い妖精――」
どこかで聞いたその言葉を復唱する。そうだ、律織もそんな単語を口にしていた。
「妖精が暮らす世界【ノウ】。その世界の入り口【シーヘン】。ふらりと外に出たものの、【シーヘン】を見失ってしまった妖精。それが、迷い妖精」
迷いの妖精。
このたび、こちらの世界に訪れたのは……、迷っているのか、確固たる理由があるのか、どちらだ?
「迷い妖精は、フラリとこちらの世界に出てきてしまう事例がほとんどであるようだ」
「フラリと……どうして?」
「好奇心だろうねぇ。だから、迷い妖精には子供が多い」
「ふぅむ……」
ここまで突っ込んだ話をすれば、現在進行形で妖精騒動に関わっていることは、もう明かしたほうがいいな。
核心部分を誤魔化さず、質問した。
「迷い妖精における問題の解決策を教えてください」
「解決策は単純さ。どちらも簡単ではないけれど」
先輩はぽつりと呟いた。
瞼を閉じ、無表情で静かに俯いている。その表情だけで、想像の一つ、あまり心地良くはない解決策を確信する。
「どちらも、ということは」
「そう。解決策は二つある。一つ、妖精を元の世界へ返すこと」
平和な解決策。
できれば、こちらを選択したいものだが……。
「しかし、それはほぼ不可能だと言われている」
比代実先輩は、少し言い淀むようにした。
「それは、どうしてでしょう?」
「……分からない。それが、分からない」
まるで文献の限界を悔しむように、表情を歪める。
「『妖精にとって、自身の脳みそに魔法にかけられることは酷い侮辱行為であり、発狂して嫌がる。故に精神魔法で記憶を蘇らせることもできない』って説が、一番有力ではある。自分で自分の頭に魔法をかける行為も、彼等からしたら恥以外の何物でもない、とかなんとか。……まあ、納得はできる。けれど、根拠が薄いと私は考察する。どの文献であっても記述が曖昧すぎる、でも……私も調べるだけ調べて、調べ尽くしてみたけれど、その答えを導き出すことはできなかった」
比代実先輩でも分からないのであれば、頼り切りなようで情けないようだが、文献に類似した手段からその答えに辿り着くのは不可能だろう。
「妖精を元の世界に帰した例も、本当に数少ないけれど、確実に存在している。なのに、その詳細がどこにも発見できない。不自然なほどに。おそらく、文献に記載できない秘密があるのだと思う」
「秘密……」
「まあ、私には分からない。ごめんね」
「いえ。――お話の続きを聞かせてください、先輩」
「ん! さて、しかし……二つ目の手段は至極単純なんだ。きっとシキちゃんも予想できている……。――妖精の殺害、それが、単純にして確実な手段」
「妖精の親が、人間に復讐に来るという線はあり得ますか?」
「少なくとも文献を見ての過去の記録を参照すれば、その事例は一つとして無い」
「そうですか。…………」
律織がどちらの手段を選ぶかなんて、考えるまでもない。
しかし……。髪を掻いて、思いに耽る。
これ、俺たちが首を突っ込むようなことか? 動き出してるのは、確実に俺たちだけじゃないだろう。その道のプロフェッショナルが、二つの解決策、そのどちらの手段を選ぶかなんて、それもまた考えるまでもないことかもしれないけれど……。
律織はただ頼まれたからやってんだろうか……? それにしては、気の乗り方が必死だったな。どうにも、あのように動く動機としては薄いように感じる。
「……過去に、妖精に会ったとか言ってたな。そのことが関係してるのか? ……妖精って、どのような連中なんでしょう? 気高さを重んじる存在から卑下の底まで、様々存在しているのは聴きましたが、どうにもイメージが湧きません……」
曖昧なことを問うと、
そして立ち上がり、視線で付いてくるように促しながら、書架の迷宮へ歩き出した。
「それをイメージするための、ピッタリの資料があるよ。――――ハイ、これ!」
そして、しばらく歩いた先、入り口近くの……児童書の棚から取って、先輩が手渡してきたのは、一冊の、絵本であった。
「これが……?」
「そう。嘘か
「へぇ……!」
興味深く、表紙を柔く撫でる。
タイトルは――『誠実の王子様』。
床に座り、中身を開いた。そして――――。
「…………なんじゃこりゃ」
――この瞬間からだったのかもしれない。
このたびの騒動が、本当の意味で始まったのは。
そう、月の光と二つの影、隣にある、彼女の体温。
他の誰のものでもない……俺と彼女の、二人が見ていた物語。
フェアリータップと欠落の魔導士の童話が始まる。
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