図書館に住む妖精
レーヴィア高等魔導学校の図書館は巨大な迷宮のようなものだ。
明るく、清潔なイメージがあるのは入口付近まで。そこから先は、十歩も進めば、なんだか鬱蒼としてくる。
増築に増築を繰り返した構造は、絶対途中で投げやりになっただろ、としか思えない
巨大な書物集積施設、しかし大きくなり過ぎた……、気付いたときには遅かったらしい。一度、大々的な書物の整理と迷宮の改築が試みられたそうだけれど、あまりの書庫の多さに断念されたらしい。なんじゃそりゃ。
これでは図書館という蔵書施設の意味を失いかねないが、幸いなことに、ここには内部構造を熟知したエキスパートが住んでいた。
この大迷宮の中で目的の書物を探すにはどうすればよいか?
彼女に聞けばいい。
「
「ぅわひゃっ!」
迷宮内部で腰をおろし、分厚い蔵書を読んでいた彼女に声をかけると、ものすごい声を上げて、器用に後転するようにしてスッ転んでしまった。同じ本の虫なら分かるだろう、自分の身より蔵書の安否を何よりの第一に考えた、この天然スッ転び姿勢を見るだけで、彼女が相当の虫であることが知れる。
「読書中、失礼します。大丈夫ですか?」
「う、うあああ……? う、……う? あ、ああ――、人か……。――ごめんごめん、びっくりしちゃって」
彼女は恥じらうようにして立ち上がり、服を適当に叩いた後、こちらの顔を警戒するように窺った。
「……ん? ――あっ! 君の顔は見たことあるよ!」
「後輩の識織 成志郎です。
「ああ、そう、そう! その礼儀正しい口ぶり、シキちゃんだ!」
うんうんと頷く先輩。この人は基本、
「今日はどうしたの? あ、最近お風呂入ってないから臭ったらごめんね?」
「探してほしい本があります」
「いいよ! どんな本?」
「妖精に関する記述が記されたものを――童話ではなく、現実の妖精についての特徴を、正確に綴った蔵書を探しています」
「妖精ね。――んじゃあ、あれかな。こっち! 来てっ!」
思い出してもらえたら後は早い、先輩は快く請け負ってくれて、少し思案しただけで、ずんずんと迷宮内を歩き始めた。
緋色のカチューシャがよく映える、腰下まで伸ばした長い黒髪。冬物のセーターに、踝まで隠れたロングスカート。ちょこんと乗せた綺麗な丸眼鏡がとてもよく似合っている、溌剌とした性格の、一見すると普通の女性。
彼女は
彼女は、この図書館に住んでいる。
額縁に飾りたいくらいの、これぞまさしくというべき本の虫。入学してすぐにこの図書館の虜になった先輩は、在学中もずっと、この図書館で寝泊まりしていたらしい。
図書館で寝泊まりすることは在学中にも問題視されたらしいが、
「絶対出ていかねえええええええええええええええええええーーーーーーーーっ!」
頑としてその場を動かなかったそうである。
そして九年間の在籍を終え、この学校からの卒業を余儀無くされたときも。
「絶対に立ち退かねえええええええええええええええええええええええーーーーーーーーっ!」
頑としてその場を動かなかったそうだ。
しかし、彼女はその九年間のほとんどをこの大図書館で過ごしたことにより、この大図書館に関するあらゆる詳細な知識という、得難い輝く宝の知識を取得していた。
豊富という言葉では表現できないほどの知識量。
彼女自身が詳細な地図と言えるほどの、図書の把握。
ならば職員として雇ってしまったほうがいいだろうと判断され、司書としての仕事を持ちかけられたのだが……。
「絶対に働かねええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!」
これは酷いと思う。
というわけで、彼女はレーヴィアの教師でも職員でもなんでもなく、何故か図書館に住んでいる、名目だけで言えば部外者なのである。不思議な人だ。
「着いた。はいこれ!」
目的の棚へと到着し、背伸びして書架から抜き取った、一冊の本を渡される。
少し古く、程々に分厚い。タイトルは『妖精に関する記述』。
「まずはこれかな。それ一冊で事足りるほど、詳細に妖精についての様々が記されてるよ。タイトルもシンプルイズベストで、個人的にそこも高評価!」
「どうもです」
「んじゃ、私はここで本を読んでるよ。またなにかあれば声かけて!」
「一通り目を通したあと、いくつか質問をしたいんです。ここで、一緒に本を読んでもいいですか?」
「――……そうだね、そうだった、そういえば、そうして昨日も一緒に本を読んでいたね。いいよ! あっ……、たださ……最近お風呂入ってないから、さっき言ったように最近お風呂入ってないから、臭うかもだけど……! き、昨日もそうだったけどさ」
そんなこんなで、先輩から少し離れた冷たい床に座り、彼女と一緒に読書を始めた。
沢山の書に囲まれ、書の香りに包まれ、冷たい床に座り、ゆっくり本を読み進めていく。それはそれは、贅沢な時間だった。気持ちが、不思議と無限に落ち着く。
「……ああ、そうだったね」
しばらくして、先輩がぽつりと呟いた。
その呟きに顔を上げ先輩を見やると、先輩はなぜだか薄く微笑んでいた。
「君はそういう人だった。そんなことも忘れてしまうなんて、私は本当にパーだな……」
彼女は自分の呟きにうんうんと頷き、一人で何事かを納得していた。
「あの……?」
「うん?」
「いまのはどういう意味でしょう?」
「ふふふ。あなたは――私に、物おじせず話しかけられる、本の虫」
超巨大図書施設の、ほとんどの蔵書の詳細な内容を【知】としてストックできる彼女の超常的な頭脳は、もはや図書館に生きること一点への特化適応の進化を遂げているようだ。その影響で、それ以外の知識が曖昧になることがある。
だから今日のように自己紹介から始めることが通例になっているわけだが、先輩がこちらをどう思っているのか気にならないと言えば嘘だった。
本当に、本の虫の仲間だと思ってくれているのなら……、少しだけ、嬉しい。
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