3-11 聖女は再び聖獣の膝の上



 腕の力がゆるくなりロズを見つめると、ふわりと花の咲いた笑顔を見せてくれたと思った瞬間。


「——ベルデ殿」


 ひやりとした冷気を纏ったロズは、ゆっくりベルデさんに視線を流すと綺麗に笑う。ベルデさんは、その冷ややかな声色と視線だけで「ひっ!」と怯えるように身体を震わせた。


「次はありませんよ」

「わわわ、わかってる。本当に、す、すまなかった」


 ラピスに髪の毛を引っ張られたままのベルデさんは、顔を引きつらせて大きく何度も頷いている。ベルデさんが髪の毛が無くならないか心配になるくらい強く引っ張っているのに、それでも勝利草の入っている自分の鞄を大事そうに抱えている様子は、本当に宝物を持っているみたいで、嬉しくて感極まって抱きしめようとしたんだろうなと思う。


 ラピスにやめてあげて、と言おうと思った途端、ノワルに優しく話しかけられる。


「花恋様、そろそろ休憩にしようか」

「えっと、でも、……」

「だめだよ、花恋様。旅慣れない女の子なのに、昨日より随分ハイペースで歩いてきたから、無理はしないこと」


 ノワルはそれ以上なにも言わせず、私を木陰に連れていくと膝の上に座らせた。ベルデさんを含めた四人は、ちっとも疲れた様子がないので申し訳ない気持ちがあったけど、座ったら自分がすごく疲れていたのが分かった。

 ノワルに優しく頭を引き寄せられ、筋肉のしっかりついた胸に寄りかかると、髪を柔らかく梳き撫でてくれるのに目をつむって身を任せた。

 優しく揺り動かされる気配に、ん、と薄っすら目を開く。時間にしたらほんの数十分だと思うのだけど、うとうと眠っていたらしい。


「花恋様、ロズがおやつに、ちまき用意してくれたよ」

「あっ、お昼ごはんのちまきが余ってるの?」

「ああ、それは中華ちまき。これは、ちまきだよ」


 ノワルの手元を見てみると、笹の葉で巻かれた細長いなみだ型のちまきを持っていて、するすると紐を解き終わると差し出してくれる。受け取ろうと手を伸ばすと、ちまきは鯉のように空を泳いで口元にたどり着いた。


「えっと、……その、自分で食べれるよ?」

「うん」


 ノワルの膝の上で視線をしっかり合わせられる。とてもにっこり笑っていて、笑顔だけど引き下がってくれるつもりはなさそう。ほんの少し悩んだけど、目の前から笹の清々しい匂いが漂って来て、白いちまきは明るい緑の木漏れ日の中で艶やかに誘う。ぐう、とお腹の虫が誘惑にあっさり負けてしまい、その様子を見ていたノワルがくすくす笑う。


「えっと、……いただきます」

 

 慌ててお腹を押さえて小さな声でそう言うと、口を開けてぱくりとひと口食べさせてもらう。


「んんっ……!」

「どう、美味しい?」

「うん! すっごく美味しい」


 もちもちの甘いちまきをもうひと口食べる。ちらりと窺うようにノワルを見ると、目を細めて見つめられていて少し照れくさい。

 だけど、ロズの食べ物はやっぱり美味しくて、夢中になってぱくり、ぱくりと食べ進めてしまう。

 

「ちまきはね、柏餅よりも昔からあるお菓子なんだよ」

「そうなんだ! 私は子どもの日は柏餅食べてるよ」

「うん、関東は柏餅が根づいているよね。たつや様も柏餅を詰まらせないように気をつけて、食べているよ」


 そう言ったノワルの表情が、たっくんのことを懐かしそうに愛おしそうに目を細めていて、ほわんと温かい気持ちになった。それなのに、なぜだか口の中が甘いマーマレードジャムを食べた後みたいに、ほんの少しの苦味が舌の上で痺れている……。

 慌てて甘いちまきを口に運ぶと、ノワルに嬉しそうにくすくす笑われた。

 

「そうだよね、お餅だもんね!あれ、じゃあ関西はちまきを食べるの?」


 食べ終わって質問をすると、ノワルが温かな緑茶を竹の器に淹れて手渡してくれる。新緑みたいなさわやかな香りが立ち昇り、ゆっくり口に含むと温かな緑茶は疲れた身体に優しく沁み渡っていき、痺れは舌の上で溶けて消えていた。


「うん、ちまきは平安時代の都を中心に広まったから関西に根づいているんだよ」

「そうなんだ!」


 ノワルは、はらりと落ちた一房の髪を耳にかけてくれる。くすぐったくて、ん、と肩が揺れてしまうと、やっぱり楽しそうにくすくす笑っている。


「中国から端午の節句の風習と一緒にちまきが伝わって、それが日本では、ちがやの葉でもち米を巻いて作っていたから『ちがや巻き』と呼ばれていて、それが短縮されて『ちまき』と呼ばれるようになったんだよ」

「あっ、これ笹の葉じゃなくてちがやの葉っぱなの?」

「これは笹の葉だよ。今は笹の葉が多いかな。ちまきには魔除けの意味もあって、ちがやも笹の葉も、香りが強いから邪気を払うんだよ」

「いい香りがするもんね!」


 ちまきにも歴史があるんだなと感心して頷いた。


「花恋様、もうひとつ食べる?」

「うーん、お腹いっぱいかも……」


 ノワルの視線の先にあるお皿の上に、まだちまきが沢山乗っていた。

 私の隣には「おなかいっぱいなのー」とぽんぽこお腹のタヌキのラピスがいて、山盛りの葉っぱがお皿に乗っていた。

 でも、その割にはベルデさんもいるのに全然減っていないな、とベルデさんに顔を向けると正座をして、ロズにちまきをお預けにされていた。私の視線に気づいたノワルがロズに口を開いた。


「ロズ、もうそれくらいでベルデ殿を許してあげたら」

「どの口がそれを言うのですか? ノワルなんてベルデ殿を跡形もなく始末しようとしましたよね」

「ああ、まあね。ロズ、よく気づいたね」

「ええ。私も同じことをしようと思ったので」


 どこか楽しそうなノワルと、ノワルに向かい綺麗に口角を上げて頷き合うロズとノワルの物騒なやり取りに驚きすぎて固まってしまう。

 ベルデさんも「ひっ!」と小さく叫び、勝利草の入った鞄を抱きしめ震えている。


「カレン様、一度あることは二度あるかもしれないですし、やっぱり跡形もなく始末しましょう」

「ちょちょちょ、ちょっと待って! だ、だだだめ! め、めめっ! ちょ、ちょちょ、ちょっとロズもノワルも、お、落ち着こう!」


 完全に混乱して、落ち着きをなくした私の背中をノワルがあやすように撫でてくれた——。

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