3-10 聖女は冒険の旅に出る


 

 甘い唇が離れてもぽやりとノワルを見つめたままでいると、目を細めたノワルがくすくす笑いながら小鳥みたいに唇の先で、ちゅっと音のするキスをおでこやまぶたに何回も繰り返す。

 小鳥のくちばしみたいに尖った唇が軽く触れるとすぐに離れていく。何度も繰り返されるキスからノワルの愛おしさをいっぱい感じて、胸がきゅうきゅう甘く音を鳴らす。

 なんだかとってもノワルに触れたくて、手を伸ばすと絡めるようにつないでくれる。その仕草や体温に、また胸がきゅうきゅうと切なくなっていく。


「ん、かわいい」


 薄く目を開けたらノワルと目が合って、ちゅっと頬にキスされる。ノワルの髪が頬をくすぐって、笑みが溢れると自然と見つめ合って笑ってしまう。


「カレン様、そろそろ出発してもいいでしょうか?」

「ひゃあ……っ」


 びくっと肩を揺らしてしまう。

 ベルデさんと話し合いをしていたはずのロズとベルデさんが気づいたら近くにいて、心臓が飛び出るくらい驚いた。


「んん、かれんさまー、めっなのー」

「ごめん……」

「ラピスおいで」

「にいにーだっこなのー」


 大きな声を上げたらむにゃむにゃ天使がノワルにひょいと抱っこされて、去っていってしまった。さ、さみしい……。

 私はロズに腕を引かれ立ち上がり、どぎまぎしながら気になっていることを口にする。


「ロ、ロズ……えっと、いつから見ていたの?」

「そうですね。カレン様が口元を覆っていた手を外したあたりですかね」

「ひゃああ! それってほとんど全部ってことだよね……っ!」

「ずっと見ていたわけではありませんよ。こちらも色々話すことはありましたから」


 本当に? と期待をこめてベルデさんに視線を移すと、真っ赤な顔のベルデさんの視線が宙を彷徨っていてまったく目が合わない。

 ロズをじとりと睨むと、綺麗に口角を上げて艶やかに笑う。

 

「まったくカレン様は仕方がないですね。ベルデ殿には、きちんと結界の効果を説明しておきましたよ」

「あっ……」


 さっきベルデさんは早く好きな人のところに帰りたいって思っていたのに……。

 自分が情けなくて、ベルデさんやロズに申し訳なくて、目尻に涙がたまる。


「ベルデさん、ごめんなさい……。早く帰りたいの分かってたのに……」

「いやいや、いいんだ! カレン殿の持っている結界の魔道具の効果をロズ殿に聞いた! あと一年ならと思って、覚悟して彷徨いの森に入ったんだ。ロズ殿と話した様子だと、俺は村を出て、一ヶ月も経たないで勝利草を持って村に戻れる。——それならきっと間に合うはずだ」


 ベルデさんはニカッと大きく朗らかに笑う。


「だから、口づけのひとつやふたつしたって構わない」

「わあああ……っ! やっぱり見てたんじゃないですか!」


 真っ赤な顔で叫んだら、ラピスに「めっなのー」とまた叱られてしまった——。


 その後、すぐにマジックバックに全てを収納してベルデさんの村を目指して歩き始めた。

 ラピスは私の大声に目が覚めてしまったようで、今はベルデさんに肩車をしてもらいながら彷徨いの森を歩いている。ベルデさんは分かれ道の度に目印をつけていたらしく、目に眩しい青葉の中を迷うこともなく進んでいる。


「カレン殿、まもなく彷徨いの森を出るところだ。すべてカレン殿たちのお陰だ……。本当に本当に、なんとお礼を言ったらいいのか——ありがとう!」

「いえ、私はなんにもしてないですよ? 魔力池を見つけたのも、勝利草を教えてくれたのも、魔物を倒したのもノワルとロズとラピスだから、お礼なら三人に言って下さい」


 そう伝えたのに、ベルデさんにガシッと手を握られ、ぶんぶんと勢いよく上下に振る。目元に涙をうっすら浮かべたベルデさんが感極まったように、握っていた手を離し、私の身体を抱きしめようと腕を大きく広げてせまって来た。

 あまりに突然の出来事に、心臓が固まったみたいに驚いて声も出せないでいると、身体が引き寄せられ瑞々しい若葉の匂いが鼻を掠める。


「めっ! めーーーっ! かれんさまはぼくたちのなのー!」


 大きな声に視線を向けると、頭の上に座っていたラピスがベルデさんの緑色の髪をものすごい勢いで、ぐいっと引っ張っている。

 はっと慌てた様子でベルデさんの腕の動きが止まったのが分かり、ロズの腕の中でほっと安堵の息を吐いた。


「いや、その、悪かった。カレン殿、あまりに嬉しくてな。その、すまない……」

「めっなのー! かれんさまも、めっなのー」


 また天使に叱られてしまって、しゅんと落ち込んでいると、悩ましげなため息が聞こえてきた。


「……カレン様」

「ご、ごめんなさい……」


 ちゃんと謝るつもりが出てきた声は思ったより小さくて掠れていた。ロズに呆れられたと思うと、じわりと目に涙が浮かんで目の前の赤い色が滲んでいく。


 腕が腰に回され抱き寄せられると、ロズの匂いと体温に包まれる。

 細い指が頬をなぞりながら耳朶へ手を差し込まれ、ロズを見るようにうながされる。ロズの細い指が目尻の涙を優しく拭う。


「カレン様、こういうときはなんて言うのか、もうお忘れですか?」

「……ありがとう」


 どういたしまして、と艶のある声が耳に届くと同時にぎゅっと強く抱きしめられる。ロズが落ち着くように背中をさすり続けてくれて、その優しい手つきに愛おしさがこみ上げてくる。


「カレン様は隙だらけですね」

「……ごめんなさい」

「カレン様は目が離せないですね」

「……ごめんなさい」


 呆れた言葉なのに、ロズの声がすごく優しくて、愛おしいと言われているみたいに思えてしまい、おずおずと顔を上げると甘い赤色の瞳と目が合った。その瞬間、どきん、と胸が強く高鳴った。どきん、どきん、と心臓が大きく跳ね上がる音がする。

 ロズの大好きな赤い瞳をまっすぐに見つめる。


「うん、だから……ちゃんと見ててくれる?」


 そう言うと、ロズがきつく私を抱きしめて胸に押しつける。ロズの匂いにゆっくり力が抜けていく。


「カレン様は、本当に仕方ないですね」


 ロズの甘い柔らかな声が耳元に優しく届いた。

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