3-9 聖女は薬草の香りを嗅ぐ



 何度か深呼吸をして、にやけてしまう顔を落ち着かせる。ノワルに視線を向けると、こちらを見つめていたのか視線が絡むと、にこりと笑って小さく頷いてくれた。


 私の予想通り勝利草が葉菖蒲しょうぶあってほしいという気持ちと、もし勘違いでベルデさんを期待させてがっかりさせたくない気持ちが心の中でぐるぐるしていて、すぐに持っているよ、と言いだせなかった。


 だから、ノワルが肯定してくれたことで、やっぱりという気持ちと、ベルデさんに薬草を持っているよと伝えることが出来ると思うと嬉しくて、自分でも分かるくらい頬がゆるゆると緩んでしまう。


 ベルデさんのニカッと笑って喜ぶ顔が早く見たいという気持ちのまま笑顔で告げる。


「ベルデさんの探している勝利草、私たち持っています!」

「……っ!」


 ベルデさんが息を呑んだのが分かった。

 横に座るノワルが、私の言葉を聞いて吹き流しマジックバックの中にある葉菖蒲しょうぶをひと束取り出した途端に、なんとも言えないゆったりした神秘的な香りが辺りに漂う。


 ベルデさんが言葉を失ったみたいに、目を見開いていて、それでもノワルの取り出す葉菖蒲しょうぶに目は釘づけになっている。

 ノワルは取り出し終えると、ベルデさんに葉菖蒲しょうぶを差し出しながら話しかける。


「ベルデ殿がお探しの薬草だと思います。実は昨日、先ほどの話に出ていた勝利草が生える魔力池を見つけたので、なにかの役に立つと思って花恋様が採っていたのですよ。どうぞ、ご確認下さい」


 震える手でベルデさんが受け取ると、葉菖蒲しょうぶを触り、匂いを嗅いでいく。

 その手つきはとても丁寧で慎重で、それはもうまるで宝物を大事に抱えるみたいだった。小さな声でなにかを呟くベルデさんにロズが話しかけている。大きく頷くベルデさんの目には涙が浮かんでいて、もらい泣きしてしまいそうで、そっと視線を外した。


 ほわんと温かい気持ちでいるとノワルの手が視界に入って来て、ラピスの頭にぽんっと置かれる。くしゃくしゃと優しく撫でていく。


「花恋様、ラピス重たいなら預かろうか?」

「ううん。よく寝てるし、かわいいからこのままでいいよ」

「そう、わかった。じゃあ出発する時に抱っこするよ」


 ノワルがもう一度くしゃくしゃとラピスの頭を撫でると、ふにゃりとラピスの口元が緩む様子に胸がきゅんとする。


「ねえねえノワル、すごい偶然だったね」

「うん、そうだね。本当に信じられないような偶然・・だね」

「うん?  もしかして知ってたの?」


 ノワルが意味ありそうに言うので、もしかしてノワルはベルデさんの探していた薬草を知っていたのだろうかと思い、聞いてみる。


「うん。葉菖蒲しょうぶが、この世界で万病に効く薬草なのは知っていたよ。おそらくベルデ殿が探している薬草だろうな、とは思っていたけど確信はなかったから話を聞いてたんだよ」

「そうなんだ」

「黙ってて、ごめんね」

「ううん。間違ってたら、ベルデさんをがっかりさせちゃうもんね」


 仕方ないよと思ってノワルを見ると、柔らかな眼差しに見つめられる。


「それもあるんだけどね。花恋様が一生懸命でかわいかったから言いそびれちゃったんだ」


 両手で私の頬を包みながらそう言うノワルは微笑んでいて、頬がほんのり赤らむのが分かる。

 そのまま素早くおでこにキスを落とされる。今度はあっという間に、耳まで痛くなるくらいに熱を持つ。

 頬を包み込まれた顔にノワルの顔が近づいてくるので、慌ててラピスを支えていない片手で口元を覆って、だめだよと伝えるように首を横にぶんぶん振る。


(ベルデさんは早く好きな人のところに戻りたいと思うからだめだよ……)


「ああ、ベルデ殿ならロズとこれからのことを話し合ってるみたいだよ」


 ノワルは私の考えていることが分かるみたいに、くすくす笑う。

 二人に視線を向けると、こちらに背を向けて森を指差してあれこれ話しているみたいだった。


「見られるのが嫌だと思ってたんだけど。それとも、俺とキスするの嫌?」


 ノワルは困ったみたいに、少し肩をすくめる

 こういう言い方はずるいと思う。断る理由がなくなってしまった。更に捨てられた鯉みたいに哀しそうに眉を下げるノワルを見ると心臓がきゅうっと音を鳴らす。

 

「ううん、嫌じゃない……」


 小さく呟くと、ノワルの表情が明るくなり、にっこりと微笑んだ。


「なら、手をどけてくれる?」


 ほんの少しだけと思いながら、おずおずと頷いて、赤い顔を見せる。

 愛おしそうに目を細めるノワルと目が合うと、胸のときめきが止まらなくなってしまう。きゅうって締めつけられる甘くて苦しくて、切ない気持ちになるのをこれ以上見られないように、きゅっと瞳を閉じる。

 ノワルが柔らかい笑い声を漏らした。


「ああ、もう……。本当にかわいいね」


 愛おしさを伝えるようにゆっくり押し当てられた唇は、ノワルの体温を感じるとっても甘い甘いキス。

 小指もぽわわんと煌めいていた——。

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