第42話 姫、その気持ち(変わらずに……)
先の見えない闇の向こうから聞こえてくる。
「おまえはあの時に死んでおけば良かった」
もはや母は娘の名前さえ呼ばない。
死期を目前にして、精神失調をきたしている。そう思うことにした。そう思わなければやりきれなかった。
「あの時に生き残ったばかりに、王に捨てられ、こんなみじめな目になったわ」
弱っていなければ、荒げる声を抑え切れなかっただろう。
それは貴女がした判断でしょう。弱った身体では王妃としての体裁が保てないからと自ら申し出たじゃない。お父様は翻意するよう何度も訴えていた。名ばかりでもいいではないか、気にせず正妃に就いていればいい。
結局のところ母は格好をつけたかったのだ。
自分のイメージに固執し、立場を降りた際は気分が良かっただろう。巷では内助の功として好意的に噂された。直接に尊敬の念を述べてくる者さえいた。
けれども人の噂は七十五日とする。
しばらくすれば前王妃の立派とした行いも人々の会話から消えてゆく。隠遁生活にいつまでも注目などしておけない。当然であった。
母は立派な行いをした者をいつまでも忘れないでいてくれる。そう信じていたかったようだ。
叶えられなかった原因を娘に求めてきた。
出自が木こりとする下賎な男に入れ揚げているせいだ。殺戮しか能がない野蛮人に興味を持つなど王族の血筋にありながら、なんということか。王女とするには、はしたなすぎる。
おまえは、あの時に、わたしと、死んでいれば、よかった。
呪詛のような言葉を浴びせ続けられても、いつかあの人の元へとする気持ちを支えにしてきた。
侍女としてやってきてくれたツバキの励ましもあったから耐えられた。
でももうそのツバキはいない。
ついに、というか、自分のせいで逝ってしまった。
やはり生まれてきてはいけなかったのだろうか? 存在が罪なのだろうか。
それとも母が死んで、ほっとした罰なのだろうか?
けれど短い期間とはいえ一緒に暮らせた日々は夢のようだった。一緒に食事をしたり、まさか家事を手伝ってくれたり、護衛のニンジャと仲良くなるなんて。びっくりされられ通しだ。
本当は不安だった。
長き月日も経てば、人は変わる。
命懸けで救ってもらったことで、過剰なイメージ昇華をしているかもしれない。
実際は自分が思い描く人柄から遠く離れてしまっていたら?。
母の言う通りだったら、どうしよう。
もしそうだったら立ち直れない。
……そんなふうに考えた自分が恥ずかしくなった。
実際にあの方と出会えば、ちっとも変わっていない。
まさしく猪突猛進のまま人の前に立てる、我れ先に助けようと動く。
強く優しいままだった。
較べて自分はいびつだ。こっちこそ彼に相応しくない。
ああ、そうだ。もう夢は叶っている。いつ終わってもいい命が、恋していた人のために少しは役立てた。
もう待っていた終着点が訪れてもいい。
ずっと思い描いていた彼との生活はもう叶えた……。
「ダンスを教えてもらってもいいだろうか」
ふと耳に甦った声が忘れていた感情を湧き上がらせる。
もしかして、とても重大な見落としを、勘違いをしていないか。
押し寄せる後悔で胸がざわつく。
自分がいなくなったら、あの人はどういう気持ちになるか。
想像がつく。そう、わかる。
無性に会いたい、会えずとも……。
せめてもう一度だけ声を……。
「プリムラ!」
はっと目が見開いた。
「はいっ」と反射的に応えている目前を過ぎていく。
剣と呼ぶにはあまり分厚い刃が、プリムラの頭上を通り越す。
風圧に黄金の髪が流されていく。
間近にあったはずの傭兵が消えた。
剣を振り降ろしかけた体勢のまま上下に分かれていた。二つの肉塊となって地面へ転げ落ちていっている。
「諦めるな、プリムラ。俺のために、その命を!」
傭兵なのか暗殺者なのか不明だ。が、敵には違いない裏切りの騎兵は周りを取り囲んでいる。
馬上のプリムラを守る者は一人だ。それでも勝機の風は吹く位置を変えている。
守護のため立ち塞がる巨漢の婚約者は、今まさに闘神そのものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます