第31話 姫、決意を述べる(相手は元婚約者)

 エルフによって使役された虎の襲撃による後始末は手間取った。

 殺害された人々だけではない。

 血と肉塊の惨状に未だ意識を取り戻せない者に、目が醒めても腰が抜けて動けない例もある。プリムラにちょっかいを出そうとしたウイン皇弟や元婚約者であるダリア嬢は後者に当たった。


 もっとも平然としていれられる連中はユリウスの周辺くらいだ。

 戦場を駆け巡る騎兵なれば当然だが、プリムラとツバキの女性両名も普段と変わらない。侍女はニンジャとする裏の顔があればわからなくもないが、世俗と無縁であるはずの王女も多数の屍を前に臆するところがない。

 今また笑顔で大広間から出ようとしていた。


 王女様、と声がかけられた。


 プリムラは振り向けば、表情に得心の笑みが広がる。


「オークリッジ男爵ご息女のエリカ嬢ではございませんか。今晩の舞踏会にご出席なさっていたのですね。大丈夫ですか、お顔の色が悪いようにお見受けしますが」


 惨状に対するプリムラの耐性が特別であって、青ざめたエリカ嬢のほうが普通だろう。むしろこうして立って歩いてきただけ気丈と言えた。顔色が悪くても会話をする声は震えていない。


「王女様は私をご存じなのですか。ご挨拶はまだだったはずですけど」

「ご挨拶などしていなくても、ユリウスさまの元婚約者ですもの。存じ申し上げていて当然です」


 答えるプリムラは相変わらず笑顔を崩さない。


 横で聞いているだけなのになぜか緊張を覚えるヨシツネだ。ふとアルフォンスと顔が合えば同様の心持ちにあるらしいことが知れる。


 鉄面皮の侍女へ、プリムラが命じる。


「ツバキ。エリカ様へお水を持ってきて差し上げて。だいぶ気分が悪そうだから」


 気遣っているはずなのに、どこか棘を感じずにいられない四天してんの二人だ。


 大丈夫です、と遠慮したエリカ嬢は真っ直ぐ現在の婚約者へ視線を向ける。ショックで体調が優れずとも意志の強さを感じさせてくる。

 なんでしょうか、とプリムラも心配するより受け答えの態勢へ舵を切る。


「王女様は本当に怖ろしくないのですか」


 エリカ嬢が質問ではなく確認をしてきた。

 即答しないはプリムラである。少し小首を傾げてから口を開く。


「エリカ様は何に怖れているのでしょうか」

「それはもちろん……」


 言いかけて閉じたエリカ嬢は目を落とす。緋い飛沫が床に染みを作っていた。

 次の発言はプリムラが引き取った。


「わたくしはユリウスさまと共に過ごすようになってからは、怖れが消えています。むしろ心強く感じるようになったくらいです」

「最初はそう思うでしょう。私だってユリウスに凄く頼り甲斐を感じていましたよ。だけどだけど……」


 消え入る声にも、プリムラの微笑は変わらない。


「だけど、どうかしましたか?」


 無邪気な口調が却って厳しさを感じさせる。断固として黙秘は許さない冷たささえ持ち合わせているようだ。

 上げたエリカ嬢の顔には怯えが走っていた。 


「あんな怪物みたいな虎をいともたやすく斬り殺せるユリウスは、とても同じ人間のように思えなくて……」

「虎は怪物ではありませんよ、ただの野獣です。強靭を極めた人間であれば倒せる相手です」

「そうなのですけど……」


 エリカ嬢は煮え切らない。口にするには憚られる内容を抑えているかのように察せられた。

 ならば角が立たないよう侍女が進言した。


「姫様。今晩はいろいろあってお疲れでしょう。お話しはまたの機会にしていただいてはいかがでしょうか」


 ようやくエリカ嬢は思い切ったように口を開いた。どうしても今、伝えたいらしい。


「ユリウスは強い、確かに強いかもしれません。けれどもその強さゆえに戦いへ身を投じます。そしていつかユリウスより強い者が現れるかもしれません。いえ強い相手が出てこなくても、常に戦場にあれば、明日にでも命を失うかもしれないのですよ」


 これに反応した者はツバキだった。


「姫様。どうやらオークリッジ男爵ご息女はやや錯乱なさっているかのようにお見受けします。婚約者がいつ死ぬかわからないなどと当事者に向かって申すようであれば、もうお引き取り願ったほうがよろしいかと存じます」


 怒ってるなぁ〜が、成り行きを見守っているヨシツネの声にしない呟きである。


「いいのよ、ツバキ。これもエリカ嬢のお心遣いなのだから」


 プリムラはかばうだけではない。ですよね、と確認の言葉まで付け加えて、にっこり笑う。


 なぜかエリカ嬢は笑みを返すどころか返事すら出来ない。むしろ血の気が一段と引いていく。エリカ様、とプリムラに呼ばれてやっと「はい」と発せた。


「貴女はユリウスさまが戦場へ出られるたびに心配しなければならないことが耐えられなくなったわけですか」

「そう、そうなのです。こんな殺し合いをしているユリウスだから、いつ戦死するかわかりません。でも彼はそんな生き方しか出来ない。そんな男が生涯を全うできるとは思えないのです。王女様はそう考えたりはしないのですか」


 第三者のヨシツネには、エリカ嬢がどんな思惑で現在の婚約者へ話しかけてきたか、わからない。ただし破談を勧めているような雰囲気を感じている。自分が不可能とした事柄を他に引き受けられては面目が立たない、と考えたか。はたまた余計なお節介をかきたくなったか。深窓の貴族令嬢であれば、知る人物が血飛沫も気にせず首ごとを飛ばしている場面はかなりな衝撃だっただろう。

 ユリウスは明らかに規格外な戦士である。住む世界が違えば、尚のこと。もはや人間とさえ見られない。むしろよく貴族の令嬢と三度も婚約できたな、と今さら思う。

 そして現在の婚約者は、王の血筋とくる。第八であろうとも正真正銘の姫様とくる。


「わたくしは決めていることがあります」 


 そう前置きしてプリムラは微笑みを消さないまま答えた。


「ユリウスさまが落命したら、わたくしも人生を終える時です。それは初めてお会いしたあの日のあの時、決めたことでもあります」


 エリカ嬢から返事はおろか何の反応も上がらなかった。


 ※※※ ※※※ ※※※ ※※※ ※※※


 以上の顛末を翌日にヨシツネはユリウスへ聞かせた。

 大袈裟に感動するか、それとも後追いの死など承服できないと騒ぐか。


 どちらの予想にも当たらなかった。


 話しを聞き終わったユリウスは腕を組み、実直そのものとする顔で考え込んでいた。

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