第28話 姫、窮地に陥る(相手は人外)
感謝を述べるプリムラは喜びで輝くかのようだった。
一方ダリア嬢にすれば心からの言葉だけに腹立たしい。悪態しか出てこなそうな口を開きかける。開けば確実に評判を落としたであろう。
思いもしない事態によって恥の上塗りは避けられた。ただ幸いとするには起こった出来事があまりに凄惨すぎた。
不意にテラスにつながる窓硝子が砕けた。
驚きは、たちまちにして悲鳴へ変わっていく。
出現したそれだけで恐怖をばらまく。
宮廷に招かれるはずもない客は、四肢で立つ野獣だった。
成人男性の三倍以上はある大きさで、黄と黒の横縞が表皮を覆う。
巨大な虎だった。
しかも一匹に続いて、次も飛び込んでくる。
行動は素早く、広間に入るなり牙と爪をもって襲撃を開始した。
二匹の虎は手当たり次第に容赦なく次々血祭りにしていく。
獲物は広間で着飾って踊っていた貴族の子弟たちだ。
華やかな舞踏会は阿鼻叫喚の地獄絵図へ描き換えられていった。
ダンスに参加していた貴族の中で唯一と言える、勇戦の騎兵イザークは足がすくむなどしない。第一にしなければいけない行動へ移る。
急いでプリムラの近くまでへ駆け寄った。
「王女、早く逃げてください」
はい、と素直な返事をした相手の手を取る暇はなかった。
気配を察してイザークは振り返る。
ぶち破られた窓から自分と王女がいる間に立つ者はいない。
血を流して息絶えている人間だけだ。
まるでお膳立てされたかのような光景へ、新たなる闖入者があった。
それは三匹目だった。
黄と黒の横縞模様は先の二匹と同様だが、大きさが違う。
こちらは成人男性の五人分といったところか。
吼えれば、覗く牙からして前の虎と迫力が段違いだ。
宮廷の警備兵が駆けつけた。だが一眼するなり怖気づいていた。
宮廷内へ詰める、戦場へは出ない役職である。いざこざや不審者を取り締まるが精一杯である。圧倒的な危険を前にすれば、我が身を第一にする貴族連中と変わらない。役に立たないどころか、職場放棄の風情を見せていた。
先発の二匹が着飾る今晩の出席者を爪で抉る場面に腰砕けで眺めるだけだ。
真打ちかと思しき三匹目が走り出せば、逃亡する警備兵さえも現れた。
イザークは一人で立ち向かうしかなかった。
こちらへ向かってくれば、咄嗟に近くのテーブルを掴んだ。
線が細いイザークは柔に見られがちだが、すらりとした長身が与える誤解である。ユリウスやアルフォンスが人外の怪力を誇るため過小評価されるだけで、第十三騎兵団内において五指の腕力を持つ。
軽々と長机を右手で掲げれば、襲いかかってくる虎の鼻面へ目掛けて投げる。ちょうどよく口を開けたタイミングで突き立てられた。
これなら倒すまでいかなくても退かせるくらいのダメージを与えられた、としたイザークの見立ては甘かった。
大虎は長机を噛んだ。咥える格好となれば、すぐさまに首を横に振る。
持つ手を離す暇を与えない素早さに、イザークは長机もろとも吹っ飛ぶ。
壁へしたたかに背を打ちつけられれば、すぐには立てそうもない。
王女……、と焦りを吐きだすだけだ。
グルル、と大虎が唸る。
ゆっくりプリムラは後ずさる。怖ろしい猛獣に対しても顔を背けない。悲鳴も上げず、冷静な態度は崩さない。
だが窮地へ陥っているには違いない。
他の二匹が大広間で無秩序に暴れるなか、大虎は獲物を見定める。
ふっとプリムラが脱力したような姿を見せた。
それを合図としたかのように、黄と黒の横縞をした巨体が宙を舞う。
獣特有の口臭を放つ、牙を覗かせた瞬間だった。
大虎の首へ一閃が走った。
血飛沫を凄まじく噴き立たせながら、切り離された黄と黒の胴が落ちていく。
ごろり、床へ口を開いた大虎の首が転がってゆく。
ユリウスさま、とプリムラが叫んだ。
「大丈夫か、王女!」
ユリウスは呼んだ相手の前へ立ち塞がった。プリムラを背にして前方を見据えている。
残る虎のうち一匹が早くも襲いかかってきた。
正面から向かってくれば、ユリウスは待った。プリムラとの距離は開けたくない。ならば引き付けるだけ引き付ける。
目前に迫ったタイミングで斬り上げた。
鮮血ほとばしる虎の顔は下から右斜めの形で、ざっくり破られる。
勢い余って体当たりしてくる四肢の身体をユリウスは蹴り飛ばした。
残る一匹の方角へ。
最後の虎は気を取られた。獣でも降って湧いた同種の肉塊に無反応は決められない。ある貴族令嬢へ、今にも突き立てようとしていた爪が止まる。
ユリウスからすれば助けに入れる隙が生まれた。
他の虎はいない。
その体格でどうやってと思わせる素早さで駆けつける。
突き出された大剣の切っ先が虎の首へ喰い込む。貫けば、そのまま持ち上げた。
串刺しにした虎を頭上へ掲げては、振り下ろす。
大剣から抜けた黄と黒の横縞で彩られた身体は大広間の隅まで転がっていく。四肢を痙攣させ、断末魔すら洩らせず息絶えていった。
舞踏会を襲撃した虎たちは鎮圧された。
たった一人の働きによって。
闘神の名を誇る漢が圧倒してみせた。
状況を確認したユリウスは振り返る。
「怪我はないか、ダリア」
失禁していたかもしれない三番目の元婚約者だ。返事も出来ず震えている。
「やっつけたから、もう心配するな。怖かっただろう、大変だったな」
優雅とは程遠くても差し出された無骨な手を、「……ありがと」とダリアは取りかけた。
「ユリウスさまー、わたくしもー、こわかったですぅー」
どんっとユリウスの横腹へ抱きつくプリムラだ。
もちろん闘神と噂されるほどの肉体は微塵も揺らがない。
だがダリア嬢の手が取られることはなかった。
「いかんぞ、王女。ドレスが血で汚れてしまう」
大量の返り血を浴びているユリウスだ。騎士の位にある者が舞踏会用に着用する服装も、今や戦い直後で血塗られている。
プリムラは抱きつくまま声を弾ませてくる。
「やっぱりユリウスさまはわたくしが危険になると来てくださいます。そして血だらけになって戦うお姿には、もぉおお素敵すぎて、わたくしは……あいたっ!」
ぽかり、黄金の髪が揺らめくほど後頭部が小突かれた。なにすんのよー、ツバキ! とプリムラはようやくユリウスから離れて後ろを向く。
つい先まで忍び装束を着ていたなど微塵も想像させないメイド服姿で立っていた。
「興奮しすぎは、はしたのうございます。本性はご結婚後にお見せするよう、姫様には常日頃からご注意申し上げているはずですが」
「ちょちょちょっと、やめてよ、じゃなくてやめてください。ユリウスさまに誤解されてしまいます」
慌ててプリムラが口振りを取り繕っている。
はっはっは、とユリウスはまるで気にしていない。それより、そっとツバキへ囁く。
「それにしても着替えの早さは見事なものだな」
「私が侍女としてお仕えするうえで、正体は隠したままが宜しいように思われるので」
たいしたものだ、とユリウスは感心した次の瞬間だ。
誰だ! と厳しい声を、テラスにつながる砕けた窓へ放った。
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