第27話 姫、その振る舞い(四天の槍も驚く)2
一瞬、何が起こったか。
大広間に集う者はわからないというより理解が追いつかない。相手はこの国で二番目の地位にあり、いつなんぞや皇帝に就くかもしれないお方だ。大陸最大の版図を誇るロマニア帝国であれば抱く権勢は絶大である。情勢が不明なハナナ王国でもさすがに帝国を凌ぐほどの国力があるとは考え難い。
「なにを為さるの。皇弟殿下を叩くなど、王女とはいえ、狼藉を働くも甚だしい限りですわ!」
イザークは一悶着の予想していたが、ヒステリックに糾弾してきた者も認めたらため息が出そうになった。
マリシュエール伯爵息女のダリア嬢。我が帝国の皇弟殿下に対する無礼を咎めるにしても、つい先日ユリウスへ婚約を破棄した貴族令嬢である。まだ時期や機会を選ぶ立場にあることをわかっていない。前の婚約者が現在の婚約者に、腐っていようとも権力を握っている者の前で絡む。ややこしくなるから、オマエは出てくるな、と言いたい。
一方でプリムラの一旦も見られて良かったと思う。
どうやら自国強兵を目的とした政略婚だけ、というわけではなさそうだ。ハナナ王国が兵力も求めていたならばウイン皇弟の申し出は一考すべきだ。政略を第一として降嫁した王女なら、男女の無礼で片付けるなどしない。これでは千載一遇のチャンスを逃したことになる。
ふとイザークに浮かぶ光景がった。屋敷に招かれた際、目にしたユリウスとプリムラ二人の姿だ。これから夫婦であろうとする絆を見られた気がした。
先ほど皇帝の御前でもユリウスが断固とした態度を示した。
今、プリムラが作る笑顔は氷そのものだ。触れれば傷を与えそうな冷たさである。しかも頭は下げない。視線は当の皇弟ではなく、ユリウスの三番目の元婚約者を射抜いている。
「ダンスのお相手があまりにも滑稽な誤解をなされた挙句、わたくしの顔へ手を伸ばされては、ハエより始末が悪いとばかりに払う力が入ってしまった次第です」
さすがにこれにはウイン皇弟が反応した。
「王女は余を侮辱するつもりか」
「皇弟殿下。まるで皇帝にでもなったかのような自称は舞踏会の場であっても改めたほうが宜しいかと申し上げます」
なにっ、と挙げたウイン皇弟の横で、ダリア嬢が叫ぶ。
「皇弟殿下が自らをどう呼ぼうか、あなたには関係ないでしょ」
「関係なくはございません。わたくしはロマニア帝国の騎士の妻となるべくやってまいりました。故国より夫となる方に尽くすよう生きます。ならばこそ皇弟殿下にはやや不穏な物言いながらも進言させていただいたわけです」
「ならば皇弟殿下はあなたの夫となる方の上に当たる人物ではありませんか。それを乱暴まで働くなんて、浅慮にも程があるんじゃなくて」
うふふ、とプリムラが笑う。好意とは真逆な黒さが一聴で知れる。
ユリウスには絶対に見せないだろう、とイザークに確信させる妖しさだ。
ダリア嬢ですね、と確認するプリムラの口許から冷笑は消えていない。
「どうぞ気兼ねなくユリウスとお呼びください。お付き合いしていた当時のままで呼んでいただいてけっこうです。なぜならわたくしはとても感謝しているのですから」
ダリア嬢はやや怯んだものの引き下がるほどでもない。強気を示すように一歩前へ出る。
「では王女様のご好意に甘えて言わせていただきますわ。帝国騎士の令室となるお立場であれば、皇弟殿下に対する無礼はどのような理由があろうとも謝罪すべきではありませんか」
「わたくしのほうから申し上げさせていただければです」
一旦プリムラは声を置いた。それからダリア嬢だけではない、ウイン皇弟も視界へ入るよう身体の向きを変える。冷たい微笑をいっそう広げた。
「配下の妻になる女性へ気安く触れようなどと、組織として、社会の常識として、いかがなものでしょうか。それともここ帝国では爵位が下にある者に対しては、その配偶者の素肌へ簡単に触れることは許される行為となっているのでしょうか」
声に詰まったダリア嬢だが、言い返せる理由を思いつけば気丈に振る舞う。
「で、でも乱暴はいけませんわ。そう暴力はいかなる理由があっても許してはなりません」
「ならばまず皇弟殿下が不実をお認めになるならば、わたくしは謝罪を致します。しかしながら行動のみに焦点を当てての謝罪要求はお受け致しかねます。原因を不問にされては、また同様なことを起こされかねません」
追い込まれれば論理ではなく感情に任せる。ダリア嬢はその手のタイプだと知らせる声を張り上げた。
「いけないものはいけないのです。なんですか、手を上げるなどどんな理由があろうとしてはならないのです。なんですか、あなたは。あの血生臭い男と、ホントよくお似合いだこと!」
ダンス相手の手を離したイザークだ。さすがに割って入らなければならないと思う。王女も我慢ならないだろうし、放っておいてはユリウスに顔向けできない。皇弟殿下絡みであれば少々面倒ではあるが致し方ない。
あははは、とプリムラが怒るより笑いだした。気が触れたような暗さではない、屈託なければ却って聞く者を不気味にさせていく。
ダリア嬢が不安のあまりに叫んだ。
「な、なにがそんなに可笑しいんですの!」
プリムラが笑いを止めた。一転して、これ以上にない慇懃さを以って答える。
「ありがとうございます。マリシュエール伯爵息女のダリア嬢には改めてお礼を言わせていただきます」
無礼以外の何ものでもない丁寧な口調は、イザークに危険な予兆をもたらす。戦場で勇名を為す戦士でも、女同士の戦闘は手に負えない。皇弟殿下、おまえ何とかしろ、と内心で毒づいてもいた。
「なんですか、急にお礼など。気味が悪い。あなたなど、いつ戦場で朽ち果てるとも知れない男を待ち続ければいいんだわ」
さすがにイザークが踏み出しかけた。どれだけ気が昂ぶろうとも口にしてならないことはある。結局両者の間へ入らなかったのは、プリムラが毅然と応じたからだ。
「死臭が充満するなかで、わたくしはユリウスさまと心を決めました。再会とするその日まで不安としていたことは戦場における生死もさることながら、別の女性が射止めてしまうことです。婚約した報を耳にした時、どれほど苦しかったか。だからです、お礼を申し上げたいとしたのは」
「婚約破棄してくれてありがとう、とでも言いたいの」
「はい、その通りです。貴女様だけではありません。ストレリツィ子爵息女モニカ嬢とオークリッジ男爵息女エリス嬢にも合わせて、お礼を申し上げさせていただきます。婚約を破棄していただき、いくら感謝してもしきれません」
話し終わる頃にはプリムラの表情から笑みは消えていた。
口調に皮肉さはなかった。侮辱の意志も感じられなかった。
まさに真剣そのものだった。
それでも反駁を受けてもおかしくない内容であった。
実際、言い争いが再び勃発しそうだった。ダリア嬢の心境は感情に支配されている。内容よりも何か言い散らさねば収まりがつかない状態にある。
だがそんなことをしている場合ではなくなる。急変が宮廷の大広間に訪れた。
突如、窓ガラスの派手に割れる音が立てれば、つんざく悲鳴も巻き起こった。
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