第26話 姫、その振る舞い(四天の槍も驚く)1
舞踏会の人波に動きが見えた。
着飾った男女の一部は踊りを止めて、恐縮するように身を引く。
ある人物のために道を開けているようだ。
周囲の声から帝国の皇弟殿下であることが知れた。
なかなかな美形で、歩む姿も自信に満ち溢れている。
どこか気怠げなユラン皇帝と違い、溌剌としたウイン皇弟がお出ましだ。社交場にはよく姿を見せていれば、今晩も特別ではない。その地位や立場を鑑みれば、今宵の主役と言える相手へ向かっても不思議ではない。
だが宮中の事情に通じるイザークだから警戒心が一気に高まった。
あまり評判が、こと女性関係に関して宜しくない。兄にない社交性をウイン皇弟の美点と持ち上げる向きがある。が、それはあくまでも場を選ぶ。皇帝の弟として遠慮が出来る者の間でしか通用しない立ち振る舞いだ。 高い身分が問題を大事にしないだけだ。
井の蛙とする自意識が、外から来た人物にどれだけ通用するか。
ダンスを申し込んだ相手は、第八とはいえ王族なのだ。
プリムラは持参した煌びやかな白の手袋をはめた。たったそれだけの装飾で貴婦人とする雰囲気がぐっと増す。ユリウスと手に手を取り合っていた時とは様相を異としていた。
王女の変化に満足そうなウイン皇弟が手を差し伸べる。
慌てる気持ちを押し隠しイザークは新たなダンスパートナーを捕まえた。不敬に当たらないよう聞き耳を立てるには踊りながら傍へ行くしかない。
踊りだすプリムラとウイン皇弟の周囲を巡る。ハーフエルフには遠く及ばずとも、地獄耳と呼ばれるくらいのものは持っている。
イザークの悪い予感は当たっていた。
単なる貴族ではない、皇弟殿下である。貴族よりさらに妄動は慎むべき立場にある。だが大抵の権力者がそうであるように、常識の外へ出た行動を取る。相手の迷惑は推し図れず己の要望だけで動いてしまう。
普通に考えて婚約者のいる女性に対して有り得ない提案が耳へ入ってくる。
「どうだ。余の側妃とならないか」
まるで兄を差し置いて自らが皇帝だとするような言い回しだ。高圧的に出たほうが支配できると考えたか。メギスティア大陸一の強国を誇るゆえの傲慢と解釈されてもおかしくなかった。
イザークとしては、ともかくだ。
ユリウスの立場が悪くなることだけは避けたい。面白半分で参加した舞踏会だったが、一歩間違えれば窮地に陥りそうな展開へなっている。落ち着いてなどいられない。ハナナ王国の実情は不明ばかりであれば、第八とはいえ王女である。王にある父親がどう出てくるか、知れたものではないのだ。両国の間が緊張状態に陥れば、ユリウスの立場は微妙になる。
自分が描く野望のつまずきに為りかねない。
イザーク様? とダンスパートナーの貴族令嬢が尋ねられるほど、ウイン皇弟とプリムラの会話に意識を集中させていた。
「いやですわ、皇弟殿下は。ご冗談がすぎます」
にっこりプリムラが返している。上手く流してくれそうな対応をしていた。
イザークとすれば、王女に期待するほかない。だがウイン皇弟の行動は宮廷内においてやりたい放題に近い。この程度で引き下がらない。
「王女の魂胆はわかっている」
なにがですか? とプリムラは不躾な意見にも笑みを絶やさない。
「母国の強兵を図りたいのであろう。我が帝国の第十三騎兵団は最強を誇る。その騎士団長を取り込むことは、有事に派兵を望みやすくなるからな」
「まさか。そのような企みなどございません。わたくしはユリウスさまの下へ輿入れしたい一心で参っただけです」
「建前を申さなくてよい。あのような野蛮人を女性が好むはずないではないか。三度も婚約に至りながら先方から破棄を突きつけられてきた結果が物語っている。とてもではないが上流階級の令嬢が耐えられる男ではない」
依然としてプリムラは笑みを浮かべたままだ。
けれども目にしたイザークは冷やりとしたものが背中に伝う。元々の作り笑いが種類を変えたように思えてならない。
案の定だった。
上流階級ですか、とプリムラは小さく呟いてからだ。
「わたくしは特権意識を過剰なまでに誘発するような物言いが好きになれません。ただ与えられただけの立場にすぎないのに、妙な勘違いする者を生むからです」
痛烈な皮肉か、それとも批判と取るか。どちらにしろ穏やかではない。
ふっとウイン皇弟は余裕を持っているとした顔つきをした。若そうに見えるが齢としては三十を数える。充分に大人とする年齢である。
「王女はまだまだ若いな。青さがにじむ。そなたが望むことはあの野蛮人ではなく、余こそが叶えられるのだぞ」
「わたくしの望みを、ですか?」
「ああ、そうだ。余ならば帝国の全戦力を動員できる権限を持っている。五千にも満たない一騎兵団ではない。百万とする騎兵さえ動かせる。もし祖国を思うなら、たかが騎士なんぞより、皇帝の座に近い余になびくが得策だぞ」
プリムラは微笑むままだ。
ウイン皇弟はそれを了解と解釈したようだ。
「わかったようだな。ならば……」
プリムラの婚約者と違い、傷一つないウイン皇弟の手が伸びる。
指先がプリムラの頬へ触れようとした。
パシンッ、と乾いた音が鳴り響く。
注意を払って傍にいたイザークだけではない。広間中に集う者の耳に入るほど大きかった。息を呑むような空気が会場を支配し、注目は事の起こった人物へ集中する。
伸びてきた手を叩き払った体勢のままプリムラは未だ笑みを浮かべていた。
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