第25話 漢、侍女以外とする初めてを見る(鈍感あり)
舞踏会が催されている広間の片隅へ三人は寄った。
「イザーク、取り敢えずここは任せるぞ」
「いいのか。せっかく婚約者と楽しいひと時を過ごしているのに。代わりに行ってもいいけどな」
「いやツバキたちからだから、俺でなくては動きづらいだろう」
答えながらユリウスは、ちらり出入口へ目を遣る。
ニンジャを裏の顔とするメイド服の侍女が待っている。
「すまない、プリムラ王女。ちょっと見に行ってくる」
「わかりました。でもどうかお気をつけください」
プリムラは胸の前で心配そうに両手を組んだ。
「なぁに、宮廷敷地内のことだ。そんな時間はかからないと思うぞ。それよりだ……」
コホンッとなにやらユリウスは改まる。少し照れ臭そうに頭をかく。
「もし良かったらなんだが、屋敷に戻っても、なんだ、そのぉ……ダンスを教えてもらってもいいだろうか」
口許が綻ぶはプリムラだけでない。
イザークもまた好意的な苦笑を抑えられない。思わずといった感じで、指摘が吐いて出た。
「おい、ユリウス。同じ屋敷に住む婚約者に遠慮して頼むことか」
おー、そうだな、とユリウスはすごく納得している。
プリムラが緩めた口許から笑みを咲かせていた。
「とても楽しみにしてます。ええ、とても、とてもです」
同じ語彙の繰り返しが、真情の表れのようだ。
では行ってくる、とユリウスが出入口へ向かえば、初めてに気づく。舞踏会へ背を向ける際はいつも惨めだった。今晩はご機嫌なままとくる。
もっとも暗い廊下でツバキの表情を認めた途端に騎士の顔へ戻った。
「どうした。何かおかしな事態でも生じているのか」
「今晩、帝都の裏通りで奇妙な屍体が散見されています」
報告を受けたユリウスは今日の待機室と充てがわれた部屋へ向かう。歩きながら横のツバキへ問い質す。
「奇妙とは、どういうことだ」
「どの屍体も牙か爪で抉られているような傷跡だそうです。少なくとも人間や亜人が斬りつけで生じる類いのものではなさそうです」
「その奇妙な屍体が作られていく道筋が宮廷へ至っているというわけだな」
おっしゃる通りですわ、とツバキが感心を上げたところで部屋に辿り着いた。
「言っただろう、アサシンが増えていると」
室内へ入るなりユリウスは愛用の大剣をつかんだ。ふんっと気合いを入れて一振りすれば、付いてきたツバキへ向く。
「ともかく案内だけしてくれれば、後は俺が……」
言い切らないうちだった。
がばっとメイド服が翻る。黒き山着のような格好へ早変わりする。初めてツバキが忍び装束姿を見せた。
「私も今回はいざという際に備えてお供します」
「そうか、では頼りにしているぞ」
その直後にユリウスは「ど、どうした?」と尋ねた。
なぜなら案内で先に駆けだすはずのツバキが動かない。
「ユリウス様から頼りにしているなんて言われて……ツバキ、感激です」
じーんと感動に浸っていたらしい。
無論、王女に付くニンジャのリーダーたる者である。気持ちの切り替えはあっさりこなした。では参りましょう、とすぐに促せばドアではない、窓へ向かった。音もなく開けては夜闇に沈む裏庭へ降り立つ。
「さすがだな、ツバキは。軽やかさな身のこなしには目を見張るぞ」
「こちらこそです。大きな体格でありながら、簡単に窓を乗り越えてしまうユリウス様の身体能力はさすがとしか言いようがありません」
ツバキはすぐ後ろへ立ったユリウスに感服を示す。お世辞ではなかったことは振り返りもせず走りだしたところでわかる。わざわざ確認せずとも付いて来られると信頼ゆえの判断を下していた。
現にしばらくもしないうち並走になっていた。
ところでツバキ、とユリウスは声をかける余裕さえ持っている。
走力に関すればスタミナだけでなく速さも鍛え上げてきた自負が、ツバキにはある。簡単に肩を並べられてとても驚いていただが、「はい、なんでしょうか」と表面は普段通りに取り繕っていた。
「うちのイザークとは、もう連絡を取り合うようになっているのか。ずいぶんスムーズときたもんだからな」
「いえ、特に親しくする真似はしてきておりません。今回は向こう様が私を勝手に発見してくれたと申しましょうか。出入口に着いたら、ちょうどよく目が会った次第です」
今晩の舞踏会において貴族以外の者は給仕を除いて一人勝手に広間へ足を踏み入れられない。イザークがツバキを発見したから、ユリウスへ伝達が順調に届いた。
さすがだな、とユリウスが声を夜風に乗せている。
何に感心しているのか、ツバキにはわからない。運ぶ足を緩めず、何に感心したかを尋ねた。
「いや、なに。イザークは、あっ、ヨシツネもそうなんだが、女性に目ざといなと思ってな。やはりモテる男はよく気づくものだ」
どうやらユリウスの独り言に近い仲間に対する評価であったらしい。
ただしツバキにすれば同意しかねる。
「私はイヤですわ。女に妙に敏感な男なんて」
「そうなのか。でも女心をぜんぜん理解できない男はダメだと言われ続けてきたぞ」
「それはユリウス様の前にそういうタイプの女性しかいなかったせいです。たまたまです」
そうなのか、とユリウスが語彙力の貧しさを披露している。
だからだろうか、ツバキははっきり言う。
「はい、なぜなら私は女心に疎くても気持ちが篤いお方のほうが断然に好みです。ユリウス様のような男が好きなんです」
つい口走ったとツバキは自覚すれば、頬が赤らむ。感情を表へ出す真似をしてしまった。ただし告白した相手は自ら申告するように鈍い。繊細な乙女心の機微など察知するはずもない。
「いいヤツだな、ツバキは」
人としては良くても男としては今一つなユリウスである。
あのツバキでさえとても困ったような顔をした。
だが、それも一瞬だ。
のっぴきならない事態を知らせる叫びが聞こえてきた。
「来るな、ツバキ
声でハットリだとわかる。
どうした? とユリウスは尋ね、そんな! とツバキは目を見開く。
忍び装束の少年ハットリは組み伏せられていた。
上から伸しかかり押さえつける腕の本数は四つである。
いや腕ではない、足だ。
四脚で立ち、月影を背に威容を誇る。
人間でも亜人でもなかった。
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