第24話 漢、一生の夜とする(忘れられるはずもない)

 舞踏会用の白いドレスへ着替えたプリムラに、ユリウスは相変わらずだ。


「うおぉおお、これは雪の妖精ではないか。本当に俺なんかにはもったいないぞ」


 喩えはいつものごとくである。ただ口調がこれまでと違ってやや硬い。事前の緊張をひしひしと伝えてきている。

 仔細な変化も見逃さないプリムラが微笑みかける。


「お褒めいただいて嬉しく思いますが、ユリウスさま。どうか気を張りすぎないようお願い致します。たかがダンスですよ」

「だが王女まで恥をかかせてしまうことは間違いないんだ。申し訳ないというか、なんというか、一時期がんばってみたんだが」


 ダンスを熱心に取り組めば取り組むほど周囲の笑いを誘った苦い経験がユリウスを憂鬱にさせる。やはり会場へ入れば尻込みしてしまう。


 くすり、プリムラが小さな花が咲くような表情を閃かせ腕を伸ばす。

 白く細い手がごつごつした太い指をつかんだ。

 ユリウスにすれば、どんな怪力より従わざる得ない強さを持っている。


 ある伯爵令嬢と踊っていたイザークは好奇心を隠しきれない。早く見たくて、二人の場所を開けるステップを踏む。


 シャンデリアによる煌びやかな照明に相応しく着飾った男女が所狭しと踊っていた。上流階級とする身だしなみと所作を身に付けた者たちの饗宴が繰り広げられていた。


 そこへ今日の主役が登場と相成った。広間の中心で二人は踊り出す。


 プリムラという美少女に荒削りの岩石みたいなユリウスが転がされるみたいだ。もつれる足は自身の巨躯を支えるだけで精一杯である。なんとか両手を離さずに、ステップを踏んでいる感じだ。


 失笑が起こり、嘲笑が後を追って湧いていた。


 ユリウスにとって何より辛いとする時間が訪れた。

 自分だけなら、いくら笑われても構わない。けれどもダンスの相手を巻き込んでいれば辛い。舞踏会のたび婚約者へ恥ずかしい想いをさせてきた。婚約破棄を素直に受け入れてきた大きな理由の一つだ。一人目は困ったような顔をし、二人目は泣き出しそうで、三人目は怒りだしていた。


 今回は……王女に嫌われるかもしれない。暗澹たる想いで足をばたつかせるユリウスへ、パートナーの声が耳に届いた。


「まるで夢見たい。ユリウスさまとこうして踊れるなんて」


 はっ? とユリウスは訳がわからない。足取りは滅茶苦茶で、なんとか手を取り合っているだけだ。がたいがいいだけに滑稽さが際立てば、とてもダンスと呼べる代物ではない。


「お、王女。そこまで気を遣わせてしまって……俺はなんて詫びていいか……」

「本当です。本当にわたくし、夢を見ているような気持ちになっているんですよ」


 繰り返し強調されれば、ユリウスはなおのこと恐縮してしまう。また申し訳なさいっぱいの台詞が出かかった。

 口にしなかったのは見惚れたからだ。

 白き花弁を広げるような偽りない笑みが、ユリウスに息を呑ませた。


「わたくし、いつかユリウスさまとダンスする日を夢見ておりました。囮として捨てられた生命を救っていただいたあの日から、ずっと……」


 初めて会った時か、とユリウスは手を握られた時の記憶を引き出した。

 斬っても斬っても敵兵はまだまだ押し寄せてくる。状況は絶望的だ。それでも大剣を握る手に緩みはない。そこへ、そっと当てられた小さな両手であった。

 景色や場面を忘れてもプリムラ王女に包まれた手の感触はずっと忘れられない。


 ふと胸が疼いた。

 じんわり、緩やかに熱せられていき、いきなり、ズキッと音を立てて痛む。こんな気持ちの有り様を、なんて形容していいか。自分自身のことなのにわからない。


 不意に失笑が聞こえてくる。無様なダンスを披露している自覚が生まれた。なれば他人など、どうでもいい。


「本当に悪かった。踊ることはわかっていたのだから、せめて少しでも練習しておくべきだった。苦手だとか、ぐだつく前に努力すべきだった。せっかく王女が楽しみしてくれていたのに、俺は……」


 ユリウスはどれだけ詫びても足りない。


 なぜかプリムラの顔が晴れやかになる。ユリウスさま、と呼んでは足下へ視線を向ける。

 つられてユリウスも目を落とす。二人の足を見る格好となった。


「ユリウスさま、どうかわたくしの足の動きに合わせてください」


 プリムラが履く白い靴をユリウスの大きい靴足が追う。 


「そうそう、慌てずゆっくり。慌てなくて大丈夫です」


 正規とするリズムより、ずっとゆっくりした動きであった。わ、わかった、とユリウスは懸命になって応えられるよう頑張る。

 するといつの間にやらだ。なんだか愉しくなってきた。

 お上手ですよ、とプリムラの気遣いがあれば調子も乗る。


 夢中になってユリウスは足を動かしていたから気づかない。

 嘲笑が止んでいただけではない。拙くも一生懸命に取り組む姿はプリムラだけでなくユリウスさえ可愛らしい。上手とは程遠いがゆえに、どの目にも微笑ましく映った。

 近くで踊っていたイザークが「素敵だな」とする呟きに、ダンス相手の伯爵令嬢がうなずいている。本当に楽しそうな二人のダンスは周囲の眼差しに羨望さえ混ぜ始めていた。


「プリムラ王女」


 なんとかユリウスはパートナーへ顔を向け、しかもまだ呼び名から王女は外せない。


「はい、ユリウスさま」


 答えるプリムラもまだ『さま』付きである。

 けれどもこれまでの距離とは明らかに違っていた。

 少なくともユリウスの内はこれまでの婚約者に感じたことがない感情で渦巻く。

 無骨とする顔に強敵と対峙する以上の真剣さを漲らせて、伝えた。


「俺は今晩を、二人で踊った初めての晩を、一生忘れない」


 はい、とだけプリムラは返事した。


 一言だけで充分だった。


 言葉なくユリウスはうなずき返した。

 言葉を重ねなくても互いが認識し合えていた。

 ただ一緒に手を取り合っていれば、それでいい。


 二人にとって特別な、始まりの夜だった。


 だがいつまでも続いて欲しい時間は中断せざる得なくなる。

 踊るユリウスたちへ不穏が忍び寄っていた。

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