第10話 漢、親父殿へ喰ってかかる(状況はどうも不利)

 ロマニア帝国の西端に位置するエルベウス地方。そこを統括する人物はディディエ・ラスポーン辺境伯である。先代皇帝ルイス・ヴァルモットと肩を並べ戦場を駆けた歴戦の勇士であり、帝国史上最大とする現在の版図を築いた功労者である。帝国内で一目を置かれていることは、ハナナ王国が外国と唯一通行可能にする地域を任せられたところからでも窺えよう。

 まことに偉い方なのである。


 ユリウス個人にとっても恩人だ。長くいた翼人の里から再び人間社会で生活を始めるに当たって、これ以上にない後ろ盾となってくれた。騎士団長として活躍する現在の礎は養父となってくれたディディエ・ラスポーン卿のおかげである。

 これまでの経緯を踏まえれば頭が上がらない存在なはずだが……。


「そこまで地に落ちたか、バカ親父殿!」


 城の大広間に着くや否や挨拶もなしでユリウスは罵倒を繰り出す。


 奥の椅子に腰掛けるディディエ卿は齢六十を超える。初老の域に届いているが、戦場で先頭を切っていてもおかしくないくらい見た目は壮健で若い。もし頭髪があれば二十そこそこのユリウスと親子より同僚に見る者を多く輩出するだろう。


 実際、互いの会話は遠慮から最も遠くなる。親しい仲間内でしかない雑さがある。


「いきなりなんだ、バカ息子よ。婚約を三回立て続けに破棄されてトチ狂っているなら、情けないを通り越して笑えるぞ」


 現にディディエ卿は、あっはっはっは! と豪快に響き渡らせた。


 駆け引きならば親父殿が一枚上手なくらいユリウスは認めている。歴戦の勇士であるだけでなく策略家としても活躍し、その後は長く辺境伯として広大な地域を治めてきた。戦うだけでなく政治的手腕もまたは見事である。剣戟以外は敵わない相手だ。


 他にも気にすべき点があった。それは城主に従って大広間に集う者たちの態度だ。ユリウスとディディエ卿の義理とはいえ親子がする対決を重鎮たちが眺めている。彼らの腹の底が気になるからではない。

 むしろ、逆だ。

 かつて義理父と戦場を共にしてきた仲間だったとする年配者は、傍目にも好々爺だ。自分ら親子のしょうもない会話に困ったような表情が連なっている。身内とも言えるような部下たちなれば、とても申し訳なくなる。

 これから慕う主君を貶める事実について、耳に入れなければならない。長年の友とする臣下もいれば、糾弾は偲びない。

 だが今回ばかりは看過できない。ユリウス自身が見損なってもいた。


「言っておくがな、バカ親父殿。俺は女性に嫌われ続けようとも、ヒドい真似はしないぞ。相手にされない寂しい身の上だからといって、年端もゆかない女児に手を出すなど断じてしない」

「そんな話しを聞かされたら、むしろ不安にさせられるんだがな」


 ディディエ卿は肘掛けに左腕を置いて頬杖をつく。呆れ顔に微かながらも真剣さを織り交ぜ始めた。

 ユリウスは義父ちちの変化に気づいていないのか。ぐっと握り締めた右腕を突き出した。


「俺はなんだかんだ言ってもバカ親父殿には恩義からじゃない尊敬を抱いていた。正直、女泣かせの自慢話しには辟易したし軽蔑まで覚えたもんだ。ろくなもんじゃないが、でも手を出してはならない常識を持ち合わせているヤツだと思っていたんだぞ」

「なんだか凄く嬉しいことを言ってくれるかと思いきやだな。まったく、このバカ息子は。何が言いたいのか、さっぱりわからん」


 なにおー、と吼えたところでユリウスは気がついた。

 居並ぶ重鎮たちの人が良さそうな皺だらけの顔に義理父が浮かべる同じ色を認めたからだ。不明からくる困惑の彩りである。

 己の非を認めれば突き出した右腕を下げる。ううんと大袈裟に喉を整える仕草を取る。それでも口を開けば平静とは程遠くなる。


「バカ親父殿の女性関係について、あれこれ言うつもりない。ないが幼女をめとるなどは、どうしたものか。政略ゆえ仕方なくと捉えたいが、親父殿のことだ。マジではないのか、と俺は思っている」


 はぁ〜とディディエ卿が大きくため息を吐く。周囲の重鎮たちもまた一斉に嘆息している。ユリウスは分の悪さを悟らざる得ない。


 息子よ、とディディエ卿が切り出した。


「幼女はひとまず置いておくとして、どうしてお前の父が今頃になって結婚すると思った」

「それは聞いたからだ、ハナナ王国のプリムラ王女に」


 ユリウスが虚勢で胸を張って答えた、その途端だ。


 ははーんとする空気が広間のそこかしこから漂ってくる。義父だけではなく、ここにいる爺一同が了解といった態度を見せてきた。


 なんだなんだとなるユリウスだ。早く解答を得たいが、先に義父の愚痴を聞かされた。


「騎士としての活躍は素晴らしいが、女のこととなるとうだつが上がらない限りではないか。これじゃ息子自慢など夢のまた夢だな」


 な、なにおー、とユリウスはまた判で押したような反駁の狼煙を上げかけた。


 そこへ来賓を告げる声があった。

 つい今まで親子の会話に苦笑していた臣下が背筋を正す。右手を胸に当てて頭を垂れた。

 厳かな雰囲気となるが、台無しにするユリウスの手の者だった。


「団長ぉ〜、なんだか訳わかんないまま先に行かないでくださいよぉ〜」


 上司に倣うようなヨシツネの無礼な態度だ。

 バカ、とその頭をハーフエルフのベルが小突く。引っ張るようにして城主の前へ出てはひざまずく。仲間の不敬に対して謝罪を口にする。


 よいよい、とディディエ卿は手を振って寛容を示した。


「その様子だと、このバカ息子にろくな説明もされず押しつけられたな」

「そうなんですよ。戻ったらいきなり団長が『許せん、親父殿』とか『王女、きちんと話しはつけてやる。安心してくれ』とか言ったと思ったら、さっさと一人で行くんですもん。残された方は、ぽかーんですよ」


 ヨシツネの問題は目上に対する話し方だけではない。ユリウスの台詞と思われる箇所に至っては声帯模写を試みていた。それが似てないゆえに可笑しみを誘う。おかげで憎めない人物像へ着地していた。

 おまえな〜、と隣りで共に膝を折るベルのたしなめも形式上といった感じだ。

 つまりユリウス一人だけが悪者といった具合である。


「しょ、しょうがないではないか。いたいけな王女を俺の親父殿が毒牙へかけようとしているんだぞ。黙って放っておけるものか」


 はぁ? となったのはヨシツネだけではない。


 あれほど隣りの不作法を注意していたベルまで頭をかきつつだ。


「ユリウス団長。どうしたらそのような結論が出てきます?」


 信じられないとばかりに訊いてくる。


 するとユリウスは妙に自信たっぷりとなった。作った右の拳を胸の前へかざしては音が立ちそうなほど握り締める。


「プリムラ王女が言っていたぞ。ファミリーネームをラスボーンにするためやってきた、と。あんな若い身空でジジィの親父殿が相手など不憫でならん。いくら好色でも守るべき線というものがあるはずだ。どんな酷い理由でこうなったか、確かめずにはおれん」


 ユリウスにしてみれば、なぜかだ。

 肌で感じ取れるほどの唖然呆然とする空気が流れた。珍しく呆気に取られている自分の部下二人も目にできた。


 やれやれと義父のディディエ卿が頬杖をついたままだ。


「我が息子よ。普通に考えれば、王女がラスボーン家へ輿入れとする相手は、お・ま・え・だ」


 静寂が、しばし支配した後だ。


 なんだとぉおおおおー! 漢の絶叫が轟いた。


 広間をユリウスの驚愕がこだまする中だった。

 扉を開けて花嫁とする王女にお付きの侍女が姿を現した。

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