第5話 漢、待つように言う(そして驚く)

 春うららかとする穏やかな日だった。

 もし馬車の周囲に血臭が漂う戦闘跡がなければ平和そのものだ。


 死屍累々としたなかで佇むユリウスも赫い。熊かゴリラかとする厳つい風態は死をもたらした色で染まっている。

 若く、しかも暴力的な世界は無縁にすごす高貴な女性が耐えられる光景でない。

 婚約破棄されたうちで学んだ。

 気遣うべき事情へ思い至れば、自分への罠とする警戒は後回しにした。


「待ってください、中の人。今、外は貴方あなたが目にしていい状況ではない」


 咄嗟にユリウスが叫べば、開きかけた馬車の扉は止まった。

 静止は一旦でしかなかった。


「わたくはどんな悲惨な光景であっても大丈夫です。それよりユリウスさまのお心遣いをとても嬉しく思います」


 どうやら中の人は察してくれたらしい。

 聡明な方だ、とユリウスは感心しつつも懸念は消えない。血まみれの姿を自覚すれば、やはり待ってくれと言いたい。


 馬車の扉は開かれた。

 間に合わなかったと悔やんだのは、一瞬だ。


 あんぐり、ユリウスは口を開けて見つめた。


 柔らかい陽射しを反射する黄金の髪に、愛くるしい目鼻とくる。肌は透き通るようだ。繊細な気品で溢れる白いドレスは彼女によって引き立てられている感すらある。完璧とするほどの美が精緻な人形かと見紛う。

 だからだ。


「うおぉおおー、なんだこれわー」


 阿呆面に相応しい間抜けな所見を発していた。


 当然ながら相手には伝わらない。

 なんだか黄金の髪をした人形が困惑しているように見える。未だユリウスは目前の光景に実感を持てずにいた。


「もしかしてユリウスさまは、ラスボーン伯爵から事情を聞いておられませんか?」


 表情が動き、しゃべってきたから、ようやく人間とユリウスは確信できた。つまり通常運転からは程遠い状態で、こくこくと返事もせず首を忙しく縦に振るだけだ。

 クスッと笑えば、闘神とされるおとこの心臓は音を立てた。どきんっ! と痛いほどだ。なんだかよく分からない衝動に突き上げられるまま口を動かす。


「ただ迎えに行け、とだけ言われて……丁重に、とも言われていたか。そ、そう、親父殿はいつも適当なので……あ、いや、我が父の伝達は常に端的な内容でしかないため、今回もまた深く探ることなく駆けつけた次第なのだ」


 いちおう概要は伝えられたもののである。おかしな話し方をしていただろう。しくじったと思えば、ずーんとユリウスは傍目でも知れるほど落ち込んだ。

 だから当分は女性と話したくなかったんだ、と叫びたい。


 ユリウスさま、と呼ぶ声がする。な、なんだろう、と返事して顔を上げたらだ。


 瞳と正面からかち合った。

 じっくり見る彼女の瞳は紫がかっている。すみれ色と称したい彩りである。頬を隠す長さの髪が黄金できらめく。その姿は、ただただ美しかった。


 ぼけっとユリウスはまたしてしまう。もし最強の呼び声が高いこの戦士を討ちとりたいならば、今こそ絶好の機会に違いない。黄金の髪をした彼女が罠そのものだったら成功しただろう。

 だが黄金の髪の彼女が仕掛けてきた攻撃は微笑みだった。


「やっと、やっとです。こうしてユリウスさまと再会できる時を一日千秋の想いで待ち焦がれておりました」


 謎かけのおかげでユリウスは多少の理性を取り戻せた。


「お、俺と再会……初めて出会ったわけではないのか」


 はい、と彼女は笑みを花のように広げてくる。

 おかげで、ますます申し訳なくなる。

 まったく憶えがないからだ。

 うーうー唸るほど必死に頭を捻る。思い出そうと頑張っているのが外からでも判断つく。いかなる劣勢にも退かないと勇名を誇る騎士は苦悩に満ち満ちていた。


 ユリウスさま、と呼ばれた。

 お、おぅ、とユリウスは状況をすっかり見失っている。返事も戦場にあるような仕方だ。

 ただ待っているものは凄惨さと真逆にある春の野原に咲く一輪の花がごとき女性だ。その彼女が馬車を指を差す。


「この紋章、見憶えがございませんか」


 扉を含め車箱いっぱいに描かれている。威厳を誇る絵模様だ。


 ユリウスの頭に学舎の黒板ごと浮かび上がってきた。

 我らの大地とするメギスティア大陸。そこで群雄割拠する各国。戦いが尽きない時代は続いている。常にどこかで戦場を生んでいる状況が長きに渡っていた。

 現在の版図は、ユリウスが住むロマニア帝国とグノーシス賢國を二大大国としている。が、中小の国家もしくは国に準ずる部族も多く存在する。大陸全体を巻き込む大規模な争乱はここしばらくないもののだ。戦国の世と呼ばれるだけの緊張感が各国間に漂っている。

 授業はたいてい欠伸をしていたユリウスだが、問われた紋章は必須の知識だ。相見えた敵の正体を知るだけでなく、時には手を組むこともある。戦場に出る者こそ頭に叩き込んでおかなければならなかった。


 この紋章は、ハナナ王国のものだ。

 大陸の最西に位置し、峻険な山脈に囲われた部分を領土とする。自然の要塞で守られた王国は他国との折衝が極端に少ない。どこかしらと交易を行うこともあるようだ、とする程度の情報しかない。王国民が他国へ移住した例も聞かない。

 国内情勢の秘め方は鎖国に匹敵した。


 そんなハナナ王国の人物がいったいどうして?

 膨れ上がる疑問のなか、ユリウスの記憶の抽き出しが一つ開いた。

 紋章の見憶えではない、優しい陽射しに包まれる現在地が個人の思い出へつながっていく。


「も、もしや、あなたは十年前の?」


 勢い込みすぎてユリウスは言葉を続けられない。それでも意は伝わったようだ。


 はい、と黄金の髪の少女は最上の笑みを返してきた。

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